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つくば移住物語、始めます

はじめに

2020年8月に東京都からつくば市へ移住してからはや1年半。2021年も終わろうとしている今、つくば移住について書き始めたのはいくつか理由がある。

地方移住とつくばという選択肢

第一に、コロナ禍の影響もあり地方移住希望者が増えているという事実。
これはコロナというよりもテレワークの普及によるものだろう。移住を希望する多くの人にとって、東京に住むことは目的ではなく東京の企業で働くための手段だったのだ。僕もそうだった。都会の生活は歳を重ねるにつれて嫌になった。

第二には、つくばに潤いをもたらしたいという思い。住宅の建設が続く一方、つくば駅周辺の廃墟となった公務員宿舎の問題など、街としての完成度は高いとは言えない。茨城県出身の僕からすれば、つくばは憧れの街だった。子供の頃に見たつくば万博の思い出もあり、TX開通後は一層地方都市として発展を遂げているものと思っていた。茨城から離れて住む僕はそう思っていた。

最後に、移住希望者の背中を押したいという思い。移住後、数人の知人から「つくばのような地方に住んでみたいとは思うが踏ん切りがつかない」という話を聞いた。移住後の快適さを知るがゆえに、人に勧めたいという思いがある一方、向き不向きもあることをこの1年半で理解した。積極的に口に出して勧めることはできまい。がしかし、記事をただ公開するだけなら興味がある人が読む。それが良い。

つくばの現状とこのnoteを読む人への思い

つくば移住希望者が最初に訪れる街は、つくば駅だろう。いくら市役所やショッピングモールが隣駅の研究学園にあるといっても、TXの終着地でありそもそも路線の名前にもなっている街はあくまでつくばだ。

そのつくば駅の現状は寂しいものがある。計画レベルでは、これまで何度も検討を重ねてきた形跡はある。時間がかかることは理解する。市民としてはつくばを愛するがゆえに、現状を晒しながらも、その愛を分かち合う同士を募りたいと思う。

つくば駅周辺 再生は死活問題(日本経済新聞:2018年11月12日)
つくば駅前再生で官民に溝 揺らぐ「市の表玄関」(日本経済新聞:2019年5月19日)
日本エスコン、つくば市の商業施設 21年春にも開業(日本経済新聞:2020年12月24日)
つくば市中心部が再始動へ アリーナ建設・商業施設再生(日本経済新聞:2021年1月7日)

個人的にも、地方移住は大きな決断だった。自分、配偶者、子供、両親、仕事、教育、環境、お金、地域住民、さまざまなことを考慮した。将来についても考えた。ここに移住前後のことを綴ることが、少しでもなにかの足しになればと思う。

エピローグ 〜つくばとの縁〜

忘れもしない2018年11月25日、僕は人生の岐路を迎えた。
そう、つくば移住をはじめて現実に検討した日の事だ。

それまでも、「そろそろ家を買おう」という話は妻と何度もしてきたが、ハワイ挙式の僕らとしては、そもそも憧れは海沿いの街だった。しかしお互いの実家への利便性や都心へのアクセスを考慮すると神奈川県の海沿いの街は優先順位が低く、当時は小田急線沿いや墨田区、埼玉県三郷市、千葉県松戸市などのベッドタウンが第一候補だった。

新百合ヶ丘も見に行った街だ。とにかく坂が多かった。子供を乗せた自転車でアップダウンを繰り返す日常は、僕には荷が重く感じた。

墨田区は人情溢れる街で、最も長く滞在した場所であり愛着も強い。知られざる老舗の銘店も数多くあり、この街に住んでいることがどこか誇らしくさえ感じられた。

ただし、どこに家を買うにしても、庭付き戸建ての家が良かった。その思いで見つけた候補がTX沿線だった。まずはイメージを沸かせるために、モデルハウスを見に行くことにした。守谷駅だった。

これがすべての始まりだった。

守谷という街の利便性と、青い空の衝撃

少し話は逸れるが、移住して1年が経ち、TX沿線の街について思うことがある。TX沿線の街の多くは、街に"境界線"があるように感じる。

駅近辺を見ていくと、唐突に田園風景に切り替わる境界線があるのだ。国道を1つ曲がると、唐突にボロボロの舗装の、農道が現れることも珍しくない。

新しい建物は建っていても、10年前そこは畑だったのだ。
畑の中に集落があり、集落近くに電車が通り街になった。それがTX沿線の街なのだろう。いや詳しくは知らないが。

守谷では、まず田舎の良さを再認識した。
都心(私の場合は港区近辺を指す)へのアクセス約1時間で、これほどまでに都会の喧騒を忘れることができる街がある。

衝撃だった。​

モデルハウスは少し狭かったが、ここで暮らした場合の生活をイメージできた。当時5歳だった長男がモデルハウスの庭で遊び、室内に戻ってくるなり言った。

「パパー、早くお魚釣りに行こうよー!」

遊びたい盛の長男を連れて行くために、「おうちを見に行こうよ」だけでは不足だったこともあり、「もし時間が余ったらお外で遊ぼう。そうだ、お魚釣りもできるかもしれないよ」と言いくるめていたのだ。

外で元気に遊ぶ子どもたち、晴れ渡る青い空、温かい家…。

これだ。このイメージだ。心は動き始めた。

心を射抜かれたモデルハウスとの出会い

守谷のモデルハウス以降は、モデルハウス巡りだった。戸建て住宅のセミナーへ参加もした。そこで高性能住宅というものを知った。

当時住んでいた墨田区のマンションは鉄筋コンクリートという材質や構造の問題なのか冬場の冷えが強く、なにより結露が酷かった。部屋の壁がカビるのだ。

モデルハウス巡りの中で、ある程度自分たちが好む雰囲気の家がイメージできていた僕は、ある日1つのモデルハウスを見つけた。つくば市内で高性能住宅を手掛ける、ある工務店のモデルハウスだった。

中に入るやいなや驚いた。30畳ほどの広さのリビングが広がっていた。明るい日差し、子供と遊べる広い庭、仕事や勉強に使える、リビングに併設されたスタディカウンター。木の材質を主張しすぎない無垢の床板。その温かみのある屋内のデザインに、まさに僕が子供の頃にイメージしていたような「温かい家族の家」を見た。

これだ。これが欲しかった。心は強く揺れ動いた。

その日こそ、人生の岐路となる日、2018年11月25日だった。


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