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気まぐれ悪魔と魔女の孫 第八話

 佳乃が通う高校の制服はセーラー服と学ラン。

 翼の隣に立つアヤトは学ランの前を開けている。中に着た白いシャツのまぶしさに翼は目を細めた。戒めるように。

 そしてセーラー服のリボンを指でトントン、と叩いた。

「アヤト」

「はいはーい……。君は家でもそうだよな」

 アヤトは苦い顔でボタンを留めた。下校途中の女子生徒の視線を感じると、彼女たちをウインクで射抜いた。

「今回はどうするの? 俺も佳乃ちゃんには特にアドバイスをしなかったんだけど」

 詰襟のホックをいじるアヤトの横で、翼はうつむいた。

 セーラー服を着たのは初めてだ。白いリボンが風に吹かれ、ひらひらと舞う。

「……ぶっちゃけどうしようか迷ってる。私だって先生が好きだったけど、何もできないまま卒業したから。かける言葉が分からない……」

「叶わない恋だった、ってのも青春時代の思い出になりそうだけどね。恋愛は全ていい形で収まるってことはないんだから。君がそれを一番分かってるだろ」

「それもそうね」

 アヤトが学ランをピシッと着たところで、二人は高校の敷地内へ足を踏み入れた。

 授業が終わった学校は、下校する生徒や部活にいそしむ生徒ばかり。何も持たずに校内をフラつく二人が怪しまれることはなかった。途中で睦月に声をかけられて心臓が凍りかけたが、すぐにアヤトの魔法で顔見知りの同級生として認識された。

 彼は肩にスクールバッグをかけていた。

「二村とアヤトはまだ帰らないの?」

「うん。佳乃ちゃんに用があるから探してるところ」

 一年生の教室の前ですれ違った睦月は、学ランの中に白いパーカーを着ている。

 彼は腰に手をやって空中を見つめた。

菊地きくちかー。もしかしたら魔女の家に行ったかもしれん。行くか迷ってたらしいからな」

「それならもう来t────ぐっ」

「何?」

 危うく口を滑らせそうになった翼の口をアヤトが押さえた。

「いいや。なんで?」

「菊地さんは禁断の恋をしてるからだよー」

 睦月ではなく、話が聞こえたらしい二人の女子生徒が答えた。

 彼女たちは肩にかけたスクールバッグにおそろいのぬいぐるみのキーホルダーをつけている。ロングの髪をそれぞれウェーブをかけていたり、ゆるく三つ編みにしていた。

 何も知らないのを装い、アヤトは二人に佳乃のことを聞き出した。

 返ってきたのはやはりと言うべきか、佳乃が家に相談に来て話したものと同じ。だが、最後に興味深いことを言い残した。

「たぶん職員室だよー。授業の後にノートを集めてたじゃん」

「今頃立ち話してんじゃね?」

「教えてくれてありがと。……ところで君たちはなんで知ってるの?」

 佳乃はおとなしくて彼女たちとタイプが違う。接点は無さそうに見えた。

 翼の疑問に二人は顔を見合わせ、手を叩いて笑った。

「見てれば分かるよ! 先生が好きなんだよ。先生と話すチャンスがほしくて理科係になったらしいしね」

「菊地さんってクラスの男子には冷たいトコあるけど、先生の前ではデレデレしてるもんね~」

「そうか……? 女子ってよく人のことを見てんだな」

 それは睦月も知らなかったのか、意外そうに苦笑いをした。彼は男子生徒に肩を叩かれ、”バイバーイ”と手を振り返した。

 話は終わったと察した彼女たちは、手を振りながらその場を去った。

 睦月もスクールバッグを持ち直し、片手を上げた。

「じゃあ俺もそろそろ帰るわ。この後いとこのデートの邪魔しに行くんだ」

「じゃ……邪魔?」

 デートの邪魔ってそんな野暮な。ツッコもうかと思ったが、いとこ、という単語にハッとした。

 睦月は片頬を上げて不敵に笑んでいる。

「相手がとんでもねーヤツだからさ、ほっとけねーんだよ。本当に手がかかるヤツだぜ……」

「お前もおもしろいことをするんだな……。相手の男にやられねーように気をつけろよ」

 アヤトが自分のあごをなでながら目を細めると、睦月はうれしそうにほほえんで”あれ?”と動きを止めた。

「なんで相手が男って……?」

「頑張れ睦月君!」

「お……? おう!!」

 睦月と別れると、翼とアヤトは職員室に向かった。

「おもしろいこと考えたのね、睦月君」

 勇敢な少年が今、彼なりに作戦を立てていとこ────葉月の目を覚まそうとしているのを知って嬉しくなった。

 デートの邪魔、という高校生だからこそできる大胆な作戦。若いっていいな……と翼は、すれ違う生徒たちの笑い声を聞きながら顔をほころばせた。

「あらあら。まだ結婚もしてないのに母親みたいな顔してる」

「え?」

 腰を曲げて顔をのぞいたアヤトは、突然姿勢を正して立ち止まった。

「ささ、制服のお母さん。職員室に着きましたよ」

「そんなんじゃないわ」

 妙な呼び名に口をとがらせると、”おっとっと、不機嫌な女王様のお出ましだ”なんてからかい口調になる。

 手刀をくらわせると、アヤトは脇腹を押さえながらわざとらしいうめき声を上げた。

「悪魔に手を上げるなんて大した人間だ……」

 これから職員室に乗り込む────否、お邪魔すると言うのに、おどけている彼からは緊張感を感じない。彼のことだからきっと、今回も翼の後ろで澄ましているのだろうが。

 翼は職員室の引き戸の前に立ち、まるで高校時代に戻ったように錯覚した。

 あの時は職員室に入るのが苦手だった。入口で顔を真っ赤にして口ごもり、”どうした、がんばれがんばれ”と通り過ぎる教師に肩を叩かれたものだ。

 職員室に入るには学年とクラスを添えて名乗るのだが、誰もこちらに顔を向けていないのに声を張り上げるのが死ぬほど恥ずかしかった。見られていたら見られていたで恥ずかしいが、名乗り終わるまで反応が返ってこないのが翼にとっては居心地が悪かった。

────あ、二村さーん。提出物だよね、ありがとー。

 そんな時、気を遣って顔を向けてくれるのが夢原だった。大きく手を振って翼のことを招き、人のよさそうな笑みで迎えてくれた。

 今なら何のためらいもなく入れるだろう。社会人になってから、取引先が待つ応接室へ何度も立ち入ってきた。初めこそ部屋へ入って初手の挨拶で噛んでいたが、今ではどんな相手が待っていようが心臓をバクバクさせることはない。

「彼氏と一緒に職員室? 若いわねぇ」

 職員室から出て来たのは、胸にプリントの束を抱えた女性教師だった。四十代くらいの彼女は、翼とアヤトのことを交互に見てほほえんだ。

「そっ、そんなんじゃないですよ!」

「無理に否定しなくていいの。お似合いよ」

 翼は体の前で手を振ったが、アヤトは調子に乗って彼女の肩に腕を回した。

「そうでしょう? まだ付き合って日が浅いから恥ずかしがってるんですよ~」

「あらあら、可愛いことじゃない。アヤト君が彼氏ならうまくリードしてくれそうねぇ。二村さんも堂々としていいのよ」

 こんなことをしている場合じゃないのに……と、翼は肩を抱く男をにらみつけた。かかとで踏みつけると、彼は一瞬だけ顔を歪めたが涼しい表情で声を切り替えた。

「ところで先生……中に菊池さんがいませんでしたか?」

 彼の本業のようなふるまいに翼は半目になった。何をこんなところでかっこつけているのだろう。仕事モードで胸に手を添えているが、学ランのせいでちぐはぐに見える。

 ずいっと顔を寄せた彼に頬を染め、彼女は職員室に目をやってうなずいた。

「いたわ。提出物を届けに来たみたいだった……」

「そうですか。教えて頂きありがt」

「ありがとうございます! それでは!」

 彼女の手をそっと取った彼は手の甲にキスを落としそうだった。そんなキザなことをする生徒がいるものか。翼は学ランの襟を強めに引っ張った。

「失礼しま……」

(あ……なんて言うべきかしら……)

 職員室の引き戸を勢いよく開けたはいいが、用事があるのは生徒だ。教師ではない。

 おとなしく廊下で待ってるべきだった……と後悔し、昔と同じように顔を赤らめてだまりこんだ。

 翼の肩を押しのけ、アヤトは職員室を覗き込んで”おっ”という顔をした。

「いるじゃん、佳乃ちゃん」

 彼が指差した方向を見ると確かにいた。ほんのり顔を染め、嬉しそうに話している。その表情には見覚えがあり、翼はなるほどと納得した。

 きっと彼女は今、例の好きな先生と話しているのだろう。大量のファイルが入った棚で相手は見えない。

 佳乃は最後に深々と頭を下げ、こちらへ向かってきた。

 同時に相手が椅子から立ち上がった。

 その顔を見た瞬間────翼の中で様々な想いが弾けた。鼻がツンと痛み、唇に力が入る。痛んだわけではないのに、胸の辺りのリボンを掴んだ。

 懐かしい。苦しい。切ない。

 もう会うことはないと思ってたけど、心の底ではずっと会いたかった。

 あの時もっと笑顔でいられたら。もっと話し上手だったら。

 あの頃の後悔の念が押し寄せてきて、心が苦しくなってくる。

(ダメダメ、今は……仕事中だから……)

「二村さん……?」

「……っ!?」

 泣いてしまいそうなのをこらえていたら、懐かしい声が降ってきた。半分戸惑いが混ざっている。

 温かい声にふれ、強張った顔も抑えていた感情も爆発しそうだ。

「どうして君がここにいるの? その姿は……」

 思わず顔を上げると、ずっと忘れられなかった相手がポカンと口を開けていた。

 ふわふわの天然パーマ、丸いレンズのメガネ、前が開いた白衣。容姿も身に着けているものも、当時とほとんど変わらない。

 その顔は驚きと、翼の泣きそうな顔に気づかわし気な心情が織り交ざっていた。八の字眉がたれ下がっている。

「ユメ先生……?」

 佳乃は白衣の後ろから顔をのぞかせ、二人の顔を交互に見た。

 彼女は表情を曇らせて上目遣いになった。彼の視線を独り占めする翼に、嫉妬しているようにも見える。

「……ごめんなさい!」

 魔法が解ける零時を迎えたシンデレラのように、翼はその場から駆け出した。

「ユメ先生、今のって……」

「二村さん!」

「ちょ……え!? 翼ちゃん! どこ行くの!」

 アヤトの声が聞こえたが、翼は振り向くことなく廊下の先へ消えてしまった。




 走っている途中でアヤトに手を掴まれた。振り向くのはおろか、顔を上げることもできなかった。

「翼ちゃん……。とりあえず帰ろ?」

 いろいろ察したのだろう。アヤトは優しい声で手を離すと、肩にポンと手を置いた。

 家に帰ってきてとりあえず着替えた。

 ふと、開きっぱなしの鏡台が目に入り、鏡に自分の姿をうつした。

 すでに今の年齢の姿に戻っている。鏡に近寄ると、赤くなった目と目が合った。

(ユメ先生……)

 九年越しに再会した彼の姿が目に焼き付き、忘れられない。

 そしてなにより、優しくおっとりとした優しい声。体にじんわりと広がる声は、翼に淡い気持ちをよみがえらせた。

 彼はあの時と何も変わっていない。童顔のせいもあるが、雰囲気も声もあの時のままだった。そうでなければここまで動揺しない。

 彼が歳を重ねて意地悪い顔になってたり、中年太りして少しでも変わっていたら幻滅していたのに。

(なんであの学校にいたのかしら……赴任? でもこんなことって……)

 知らない間にこんな近くで過ごしていたなんて。翼は未だ信じられない気持ちで、胸を押さえた。

 少しでも気持ちを落ち着けようとキッチンに入った。しかし、茶葉の入った缶を落としてそこら中にぶちまけてしまった。

「あーあー……」

 大きな音に気づいたアヤトがキッチンに入ってきて、まごついている翼の肩に手を置いた。

「片付けは俺がやるから。君は座ってなよ」

「……ごめん」

「何が」

「勝手に逃げたこと……」

 翼は床に散らばった茶葉を見つめながらつぶやいた。

 アヤトは深いため息をつくと、ほうきとちりとりを持ってきた。床に転がった缶を立て、小さな声でささやいた。

「……さっきのが君の好きな男なんだな」

 翼はだまってうなずいた。もう隠すことはない。否定したところで意味はないし、あんな姿では一目瞭然だろう。

 それに、アヤトにだったら何でも話せる。

「────ユメ先生のことが好き。佳乃ちゃんには悪いけどもう、魔法は使えない」

「翼ちゃん……」

 自分のわがままをさらけ出したのはこれが初めてかもしれない。

 相談者に寄り添ってきた優しいお姉さんの姿はもう無い。今の彼女は、ただの恋する女性そのもの。

「人の好きな人に近づきたいなんて大人げなさすぎるかな……」

「そんなのは関係ない。あの男を好きなのは君も同じで、むしろ君の方が長いだろ。歳だって君の方が釣り合いが取れるじゃん」

「でもあんた、前に歳の差なんて関係ないって言ってなかったっけ」

「そ……そんなこともあったけど! あれは励ますために言っただけで……」

 ほうきとちりとりを手離し、大きく否定するアヤトの姿がおかしくて笑ってしまった。

「変な悪魔さん。優しいのね」

「人間の中で生きていればね。特に君とは一緒に暮らしたから、情が移ったのかもな」

 そばにしゃがんだ翼は膝に頬杖をついた。缶を手に取る。

「なんだかあんたと話してたら元気が出てきたかも。お茶をしたら買い物に行こうか」

「いいね。今日は俺も休みだから、たまには酒でも呑んで、翼ちゃんの高校時代の話でも聞き出すかな~」

「私はあんたの悪魔時代の方が気になるけどな……」

 確かに翼の過去の話は夢原のこと以外はあまり話したことがない。しかし、それはアヤトも同じ。彼の方が過去を話さない気がする。

「こうして人間と一緒にいるの? ばっちゃとは長い付き合いなんでしょう?」

「人間といることもあるねぇ……。風子と過ごしたのも楽しかったし、魔王にちょっかいかけるのもおもしろかったな」

「魔王!? マジでいるの?」

 話しながらアヤトは、ほうきとちりとりで茶葉を集め始めた。

「うん。彼はもう、人間として生きてるけどね。絶賛婚活中だよ」

「え~……。ゲームの中だけの存在じゃないんだ。しかも婚活中って……。随分人間臭いわね」

「おもしろいだろ。でもなかなか相手が決まらないんだぜ」

「そうなの……? ってあんた、笑うのやめなさいよ。失礼じゃない」

「いいのいいの。たった一人の女と添い遂げたいとか、大真面目な顔して言ってるのが似合わな過ぎてマジウケる」

「あんたってヤツは……根っからの悪魔なのね……」

 せっかく穏やかな雰囲気で彼の話を聞いていたのに、彼の腹黒さが顔をのぞかせた。やっぱりコイツが人間なのは見た目だけだ……と呆れた。

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