「吃音症」を知った日

なんで僕はみんなと同じように普通に喋れないんだろう。
早く治して普通に話せるようになりたい。

そう思いながら過ごしていた小学生の僕に、転機が訪れる。

小学校4年生になると、委員会に入って仕事をするようになる。
小学6年生まで同じ委員会になる大事な選択。
色々ある中で、僕は「放送委員会」に入ることにした。

一番苦手としている"原稿を読む"仕事なのに、
なぜわざわざ学校放送をする委員会を選んだのか。
それは「喋る練習をすれば上手く話せるようになるんじゃないか」と思ったから。
嫌でも練習できるように自分を追い込んだのだ。

最初は、「これでなんとかなるんだ!」と思って必死で頑張った。
放送室のマイクの前に座ると緊張するし、全校生徒が聞いていると思うともっと緊張した。
相変わらず吃りまくったし、何度も沈黙が流れた。辛かった。
それでもこの練習がきっと改善に繋がるんだと思って耐え続けた。

そんなある日、DSのネット検索できる機能を使ってこの変な喋り方を治す方法がないか調べてみることを思いついた。(パソコンは親が許してくれないから仕方なくDSでこっそり)
「言葉 詰まる 治し方」なんて入れてみた。
すると、「吃音」「吃音症」という言葉がヒット。
読み方も分からなかったが、調べると「きつおん」と読むことがわかった。

吃音を調べていたら、自分と全く症状が同じで本当に驚いた。
今まで世界で僕一人だけしかこんな喋り方しないと思っていたから。
でもちゃんとした病名があって、他にも同じような人がいると知って、すごく安心した。
僕だけじゃなかった。病気なら治し方があるはずだ。そう思っていた。

でも、
「多くの場合、幼少期に自然に消滅するが、稀に大人になっても症状が残る場合がある。成人の100人に1人が吃音症だとされる。現在でも治療法は確立されていない。」
という文言を読んで、絶望した。

治し方がない。大人になっても治らない。この先一生吃音のまま。
せっかく治すために放送委員会に入ったのに。
頑張って練習すれば治ると思っていたのに。
どうせ治らないのに毎日毎日吃って笑われて恥ずかしい思いをしなきゃならないの…

希望の光が見えたのも束の間、一瞬でお先真っ暗になった。
これからどう頑張ればいいのか分からなくなった。

それからというもの、精神的に追い込まれていった。
毎日朝昼夕の放送、音読、発表、劇の練習…
辛くて苦しくて毎晩明日学校行きたくないって思っていたけど、
家族に心配かけたくなくて必死で学校に行った。

もちろん、友達にも先生にも悩んでいると思われたくなくて、平気な顔して一切相談しなかった。

それに加えて、この頃妹が小学校に上がってきた。
僕の妹は、発達障害だった。
そんなに重くないけど、知的障害があって中々勉強にもついていけない。
度々癇癪を起こして親を困らせる。
あまり知らない人に対しては全然喋らなくなる。

小学校低学年のこの頃の妹は、朝中々教室に入れなかった。
毎朝兄である僕の後ろについてきて、全然自分の教室に行ってくれない。
だから僕は毎日妹の教室まで連れて行って説得して教室に入れさせる。
それでも泣いて教室に入ってくれない時は先生にもお願いして引き渡す。
これが律儀に毎日続いた。

妹のためもあって、どんなにしんどい日でも毎日休まず学校に行った。

学校では吃音の恐怖に怯え、家では妹がまた癇癪を起こしている。
明日も放送で吃って笑われるんだろうなと憂鬱になって眠りにつく。
そんな日々が小学校卒業まで、それ以降もずっと続いた。

妹のことについてはまた詳しく書こうと思います。
次はメンタル最低の中学時代を書きますね

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