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桜嵐~古今東西人外異聞録~ 第一話                                                             

 征司(まさし)は幼い頃から神社に通い、神主に会うのが好きだった。いつも簡素な小袖と袴を身につけ、静かで穏やかに笑っていることの多い人だった。いつも征司のことを優しく見つめ、頭をなでる。

 彼は征司にこの世界の不思議な話を聞かせ、小さな村で外の世界を見せてくれた。

────いつかこの村を出なさい。お前にはもっと自分を活かせる場所が他にあるはずだ。

 神主のこの言葉は征司の耳に残り、いつしか外の世界を実際に見たいと望むようになった。

 自分を活かせる、の意味は成長した今でも分からないが、あまり深く考えることはしなかった。



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「おーい。せーめーさーん」

「……なんだ、またお前さんか。相変わらず気の抜けた声をしおって」

 野菜を乗せた籠を持ち、征司が古びた神社の境内で声を上げると、奥から若い神主が現れた。不機嫌そうに眉間にシワを寄せている。

「せーめーさんは相変わらず堅苦しいですね」

「腑抜けた真似ができるか。あとお前、せーめーはやめろ。清命(せいめい)と呼べ、せいめいと」

「え~……呼びにくいじゃないですか」

「人の名前をなんだと思っているんだ。出禁にするぞ」

「それは勘弁してくださいよ~」

 征司はヘラヘラと清明に近づき、手に持っている籠を渡した。中には籠いっぱいに乗せられた野菜。

「はいこれ。ウチで取れた野菜です。皆さんでどうぞ」

「なんと立派な……ありがたい。頂戴する」

「たぶんこれが今年最後の夏野菜だって母ちゃんが言ってました」

 清命はつややかな野菜に目を細め、頬をわずかに綻ばせた。彼は夏野菜が大好物だ。

 征司はそんな清命の様子を見て満足そうにほほえむ。そして、小袖の帯に根付で留めた巾着を取り外した。

「あとこれ、じいちゃんに」

 入っているのは薄紙にくるまれた豆大福。

 それを見た清命は、神社のそばにある自宅に顔を向けた。

「自分で渡すといい。きっと父も喜ぶ」

「はい────じいちゃんがいなくなってからもう十年か……」

「お前さんはこんなにちっこい時からここに来ては父に遊んでもらっていたっけな」

 清命は籠を持って動かせない手の代わりに、視線を地面に向けて片頬を上げた。

「清命さんはあの頃、今より無愛想でしたよね。俺、子どもン時に清命さんと喋った記憶が無ぇもん」

「私は子どもが嫌いだから」

「正直に言っちゃうのかよ……。なんでそんな人が誰でも来るような神社で神主になったんです?」

「後継者が私しかいなかったからだよ!」

「あ……なんかそれはスミマセン…」

 征司が苦笑いしながら頭をかくと、清命は歯ぎしりをしてこめかみに血管を浮かせた。

 しかし、すぐに視線を地面に落とす。

「両親はなかなか子宝に恵まれず、やっと授かったのが私だ。その時にはもう次の子どもを産めるような年齢ではなかった。だからこれは致し方ないのだ……」

 二人は狭い境内を見渡し、小さな拝殿を見つめた。

 賽銭箱は経年劣化でひどく黒ずんでいた。本殿は薄暗く、中の様子が分かりづらい。先ほどくぐった鳥居も色がはげて木目がむき出しになっている部分がある。

「神様が逃げ出しちまいそうな暗さですよねー……」

 昔はもう少し人が訪れていたし、小さくても立派でこんなに古びてはいなかったのだけど……と征司が思い出していたら、清命が肩を震わせ始めた。目の下を暗くして。

「お前は次から次へと余計なことばかりを……」

「ひっ」

「出てけ! この聖域から出ていけ!」

「で、出たぁぁぁ!!!」

 清命は真っ赤な鬼の形相で怒鳴り散らした。

 鬼から逃げるべく、地面から飛び出た石にけつまずきながら征司は体を反転させ、勢いよく駆け出した。



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 清命をなんとかなだめ、征司は彼と共に彼の家へお邪魔した。

 清命は自分の両親が亡くなってからは親戚の家族と暮らしている。彼らとは征司も幼い頃から付き合いがある。

「ただいま」

「おかえり、兄さん────あっ」

 引き戸を開けて現れたのは、花柄をあしらった着物を着た可愛らしい少女だった。

 桃色の長い髪を二つにまとめ、前髪は眉の辺りで綺麗に切りそろえている。 

「征司もいたの……」

「よっ。じいちゃんに挨拶しに来た」

 征司が片手を挙げると、少女は引き戸の影から顔を半分だけ出した。その頬は髪色よりも赤みを強く帯びている。

「なんだよ、小紅(こべに)。人見知りかよ。幼なじみなのによぉ」

「だ、だって急に来るから……」

 小紅の声がしぼんでいく。

 彼女と征司は幼い頃に神社でよく遊んだ仲だ。しかしいつからか、彼女は征司と外で会うことを避けるようになった。

 こうして家に尋ねると話はするが、距離を置かれている……と征司は感じていた。

 それを黙って見ていた清命は鼻で笑い、早く入ったらどうだと勧めた。


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 征司は清命の父、忠之(ただゆき)の位牌の前に大福を供える。手を合わせると後ろで何かが置かれる音がした。

「いらっしゃい、征司君。忠之さんのためにありがとうね。それに立派なお野菜まで」

「ううん、全然」

 振り返ると小紅の母親がいた。盆に湯飲みとせんべいを乗せている。彼女は娘と同じ桃色の髪を持ち、頭の後ろで団子状にまとめている。

「ほら小紅。あんたもこっちに来たら?」

 母親は部屋の前で突っ立っている小紅に手招きした。彼女は小さくうなずくと、母親の後ろで正座をした。

「なんでそんなに離れてんだ? こっちに来ればいいじゃん」

「……ここでいいの」

 征司が自分のそばをパシパシと軽く叩いたが、小紅はほんのりと染まった頬で首を振る。

 母親は”全くこのコは……”と娘に呆れた様子で、彼女の頬をつついて立ち上がった。

「久しぶりに会ったなら積もる話もあるでしょうし、私は買い物にでも行ってくるわ」

「え、 そんな、なんで!?」

「おっ。デケー声も出せるんじゃん」

「じゃあ征司君。ゆっくりしていってね」

「あざーす」

 真っ赤な顔で口をパクパクさせている小紅にはお構いなしで、母親はさっさと部屋の外へ出て行った。

 征司は自分の家のようにくつろぎ、母親のことを見送った。座布団の上であぐらをかき、湯呑みに手を伸ばす。

「小紅、いるか────おっと失礼」

 母親と入れ替わりでやってきた清命は、征司がいることに気づいて部屋の入口で立ち止まった。

「どうしたんスか」

「いや、小紅に繕い物の礼を言おうと思ってだな」

「へー。せーめーさんはこまめですねー。俺なんか母ちゃんに何か頼んでもそのままですよ」

「親しき仲にも礼儀あり……。その様子だとお前は嫁さんをもらってもあぐらをかいてるような亭主になりそうだ」

「あはは。嫁をもらうアテなんて無いんですけどね」

 征司は呑気に笑い、気にした風もなくせんべいをかじった。

 そんな彼を諌めるように清命は咳払いをする。

「……して、征司。嫁をもらうアテの前に好いたおなごはおらんのか」

「……はぁ?」

「もうお前も15。好きなおなごの一人や二人がいてもおかしくないだろう」

「二人なんてやだ……」

「なんか言ったか、小紅」

 ぼそっと小さくつぶやいた小紅だが、うつむいて首を勢いよく振った。

 征司は小紅の不審な様子も、清明の面白がっている表情も気に留めず、首をぼりぼりとかく。

「そういうのはいないですね~」

「そうか。早ければおなごは18になる頃に結婚する。お前が歳の近いおなごが好きならば、覚悟せねばなるまい……と思ってな」

「あ、そうですか。俺にはそういうのはいないから心配しなくて大丈夫ですよ」

 征司はお茶を挟みながら、一人で全てのせんべいを平らげてしまった。


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 清命の自宅を出た征司は彼と共に再び神社へ戻った。

「なぁ、せーめーさん。小紅ってあんな引っ込み思案でしたっけ?」

 二人で並んで歩きながら征司が問うと、彼は首を振った。

「引っ込み思案? そんなことはない。あれはちぃとばかし厄介な病にかかっているだけだ」

「病気? 大丈夫なんですか」

「そうだな。お前の鈍感をなんとかすれば小紅も治るだろう」

「俺が鈍感? どこが」

「そういうところだよ……!」

 清命は吹き出し、肩を大きく震わせながら目の端を拭った。

「いや、いいんだ。周りが言うよりも自分で気づいた方がいいに決まっている」

「なんなんだよ……はっきり言ってくれよ。俺が鈍感なのが本当だとして小紅の病となんの関係があるんですか」

「それこそ言えぬなぁ」

 清命は征司がどれだけしつこく問いただしてもはぐらかして答えようとしない。征司より頭一つ分ほど背の高い清明は、顔を四方八方へ向けて少年から目をそらし続ける。

「あれ……お前の弟じゃないか」

「ふぇ?」

 清命は道の先に見覚えのある少年を見つけ、征司の頭を掴んで前を向かせた。

「あ、サスケじゃん。あいつあんなとこで何してんだ?」

「うちの神社の前みたいだな…」

 サスケは征司の義兄弟。幼い頃、両親を亡くした少年だ。他に親族がいないという彼を、征司の家で迎えた。

「あぁ! 兄貴!」

「ようサスケ。どうした?」

 征司より二つ歳下で小柄な少年は灰色の髪を持っている。耳の上で編み込み、猫っ毛で柔らかい。

 一見すると少女と間違えそうだが彼はれっきとした少年だ。

 彼は近づいてきたのが見知った顔だと分かるとぶわっと泣き、義兄弟にむかって抱きついた。

「うわあぁぁぁんん兄貴ぃぃぃ!!」

「んなっ、なんだよ気色わりーな……」

「お、俺はおつかいの途中なんスけど……今日はいわくつきの桜並木の近くを通ったので神社でお祓いをしてもらおうと思って来たっス。でも神主殿がいなくて……」

 いわくつきの桜並木。その単語に征司と清命は顔を見合わせ、ため息をついた。

「あんなのは所詮ただの子どもだましだ……。もう大人になるお前が何をそんなに青い顔をしている」

「神主殿は霊力をお持ちだから守られて分からないんスよ。あれは桜が満開の春……。急に桜が花を散らし始めたっス。その内周りも見えなくなるほどの桜吹雪に包まれて、俺は息ができなくなりかけたっス。その一瞬……すこぉしだけ目を開けたらいたんスよ。女人が……」

 彼は当時のことを思い出したのか、自分の肩を抱いて身震いをした。

 それは村に伝わる噂話。その場所は人攫いがよく出る場所なので、子どもを近づけさせないための口実だ。

「女人……桜の精か。それならいいじゃないか。美しいおなごを一目見られたんなら幸運だろう」

「まぁ確かに綺麗でしたけど……でっでも! 桜の精は若い魂が好きで食べるって言うじゃないスか!」

「子どもが好きとか若い男が好きとかいろいろ噂はあるが、実際に神隠しにあった者はいない。お前は恐れ過ぎだ」

「うぅ~……神主殿、なんでもいいからお祓いをしてほしいっス……このままでは安心して家に帰れないっス!」

「分かった分かった……気休め程度にしかならんかもしれんが、御守りも持たせてやろう……」

「ありがとうございます!」

 清命が折れるとサスケは安心しきった顔になった。深々と頭を下げると早く本殿へ行きましょうと鳥居をくぐった。



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「ただいま~」

「おかえり」

 自宅に帰ってきた征司とサスケは母親に出迎えられ、板の間に座り込んで息をついた。

「清命君は元気そうだったかい?」

「相も変わらずだよ。あと野菜すごく喜んでた」

「そうかい、よかった。それにしてもあのコは男前に育ったモンだねぇ……。惚れ惚れするよ」

「やめろ母ちゃん。人妻が色気づくんじゃねぇ」

「なんだいこのコは……いいじゃないか! 母さんだってたまには目の保養のために若い男を拝みたいよ!」

「ぐぎゃあぁぁぁ!!」

 征司の母親は息子の側頭部を拳で挟み、ぐりぐりとめり込ませた。

 いたずら、母親へのからかい、家事の手伝いのサボリ。母親の背をとうに超えているというのに、お仕置きは幼い頃から変わらずいつもこれだった。

「くっそ……この馬鹿力ババァが……」

「なんだい、もっかい行っとくかい?」

「ひっ」

 ようやく開放され、征司は痛む頭をさすりながら小さく悪態をついた。当然それは目の前にいる母親の耳に届く。彼女はさも”第二陣はいつでも行ける”と言わんばかりに目を細めて拳を構えている。

「ウチの息子はどうしたってこんなんになったんだろうねぇ…」

「は……母上! 味噌を買って来たっス!」

「おや。ありがとう。あんたはバカ息子と違ってお利口さんに育ったねぇ……母さん、涙が出てくるよ」

「いやいや。調味料買ってきただけじゃん」

「あんたはおつかいに行きもしないだろう! 何を偉そうに座ってんだい」

「あたっ」

 母親は征司の頭をはたくと、味噌の壺を受け取って台所へ消えた。

 小紅の母親と違い、いかにも田舎の肝っ玉母さん、といったような母親だ。恰幅のいい体から出す怒鳴り声は迫力があり、征司はひそかに雷親父ならぬ雷ババァと揶揄している。本人に言ったら雷が落ちるどころか嵐が起こるだろう。

 征司は自分よりも可愛がられている義兄弟のことを見上げた。

「お前ってなんでそう、いいコなんだ?」

「働かざる者、食うべからずっスよ兄貴」

「それか~……痛いなぁ……」

 征司は基本的に家の手伝いをしない。好き勝手に神社に通ったり野原でぼんやりと空を見上げているのが好きだからだ。空を眺めるだけなんて暇じゃないのかと母親に言われるが、流れながら形を変えていく雲や場所によって微妙に色合いが違う空は見ていて飽きない。

「でも俺、兄貴がおつかいに出たら何かの前触れかと思っちまうかも……」

「はは、それは言えてる」

 何気なく失礼なことを言われたというのに征司は怒り出すどころか笑いながら肯定した。

「そういえば兄貴。おつかいに行く前に母上と蔵で片付けをしていたんスけど、しまった覚えのない不思議なものがあったんスよ。母上は兄貴が小さい頃にどっかで拾ってきたんじゃないの、って言ってたけど一応本人に聞いておこうと思ったっス」

「へ~……? せっかくだから見に行ってみるか」

 征司の家の外には小屋に近い見た目の蔵がある。季節によって使わない物や、いつかは使うかもしれない不用品をしまってある。


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 二人は外に出て例の物を見に来た。薄暗く埃っぽい蔵の扉を開け、細長い桐箱を見下ろす。

 扉のすき間から差し込む日の光に照らされた箱は、やけに眩しく感じられる。

「これか?」

「うっス。まだ中は見てないんスけど」

「本当になんなんだろうな……とりあえず開けてみるか」

 表面を払ったばかりの桐箱には細かい埃が残っている。征司は一瞬だけ手をこすると桐箱にそっとふれ、ゆっくりと箱を開けた。


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────じいちゃん、これはなんだ?

 その日の征司は忠之に連れられ、神社の蔵に入った。

 自分の家の蔵よりもずっと大きくて暗い。忠之は征司が見やすいようにと、ある物を外に持ち出して彼の前で開けてみせた。

────これはな、刀というものだ。侍の魂だ。いつか征司も持つ日が来るかもしれん。その時のためにこれをやろう。

────いいの!?

────いいんだ。きっとお前がこれを持つのにふさわしいから……。

 そう話す忠之の目が優しかったのをよく覚えている。

 刀を桐箱ごと受け取り、その重さによろけて刀を落としそうになって顔を真っ青にした忠之の顔も。


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(そうか、あの時の……。もうすっかり忘れてた)

 征司は桐箱のふたを持って固まり、食い入るように見つめた。

 中に収められているのは打刀。幼い頃に忠之に譲られ、家に持って帰ってとりあえず蔵にしまい、すっかり忘れてしまった。

「……これは確かに俺のだ」

「やっぱりっスか。あとで母上に話しておこ……」

「サスケ。俺はこの村を出る」

「出るって……でぇぇぇ!?」

 唐突の征司の決意にサスケはとび上がったが、本人は至極真面目な表情で刀を持ち上げた。

(じいちゃんと約束したんだ……)

 ある程度征司が成長した頃、忠之は自分が若い頃の話を始めた。いつもは不思議な話ばかりであったのに、彼が己の話をするのは初耳だった。

────私はな、かつてこの国を飛び回ってあらゆる人外(じんがい)に悩まされる人々を救ってきた。

────人外……?

────いつもお前さんに聞かせている話に出てくる、この世の人間ではない"何か"のことだ。私たち人間をからかうだけの可愛いいたずらならまだしも、命を脅かすような人外もいる。そのようなものを説得してきたのだよ。

────へ~……。じいちゃんかっけーな!!

 そう言って征司が目を輝かせると、忠之は大層嬉しそうに顔を綻ばせた。

────人々から感謝される、とてもやりがいのある仕事だったよ……。妻も清命も知らぬ、誰かに話したのは本当に久しぶりだ。あの頃は大変だったけど楽しくもあった。良き人外たちであればよい話相手になってくれたものだ。悪どい人外でも話せば分かるものもいる。ただ退治するだけではいけないのだ。

────その人外ってのはここにはいないの?

────あぁ、おらんよ。この村はこの神社が守っているから。

────俺も会ってみたい!どこに行けば会えるんだ?

────いる所にはいる、としか言えないなぁ……。

────じゃあ俺、もっとおっきくなったらじいちゃんみたいに旅に出る!旅に出て物の怪にたくさん会って、悪いヤツだったら俺が倒す!

────こらこら、簡単に倒すと言うものではない。ヤツらも生きている。尊厳を持って接しなければ。倒すのは"もしも"の時だけだ。良いな。

────そんなこと言ったって……もしもの時なんて分かんねーよ。

────これからもっと成長すれば分かる日がくるだろう。その時までに多くの書物を読み、たくさんの人と話しなさい。

────分かった!その代わりじいちゃん……。

────なんだ?

────長生きしてくれよ。じいちゃんがいなくなったらつまらなくなりそうだ。

────そうかそうか。私はそんな簡単には死なんよ。可愛い息子たちがいるからな。

 そう言うと忠之は、大きくてしわくちゃの手で征司の頬を包み込んだ。

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 その日の朝はやけに早く目が覚めた。

 格子の窓の外を見ると、まだ夜明け前だ。濃紺と橙が混ざり合わない空は見たことのない美しさで、征司はため息をついた。

 征司はよれた寝間着のままボサボサの頭をかいた。そして大あくび。

(これからはこれを外で見ることが増えるんだろうな……)

 昨夜、桐箱の中身を見せながら両親に全てを話した。

 最初は両親は真面目に話を聞こうとしなかった。しかし、いつもの征司とは違うキリッとした表情に気がついた。

「神主様に聞いた話を確かめたい、ねぇ……。いいんじゃない?」

「お前……!」

「よく考えたらおもしろそうな話じゃないか。私は賛成するよ」

「母ちゃん……!」

 初めこそ、子どもの頃夢見ていたことなんて……と母親は反対気味だったが、話を聞く内に”悪くない”と思い始めたらしい。

「あんたもそろそろ親離れしないとね。私らも子離れしないと。あんたが信じた道なら私らは見送るだけだ」

「母ちゃん……ありがとう」

「何も礼を言うようなことじゃないさ────サスケはどうするんだい?」

「俺は……兄貴について行きたいっス」

「そうかい……二人も一度にいなくなってしまうのは寂しいけど、大事な息子たちだ。ちゃんと見送るよ」

「母上、かたじけないっス」

 サスケは泣きそうな顔で頭を下げた。

 彼は実の息子である征司よりも可愛がられていたし、彼も母親によく懐いていた。

 我が家で一番権力が強いのは母親。父親は二人が旅に出てしまうことを渋ったが、ここで首を横に振ると後で怖い目にあうのを分かっていたので沈黙を貫いた。



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(これが旅立つ前の最後の手伝いになるかもしれないんだよな……)

 夜が明けると、征司は家を出てゆっくりと歩いた。片手には桶。

 二度寝する前に水を飲もうとしたら母親に、『畑から菜っ葉を取ってきとくれ』と頼まれたのだ。

 今までほとんどしてこなかった家の手伝い。最後くらいはちゃんとやろうか。征司は少し寂し気な表情で桶を持ち直した。

 征司の家の畑は自宅から離れた場所にある。サスケが恐れている例の桜並木を横目に通り過ぎ、神社の前を通りかかった。

 神社の前で掃除をしている清明に挨拶する。また後で来ると話したら、若干嫌な顔をされた。

「────征司君! 清明君!」

 再び歩き出した征司、掃除を再開した清明は同時に顔を上げた。

 声のした方を振り向くと、必死にこちらへ走ってくる女性がいた。着物の裾が乱れるのも構わずに。

 桃色の髪を後ろでまとめ、征司の母親とは正反対の見た目をした女性。小紅の母親だ。

 駆けてきた彼女は額に汗を浮かべ、肩で息をして咳き込んでいる。

「小紅が……! たすけてっ……」

「落ち着いて、朱鷺(とき)殿。小紅がどうした」

「連れていかれたの……!」

「連れてかれた? 人買いか!?」

 征司が桶に握り潰しそうな力をこめると、朱鷺は首を振って顔を青ざめさせた。

「桜の精よ……。秋になるのに桜が急に花を咲かせて、桜吹雪に巻き込まれたと思ったらあの子がいなくなっていたのよ…!」

 気が動転しているせいか、普段のおっとりとして優しい様子はそこに無かった。

 清命の腕にしがみついてかろうじて立っている状態で、膝は激しく震えていた。

「一体あの子を連れてどうするってのよ……」

 朱鷺は両手で顔を押さえるとその場で泣き崩れた。娘を失って慟哭する母親の姿を前にし、二人は顔を見合わせた。

「……朱鷺殿。とりあえず家に帰って亭主殿と待っていてくれ。桜並木へは私と征司が向かう」

「俺も?」

「あぁ。お前には来てほしい」

 そう言うと清命は足早に鳥居をくぐると本殿へ消えた。

 征司は目を赤く泣き腫らした朱鷺をゆっくりと立ち上がらせた。

 清命が何を考えているのかは分からないが、必ず小紅を連れて帰ると約束した。


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