絶望は終わりのはじまり
ネコタイムが終わらない
私がずっと猫してても、がむしゃらに働いてても
泣いていても、死んでいても、誰も何も困らない。
ものすごくシンプルで当たり前な話やけど自分の人生は自分だけの為にある。
とどのつまり人はいつでも独りだ。
家族がいても仲間がいてもそれは抗えない。
この活動を始める契約の時に、自分の魂も、時間も、自由も、命ごと全て捧げてしまったので
鼻水垂らしながら今日も生きる。
自分の人生を捧げるなんてエゴ極まりないけども、捧げる行為は祈り。
祈りはフラットで何も願わない。
良いも悪いもなく、ぐちゃぐちゃな今をただ捧げるだけ。
捧げて祈り、そして絶望する。
絶望するから祈るのかもしれない。
私の人生はいつも絶望から始まっている。
絶望とはネガティブなワードぽいけど、そうは思わなくて、むしろ全てを手放せる黄金ルートの入り口と思う。
絶望しないと、終われない。
終わらないと、始まらない。
今日も終わらせて、始めよう。
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