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桜嵐~古今東西人外異聞録~ 第二話 

 むせかえりそうな桜吹雪に包まれ、意識を失った小紅は、自分が地べたに寝かされていることに気が付いた。

(ここは……)

 体を起こして周りを見回すと、辺り一面に桜の花弁が散らされている。土が見えないほど埋め尽くされていた。

 空はなく、薄紅色の背景が広がっていた。どこから降ってきているのか、常に桜の花弁が舞っている。

 とても美しい、見たことのない場所だ。

「目が覚めた?」

 彼女のそばに手をついたのは、薄紅色の髪を持った小さな少女だった。前髪を桜をかたどった髪飾りで留め、さくらんぼのようなあざやかな赤い瞳で小紅のことを見つめている。

「あなたは誰……?」

「私はあなたたちに桜の精と呼ばれているの」

「あの桜並木の……!」

「ち、違う! 私はあなたを襲いたいんじゃない。一緒に遊びたいだけなの……。それなのに人間たちは私のことを必要以上に恐れて悲しかった……」

 桜の精は泣きそうな顔でうつむいた。


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「どうすんですかせーめーさん! 桜の精から小紅を取り戻すなんてどうやって……」

 征司は清命を追って本殿に駆け上がった。

「おや。可愛らしかった少年が随分と成長したものですね」

「は……?」

 本殿には見たことのない長身の男がいた。計算されたように整った顔立ちは女にも見える。

 長い黒髪を下ろし、白い着物と紫の袴を身につけている。銀糸で描かれた紋様は忠之が履いていた袴と同じだ。

 征司は清命よりも背の高い男を見上げ、口をぽかんと開けた。

「やっとお前さんにも見えるようになったか」

「せ、せーめーさん? この人誰?」

「彼はこの神社に古くからいる式神だ。お前さんのことも小さい頃から知っているぞ」

「式神ってなんですか」

「まぁ……うちの神社の守り神と言った所だ。私の父の何代も前からこの神社にいる。時々何年も眠り込むが」

「それが今、この青年に叩き起こされたところなのですよ。どうやら娘御がさらわれたようですね」

 式神だと紹介された男は髪を一房すくうと、紙紐を使って後頭部でくくった。

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 三人が桜並木に到着すると、式神は桜の幹にふれて満開の桜を見上げた。

「……これは桜の幻ですね。桜の精のいたずらでしょう」

「それで小紅はどこなんだ?」

「今探しています」

 式神は地面に人差し指でふれ、清命と征司には聞き取れないような声量と素早さで何かを唱えた。

 その瞬間に落ちている花弁がふわっと舞い上がり、しばらくするとつむじ風が起きて花弁が渦を巻きながら空へ飛んでいってしまった。

「おぉ……」

 花弁がふたたびひらひらと落ちてくる様子に、征司は感嘆の声を上げた。手を広げると花弁が一枚、舞い降りた。

「……小紅!?」

「どういうことだこれは……花弁に小紅がいるじゃないか…!」

「これは桜の精と娘御がいる別世界の様子です。私の術でこちらと繋げました」

 再び見つめると、花弁の横から小紅とは別の少女が現れた。薄紅色の髪をした幼い少女は顔を真っ赤にし、手を激しく振って消えてしまった。

「どうやらこちらに気づいたようですね」

「あれが桜の精……子どもなんだな」

「見た目だけですよ。中身は高齢の女性です」

 式神は地面に木の枝で円と、その中に五芒星を書いて一回り大きな円で囲った。円と円の間に征司には読めない文字を連ねる。

 作業を終えると式神は手を叩いて払い、征司の手を取って自分の近くに引き寄せた。

「さぁ行きますよ、少年」

「お……俺?」

「桜の精を説得して娘御を取り戻すための鍵です」

 式神は再び呪文を唱え始めた。近くにいる征司でさえ聞き取れないが、次第に周囲の桜が激しく枝を揺らし始めた。

 花弁はバラバラと崩れるように地面に落ち、辺りは風に包まれて征司も目を開けていられないほどの暴風に変わっていく。

 小紅が朱鷺の前から姿を消した時、桜が吹雪いたと話していた。

 きっとそれはこの状況のことなのだろう、と征司は自分が飛ばされないように踏ん張っていた。



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 不思議なことに桜の精はどんなものでも桜から生み出せた。地面に散らばる桜の花弁をかき集めて彼女が念じると、それは様々な形に変わった。ままごと遊びをするための小さな調理道具も玩具の野菜も、かけっこをするための小さな動く人形も。しかしそれらは全て一定の時間が経つとただの桜の花弁に戻ってしまう。

 桜の精にお手玉を渡され、昔母に教えてもらったように披露すると彼女は手を叩いて喜んだ。小紅が手一言二言コツを教えてやると、あっという間に上達した。

 自分もお手玉を上手に扱えるようになって笑っている彼女につられて顔をほころばせ、ふと思い出したことがありお手玉を軽く握った。少女をじっと見つめ、背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

(若い男が好きとか若い魂を食べるとか言ってなかったっけ……)

「ねぇ、小紅」

 小紅の心情など知らず、桜の精はお手玉をする手を止めた。お手玉は他の物と同じように桜の花弁に戻り、彼女と小紅の手の平からこぼれ落ちていく。

「ど、どうしたの?」

 小紅は驚き、うまく笑えない顔で首をかしげた。そんな彼女の様子を気に留めず、桜の精は手の平に残った花弁を振り払った。

「あなたが小さい頃によく一緒にいた男子(おのこ)はなんと言うの?」

「征司のこと?」

「まさし……征司と言うのね。いい響き……」

 桜の精は小紅の幼馴染の名前を何度もつぶやいた。その度に小紅の中で別の感情が渦巻く。

 母親や清命が征司の名前を口にしてもなんとも思わないのに、この少女が呼ぶと心がざわめく。小紅は自分の心臓の辺りの着物を掴んだ。

「どうしてあなたが私たちのことを知っているの……」

「私は古くからこの地に棲む桜の精だよ。知らないことなんて、ない」

 桜の精は石の上で姿勢を正し、大人びた笑みを浮かべた。先ほどまでの無邪気さはどこかへ消えてしまったかのように。ずっと妹のようだと思っていたのに。

 それどころか彼女の目線の方が高くなり、角のない体型は年頃の娘らしく、果実のような丸みを帯びている。ビー玉のようだと思ったまん丸な瞳は横長になり、瞬きをするたびに柔らかそうなまつ毛が揺れた。

「ねぇ、征司を私にちょうだい」

「は……え?」

 大人の女っぽく色気と艶を持った声色。桜の精は豊かな胸の前で両手を組んで頬を染めた。

「私はあの男子が好き。私とこの世界で暮らして永遠に私のものにしてしまいたい。ねぇ、いいでしょう?」

「そんなこと言われたって……征司は誰のものでもないもの……」

「じゃあ私のものにしても問題ないってことね」

「だ、だめ! ……征司がいなくなってしまったら彼のご両親が悲しんでしまうもの。……私も、サスケも」

 桜の精が拗ねて膝に肘をつき頬を膨らます。

 なぜこんなことが伝わらないのだろう。彼女が人外だから人間的な思考回路を持っていないからなのか。

 小紅は困り果てて膝の上で手を握った。頼りない拳はいつもより一回りも小さく見えた。

 彼女がこの世界に征司を連れてきて永遠に閉じ込めたら、神隠しになってしまう。

 そして何より────小紅自身が征司に会えなくなってしまうのが耐えらえない。

「……征司は普通の人間なの。私だって。だからここにはいられない」

「征司は普通の人間なんかじゃない。彼だけは私を恐れなかった……。ほとんどの人間は私を恐れ、足早に桜並木から走り去ってしまうけど征司だけは違った。彼からは恐れを感じられなかった」

「征司はその……能天気であまり深く考えないから……」

 彼女は首を振って拒絶した。いかにも恋する乙女という表情で、早く征司に会って抱きしめ合いたいと願っているようだった。

 そして小紅に目をやると意地悪く笑ってみせた。いつの間にか立場が逆転してしまい、桜の精を見上げてしまうほど存在が大きく見える。

「偉そうなこと言ってるけど……その姿で将司の隣に堂々と立っていられる?」

「え────何これ!?」

 改めて自分の姿を見ると体が縮んでいた。短くなった手足は赤子のように肉がつき、長い桃色の髪の毛は肩先に届くほどしかない。花柄の着物は赤子が着るような地味な色合いの産着に変わっていた。

 驚きで言葉が紡げないでいる小紅のことを桜の精は嘲笑い、立ち上がった。

「あなたの肉体をもらったの。若い女はいいわ……」

「なっ、なんてことを……戻してよ!」

「い・や」

 妖艶に片目を閉じた桜の精だが、態度が急変した。苦い顔で舌打ちをした。

「なぜこうも早くバレた……」

「え?」

「おいたはそこまでです、桜の精よ」

 桜の精が顔をしかめた方向に振り向くと、髪の長い男がいた。男のまとう雰囲気は妖しいがなぜか安心した。

 すると、この場には不釣り合いな能天気な声が────今日はそれにひどく安心感を覚えて泣きそうになってしまった。

「おーい、大丈夫か小紅ぃー」

「征司……っ」

「……って、なんでこんな所に赤ん坊がいるんだ?」

「わ……私だよっ、小紅!」

「そうなの? 何がどうなってやがんだ…」

「あらかた、この桜の精の術でしょう」

「何? おい、小紅を元に戻しやがれ。小紅は連れて帰るぜ」

「だ……だめ! あなたがここに残るならいいけど……」

「身代わりってことか……いいぜ」

「何言ってるの!?」

「少年、人外とたやすく約束を交わすものではありません」

 式神が厳しい顔で征司の肩を掴んだが、彼はほほえみながら首を振った。

「大丈夫、ほんの少しだけさ。式神さんたちは先に戻っていてくれよ。五分経ったら強制的に連れ戻してくれ。さっきあんたがせーめーさんに頼んでいたみたいに」

 式神はため息をついたが、赤ん坊の小紅を抱き上げて踵を返した。

「五分だけですよ。それ以上は許しません」

「ありがとよ、式神さん」


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