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気まぐれ悪魔と魔女の孫 第六話

 この日も夕方に相談者が現れた。

 今日も雨が降ったが、時間が経つにつれて雨が止み雲がちぎれ、今は綺麗な夕暮れの空が広がっている。家の中にオレンジの光が射しこんできた。

 この日の相談者はいつものような高校生ではなく、翼より年上のOLだった。

 黒髪を後ろでぴっちりとまとめ、黒いジャケットにパンツ、ブラウスを合わせている。随分真面目そうな人だ。

 彼女は丸椅子の上で一礼した。

「妹から不思議な相談屋さんがいると聞きまして。突然お邪魔してすみません」

「いえ、いつもこのような感じですから」

 翼は彼女の前に温かいほうじ茶を差し出し、首を振った。

 相談屋さん。可愛らしい呼び名にまんざらでもない気持ちになる。それにこそばゆい。

 だが、OLの憂い気な表情に頬を引き締めた。

「私は葉月はづきといいます。職場のことで相談したくて」

「ほぉ……今の私ではあまりお力になれないかもしれませんが……」

「い、いえ! そんなことはないと思います! 私の悩みは仕事内容ではないんです。職場恋愛のことでして……」

「あ、どーもどーも遅れまして」

 緊張感なくリビングに現れたのは、パートナーの悪魔。彼は大胆にワイシャツのボタンを外し、ジャケットを肩にかけている。翼は無駄に色気を振りまく彼をぴしゃりと怒鳴りつけた。

「こーら前!」

「あ、ごめんごめん」

 ヘラヘラと笑っているアヤトはボタンを留め、翼の隣に座った。

 初っ端からゆるんだ登場に第一印象が最悪になってないだろうか……と、誠実さをアピールするために翼は背筋を伸ばした。

「実は私────職場の人と不倫しているんです」

「……おっと」

「はい?」

「あ……すみません。続けてどーぞ」

「はぁ……」

 腰を浮かせて話の腰を折ったアヤトだが、すぐになんでもないフリをして続きを促した。



 その日の夜。翼はスマホ片手に、自室の窓辺でくつろいでいた。

 あぐらをかき、時々体を揺らしながらスマホの画面を注視した。

(不倫かー……)

 スマホの画面には不倫の体験が綴られたまとめサイト。どれも生々しい描写ばかりで、もう不倫なんて二度としないという誓いで締められていたり、あの背徳感は他では味わないから今度はバレるまで粘りたいとか。後悔する者もいれば、味をしめて懲りずに何度も繰り返す者もいた。

(そもそも常識で考えたらマズいって分かるでしょうに……。本当に人間っていろいろいるのね)

 今まで仕事で出会って来た人間、ここにきてから出会った相談者たち。

 思えばいろんな種類の人間がいた。世間から外れた人がいたっておかしくないのだ。

────奥さんも子どももいるって分かってるけど、私にはその人しかいないんです。その人とあったかいお家で笑い合える時間があるなら、この人が外にいる間は私に分けてほしいんです。

 葉月が悪びれることなく言った言葉。ずっとそれが頭の中でぐるぐると駆け巡る。まるで催眠状態に入ったのか、自分に不倫の罪悪感が生まれて来た。そんな経験はないのに。

(うぅ……頭痛くなってきた……。こんなサイト見るのやめよう……)

 翼はしかめっ面で頭を押さえた。負というか陰の気というか。不倫の体験談を読んでいても気持ちよくはならない。

 彼女は眉間のシワをつまむと、今日は寝てしまおうとあくびをして立ち上がった。



 翼の部屋にアヤトが訪れると、あの雨の日のことを思い出して一人だけ赤面しそうになる。もちろん何もなかったのだが。

 夕方は門の前を通る人たちの足取りが早い。翼は窓から彼らを見守っていた。

 アヤトは相変わらずシャツをはだけさせていた。窓辺で佇む翼から半歩離れ、窓枠に両肘をかけている。

「俺ね、意外だったんだ。君が葉月ちゃんの不倫話に驚かなかったこと」

「そう?」

「うん」

 顔を合わせて彼はほほえんだ。対する翼は後ろ手で頭をかき、首をひねった。

「意外って言われてもなぁ……。不倫って割と聞くじゃない」

「ドラマで、とかはナシだよ」

「職場であったの。他の支店でもね。すぐに噂で回ってくるのよ。しょうもなかったわ」

「お、不倫反対派か。まぁ普通はそうだよねぇ」

「普通はって、あんたは賛成派なの?」

「いいや、巻き込まれなければどうでもいいタイプ。仕事柄それが原因の修羅場を何度も見たことがあるものでね。血で血を洗うってのはあのことだね」

 翼自身は不倫に賛成も反対もないが、いいものではないと思う。

 必ず誰かが不幸になる。家族がいるほうは家庭崩壊するだろうし、裏切られたほうは心を抉られる。永遠の傷を刻み付けられてしまう。

 修羅場には一生関わりたくない。不倫に憧れたことはないし、既婚者を好きになったこともないので大丈夫だろうと思いたい。翼は腕を組んでため息をつき、窓の外を眺めた。

「葉月さんもこの先、ロクなことにならないでしょうに。いい歳してんだからそれくらい分からないものかね」

「恋は盲目ってヤツさ。もうその人しか見えないんだよ」

「その先のことも見てほしいんだけど……。バレたら一巻の終わりじゃん。仕事を続けられないじゃない」

「まぁまぁ、他人のことさ。君がそこまで気にすることはないんじゃない」

「一応相談された身としては……ん?」

 彼女は庭の外に向かって目をこらした。今、誰かが門の前に勢いよく走って来てポストに手を突っこんだような……。

 郵便物ではなさそうだ。新しく飲食店やジムができたとか、怪しい宗教のポスティングかもしれない。

「翼ちゃん翼ちゃん。今の高校生だったよ」

「へっ?」

 アヤトが門を指差す。その先を見ると、フードを被った者がこちらを見上げているように見えた。フードを目深に被っているせいか、性別までは分からない。

「ポスティングのバイト? こんな時間に?」

「気になるんなら声かけてみようか。ちょっと変な気がする」

「別にいいけど……あぁっ!?」

 翼を押しのけ、アヤトは窓枠に足をかけた。そのまま庭へ飛び降り、背中から黒い羽をのぞかせた。

 翼はぎょっとした表情で窓枠に手をかけて体をのめりこませた。

 小学生の頃に”これくらいの高さだったら飛んで下りられるかも……”と窓枠に足をかけ、母親にひどく怒られたことがある。今考えれば骨折はする高さだ。

(あ、アイツ……!)

 さすがは悪魔、と言ったところだろうか。アヤトは羽をはばたかせると門を飛び越えて降り立った。



「やぁ。ウチに何か用かい?」

 アヤトが羽をしまいながら近づくと、フードに指を差された。

 目の前の人物はアヤトより頭一つ半分、背が低い。こんな時期に半袖のパーカーだ。袖からのぞく腕は意外と太く、どうやら少年らしい。

「ば……化け物……」

「化け物ってのはいただけないなぁ……。俺なんて人間に溶け込んでいるのに……」

「来るな!」

「そもそもウチに来たのは君の方じゃないか。話があるなら聞くよ?」

 目を赤黒く変色させると、フードの少年はその場にへたりこんだ。恐れられていることは気に留めず、アヤトは彼の正面にしゃがみこんだ。

「さぁさ、中に入ってよ。おいしいお茶でもどう?」

「くそっ……いらん!」

「まぁま。ちょっとおとなしくしてね~っと…」

 アヤトが少年の顔をのぞきこむと彼は眠りこけ、地面にうつ伏せになった。

 それと同時に家の中から翼が出てきた。靴のつま先をトントンと打ち付けながら、二人の元へ駆け寄ってきた。

「何してんの? 大丈夫?」

「だいじょぶだいじょぶ~。とりあえず家に連れていくか」

「家の外で変なことしないでよね……早く入った入った」

 瞳の色を元に戻す彼を見て、翼は辺りに視線を巡らせた。



睦月むつき君は葉月さんのいとこなんだ……」

「うん」

 白いパーカーを来た少年は、少し高い声で睦月と名乗った。

 葉月のいとこで彼女の家の近くに住んでいるらしい。今年高校生になったばかりで、葉月には幼い頃よく遊んでもらったと話した。

 いつものように翼の隣にアヤトが座り、目の前には客人。睦月はもうフードはかぶっておらず、翼に出されたほうじ茶を前にうつむいた。

「俺、アイツとよく電話するんだ。そしたら結婚してる人のことが好きで付き合ってるって……。俺はアイツが普通じゃない恋愛してるの初めて見たんだ。でもこんなこと誰にも言えなかった……。そしたらここに相談に行くらしいってアイツの妹から聞いて、止めなきゃって来たんだ」

「……で、ウチにこれを入れたんだ」

 アヤトが彼の前に白い封筒を差し出した。睦月が入れた物らしく、ここに書いてあることは今話したから、とアヤトから受け取った。

 睦月はアヤトの瞳のことや昏睡させられたことを覚えていなかった。おそらく悪魔がいつものように記憶操作をしたのだろう。

「ここにいる魔女に相談したら何もかもうまくいくって聞いた。アイツの不倫はうまくいってほしくないんだ。そんなの幸せじゃねぇもん」

「幸せかどうかなんてお前が決めることじゃないだろ」

「やめなさいよアヤト……」

 思いつめた表情でうつむいていた睦月がアヤトを睨みつけた。翼が小さな声で制止したが、彼はそれを無視して足を組んだ。

「お前がいとこに幸せになってほしいんなら黙って見守るべきだろ。本当に好きな人と結ばれることこそ幸せだろ。それを邪魔するお前は野暮だ」

 いつもより冷たいアヤトだ。男相手だからだろうか、翼にとっては初めて見る尊大な表情だった。

 アゴを持ち上げ、碧眼を鋭く細める。口元はいつものような笑みを浮かべていない。

 だが、睦月も負けていなかった。歯をむき出しにして目を吊り上げた表情はまるで獣だ。

「そんなのちげーよ! 相手の家族の幸せを引き裂く幸せなんて偽物だ!!」

 声は震えているものの、アヤトに言い返す度胸があることに感心した一。

 睦月はどうやら翼と同じ意見らしい。不倫は反対、葉月にはそんな道を歩んでほしくないと。

 翼が口を挟めずにいると、睦月は椅子をひっくり返して立ち上がった。荒い息を吐き、悠々と座っているアヤトの胸倉を掴んだ。

「チャラついたヤツには分かんねーよ……。あんなの間違ってる! なんでわざわざ結婚したおっさんなんか……。男なんて他にもっといる!」

「例えば自分……とか?」

「……っ!」

 人の心をのぞきこむような碧い双眸。睦月は声にならない声で狼狽え、アヤトから手を離した。

 アヤトはおもしろそうに口をゆがめると、膝に肘をついて手を組んだ。

「さすがは葉月ちゃんのいとこって言ったところかー……。無謀なのは同じじゃないか」

「べ、別にあいつのことなんか好きじゃねーし……」

「ん? 好きなんて一言も言ってないよ?」

「お前……!」

「いい加減にしなさいアヤト。歳下をいじめるんじゃない」

 ずっと黙っていた翼は彼の額をぴしゃりと叩きつけた。正直最後のはいじられ始めた睦月が可愛かった。

「ごめんね、いつもはこうじゃないんだけど……」

 翼はニヤけそうなのをこらえながら、どら焼きが入ったカゴを差し出した。

「睦月君は和菓子は好き? どら焼きを頂いたからよかったら食べて」

「あ、ありがとう……」

 翼の優しさが甘く染みたのか、睦月は頬を染めて座り直した。



 翼がキッチンに入ると、アヤトは今までの態度とは一変して睦月に笑いかけた。

「お前は高校生なのに自分を持っているんだな」

「急になんだよ……。チャラ男に言われても嬉しくねー……」

「素直に受け取れよ。それと俺のことはアヤトさんと呼べ」

「悪かったよ……」

 その”悪かった”にはいろんな意味が含まれているのだろう。睦月はここに来てから一番おとなしい表情でつぶやいた。

「今までも葉月ちゃんにやめとけって言ってきたのか?」

「言ったよ。でもアイツは相手にしてくれねーんだ。俺が子どもだからまだ何も分からないんだって言われちまう」

「それはもったいないな……。彼女にはこうも考えてくれる男がいるのにな」

「アヤト……さんたちは、他の大人とは違うんだな」

「まぁ魔女と魔女の手下だからね。悩める子羊たちの味方さ」

 キッチンから戻ってきた翼が苦笑いをした。ここに何人も相談者が来たが、魔女と直接呼んだのは睦月が初めてだからだろう。



「ウチのじーちゃんとばーちゃんが言ってた。この家には昔魔女がいて、最近戻ってきたって」

 正確には魔女の孫だが、細かいことは説明しなくてもいいだろう。翼は二人が対峙してないことに胸をなで下ろし、どら焼きを手に取った。

「葉月さんのことをよく知ってるようだから話すけど、確かに昨日来たよ。でもこちらからは特に何も言わなかった…………し、何も言えなかった。不倫相手に入れ込んでるようで、こちらの言うことに耳を貸してくれなかった」

 睦月は”そうか……”と息を吐きながら目を伏せた。

「子どもじゃ何もできないんだな……」

 そう嘆息する横顔は子どもらしくない憂いを帯びていた。

 アヤトは足を組むと膝を手で押さえ、睦月の自嘲に首を振った。

「子どもだからこそできることがあるんじゃないか? 大人だったら躊躇して言えないこともあるけど、お前ならなんでも葉月ちゃんに言える。やってみないか?」

 睦月の顔がパァッと明るくなった。さっきまでの表情が嘘みたいだ。表情がくるくると変わる無邪気さはやはり高校生。暗い表情よりずっといい、と翼は安心してほほえんだ。

「それでどうすればいいんだ?」

「お前を大人にする。葉月ちゃんがホレちまうくらいのイケた男にな」

「はぁ……?」

 固まった睦月に、アヤトはウインクして頬杖をついた。

「ここにいるのは魔女と手下だぜ? 出来ないことは無いさ」

「アヤトあんた……それ以上は言わない方が……」

 睦月が話についていけていない間に耳打ちすると、アヤトは翼の耳に唇を寄せた。

「……子どもには夢を与えるくらいの話がちょうどいいんだよ。」

 翼が眉をひそめると、睦月は頬を爪でかきながら視線をそらした。

「よく分からんけど……とりあえず葉月ちゃんってのやめろよ」

「え、いいじゃん」

「俺はお前よりもアイツのことを知ってるんだ。馴れ馴れしく呼ぶな」

「おー怖。嫉妬か?」

「うるさい!」

 真っ赤な顔で頬を膨らませた睦月の顔は可愛い。翼がこらえきれずに吹き出すと、彼は後ろ手で頭をかきながらうつむいた。葉月と同じ大人の女性には強く出ることができないらしい。

「あのさ……やっぱり俺、自分でなんとかするよ」

「大丈夫なの……?」

 もしかしてアヤトがいじめ過ぎて嫌になったのだろうか。それともアヤトの提案にこの家はヤバいと危険を察知したのか……。しかし、翼の不安を拭い去るように睦月は鼻の下をかいて笑った。

「うん。魔女の力で俺が大人になれたとしてもそれは、俺が頑張ったことにはならん気がするから」

「お前がそれでいいなら俺らは無理に引き止めないよ。頑張れとだけ言っておく」

「ありがとう。話を聞いてくれただけでも助かったから……もう大丈夫」

 睦月は少しだけ笑うと、立ち上がって翼に手を合わせた。

「ごちそうさま。……急に来てごめん」

「ううん。こっちは慣れてるから気にしないで」

「そっか。お茶もありがとう。魔女が淹れたのは一味違うんだな」

「そう……? あ、ありがと」

 睦月がこの家を出た後、翼はテーブルの上を片付けていた。トレーにマグカップやお菓子用の小さなカゴを載せる。

「睦月君、大丈夫かな……」

「大丈夫だろ。態度は生意気だけどしっかりしてる」

「意外と高く買ってるじゃない……。最初から優しくしてあげたらよかったのに」

「優しさは君が与えるだろ」

「何それ」

 アヤトは”別にー?”とはぐらかし、”もうすぐ出勤するね”とだけ言い残して自室へ引っ込んだ。

「あ、ちょっと! もう……」

 消えた彼の背中を追うように階段を見つめたが、テーブルを拭き始めた。アヤトは時々イタいことを言う悪魔なのは、今に始まったことではない。

 翼自身も睦月のことはあまり心配していない。タメ口だが思いやりのある高校生だと思う。人の悩みに親身になれるというか。

 むしろ心配なのは葉月の方だが、彼女が再びここに来ることは無いだろう。きっと睦月がなんとかする。

 翼とアヤトが揉め事に巻き込まれる心配はなさそうだ……なんて薄情なことは考えてはいないが、睦月の方がうまく立ち回れるのではないかと思えた。

 しばらくするとアヤトが二階から下りてきたので、玄関まで見送ることにした。

「ねぇ、最近思ったんだけど」

「何? 俺のカッコよさに気づいてホレそう、とか?」

「違うわバーカ」

 アヤトは革靴に足を滑り入れ、振り向いて翼に向かって片目を閉じた。しかし彼女は半目で悪態をつく。

「あんたの出勤スタイル。たまに早く出てくよね。なんで?」

「あれ、翼ちゃん詳しいね。もしかして俺の店のこと調べてくれたの?」

「前に自分で言ってたじゃない」

「あぁ、もしかして早くに俺が出発して寂しかった?」

「なんでそういうことばっか……」

 翼が呆れていると、アヤトは立ち上がった。ジャケットのシワを伸ばしながら。

「夕方の慌ただしい街を散歩するのが好きなんだよ。サラリーマンとかOLがやっと仕事が終わった~呑みに行くぞ~さっさと帰るぞ~って、気が抜けてる顔を見るのが楽しい」

「人の顔を見て楽しいとか変なヤツだな……」

「いやいや。翼ちゃんが考えてるような失礼なことは思ってないよ! なんかいいじゃん、一生懸命仕事した後に笑いながら帰ってる人って」

「ふーん……」

 せわしない生活とは縁がないからこその言葉なのか。アヤトの考えていることは未だに理解が追いつかない。

 彼は今日も、田舎だと目立つであろうスリーピース。ジャケットの襟を引っ張って整えた後、翼の頬をつついて笑いかけた。

「でも俺、翼ちゃんはキッツい仕事をした後よりも、人助けをしてお礼の手紙呼んでる時の顔が好き」

「え────?」

「それじゃあ今度こそ行ってくるよ。戸締りはしっかりね」

 赤い顔で惚けている翼にそれだけ言い残し、アヤトはドアの向こうへ消えた。

 翼は頭をブンブンと振って照れを追い払い、足音を響かせてキッチンへ戻った。

(アイツはホストだからあぁいうのは口をついて出るんだろうな……。私はただの同居人で、昔願いを叶えた女性の孫……)

 自分でも驚くほど、彼にほだされ狼狽えさせられてしまった。自分は彼の中で”特別”になっているのではないかと勘違いしかけるほどに。

 翼は両手でぴしゃりと頬を叩き、キッチンへ戻った。顔のいい男に甘い言葉を言われたくらいで揺らいではいけない。彼は悪魔でありホスト。恋愛対象にしてはいけない相手だ。

 彼女は顔をキリッと引き締め気持ちを落ち着け、流し台に置いたマグカップを洗い始めた。

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