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絵本『きかせてあなたのきもち 子どもの権利知ってる?』原画展トークイベント③(文字起こし)

11月20日の『世界子どもの日』に合わせて、中野にあるシェアカフェ&ギャラリー『una camera livera ウナ・カメラ・リーベラ』にて、

絵本『きかせてあなたのきもち 子どもの権利知ってる?』長瀬正子・文/momo ・絵 ひだまり舎・刊 の原画展を11月16日(火)から12月5日(日)まで開催しました。会期中、トークイベントを3回行いました。

トークイベント① 11月20日(土)「世界こどもの日」 絵を描いたmomoさんの絵本ができるまでのお話と、原画展をやりたかった月と田んぼのトミヤマのお話。参加者の「あなたのきもちきかせて」の会。こちらの様子は、参加して下さった 「ともいき研究ノート」さんがレポートにまとめてくださいました。

トークイベント② 11月26日(金) NPO法人CPAO代表 徳丸ゆき子さんの「コロナ禍の子どもたちの今のお話」

主催した月と田んぼのレポート↓↓↓

トークイベント③ 12月3日(金)
文を書いた佛教大学准教授 長瀬正子さんと、絵を描いたmomoさんの絵本ができるまでのお話と、コロナ禍の子どもの権利のお話会。(書き起こし ゆっくり読んで20分ぐらいで読めます。)

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長瀬(以下、N) 皆さん、たくさんお話しして下さってありがとうございました。

 momo(以下、m) 皆さんすごく関心を寄せていただいて、様々な立場で、子どもの権利のことをすごく知りたいとか、知ってるんだけど上手く広まらないとか、知ってる んだけど、具体的にどういう風に自分は取り組めるんだろうかとか、色んなスタンスでいらっしゃると思うのですけど、正子さんは、ずっと研究テーマなんですよね。 子どもの権利、研究のというか柱。

 N もともと自分が子どもの権利条約に出会ったのが、中学生の時で校則とか学校の在り方でも、ほんとに倒れそうなというか、自分は本当に自己肯定感が一番低かったの ですけど、中学生の時に権利条約が採択されて批准されるまで5年かかってるんですけど、その頃中学生だったんです。 家が朝日新聞の子ども版をとっていて、何で批准がこんなに遅れているかということを問うてる記事だったのですけど、もう詳しくは覚えてないですけど、そんな記事で。 その時にそれを読んで、その時までずっと私は、学校の在り方に適応できない自分がずっと悪いと思ってましたし、そのころ学校でちゃんと耐えることができない子どもは 立派な大人になれないと散々言われていたから恐怖だったんです、私はちゃんとした大人になれないんじゃないかと。

 m 校則がきつかったんですよね。

 N 校則がきつかったし、宿題はこんなに出るし、なんていうか、子どもが息ができる余地がない。 そんな感じで髪の長さも決められる。髪型とか。 新聞記事を読んで、私が悪いんじゃないのかもと思ったのを覚えていて、でもその記憶もすっかり忘れていて。それから大学生になって市民講座で「世界規模で学ぼう子どもの権利」と言うのを見つけ て、あ、なんか知ってる、もっと知りたいと思ってその時CAPの人だったり、女性の暴力のことをやってる人たちの講座に自分がどんどん出かけていくんですけど、そうすると子どものころ を振り返る時間があって、そういうのがあって当時の自分を振り返ったときに自分が否定するものがすごく多かった中で、自分を温めてくれたもの中で思い出したものが権利 条約だったんですよ。 自分にとってはすごく光を照らしてくれたもの一つだった。 意見表明権て子どもの権利条約4つの柱があって一般原則というのがあるんですけど、大事にしたい価値みたいな。 差別の禁止と、意見表明と、最善の利益と、生きる権利。 その4つの中の意見表明が一番やられていると思ったので、日本の中の子どもがしんどいんじゃないかと思ったので、大学院に進んで今に至ります。子どもの権利は、 研究テーマの一つというか、私のバイブルみたいな。どんな時も、自分が意見を求められた時も、条文を見ますし共にある。

 m 私は逆に子どもの権利を大人になってから知ったんですね。 それも正子さんから教わって知ったのですけど、皆さんも子どもの権利と出会うタイミングは色々だったと思うんです。私の第一印象としては、子どもの時に知りたか ったていう事がすごいありました。 みなさんの自己紹介でもありましたが、自分も色々我慢して大きくなったな、自分の気持ちを押し込めちゃったな。 とか、もしかして、我慢しなくてよかったのかな? とか、家族に迷惑かけちゃいけないって気持ちがいっぱいあったから、家のことをほかの人に相談しちゃいけないとか、子どもって親をかばうじゃないですか。家の恥をさ らしちゃいけない。 そういうこと抱えて大きくなったので、なーんだ。なんか、国連ていうというところは、それを子どもはそういうものは守られて大きくなっていいんだよ。って言ってくれ てたのかー。 みたいな、あんなに私一人で背負わなくて良かったじゃないかとか、そういうものを感じたんですよね。正子さんから教わって。 じゃどうして、日本は32年前に批准しているのに学校でも教えてくれないし、先生も言わないし、なんか言うとわがままって言われるし、なんでかなって言うのがあるんで すけど、そのあたりはどうなんでしょうね。 なんかあんまり、学校教育の中に子どもの権利条約がリンクしていないよね。まだね。日本はね。

 N 教えるべき内容の中に入ってない、て言うのが、カリキュラムの中に入ってないし、教員の養成課程の中でも学ぶ機会がない。

 m 先生も知らない” 

N だと思いますよ。

 m じゃ、日本の子どもたちはどこで知ることができるんでしょう? 

N 心ある大人が教えない限り。 多分。運ですね。。。 と思いますけどね。。。 権利条約のことを学ばないかというと、学ばないことはないんですよ。 でもそれは、社会科の授業の一側面としてだけで学ぶから、なんだろう、「いい国作ろう鎌倉幕府」みたいな話と一緒というか、自分のものとして学ばない。 自分が当事者であるというものとしてなくて、権利を「教えよう」とするんですよね。教えて、「思いやりのある子にしよう!」ってするから。わかります? 「自分の権利を守る!だから、あなたも友達の権利を守ろうね!」ていう。 そういう文脈になりがちっていうか。

 m 人に迷惑をかけない範囲で自分の権利を主張しようね。みたいな。

 N 主張しようね。までも行かないかもしれないですね。 どこまでも、子どもっていうのは、大人が指導してこうついてくるみたいな価値観が多分あると思うと思うんですけど。

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m 皆さんにお配りしたプリントの中にもあるんですけど、 save the childrenがつくった子どもの権利の42条がとっても簡単に書かれているのがあるんですけど、私たちがこの絵本を作ろうと子どもの権利をいろいろ読んでいた時 に、3条ね。国民や大人から子どもにとって何が最も良いことなのか考えてもらう権利を持ってます。って言ったときに、子どもにとって最も良いことって言うことを提案し てるんですけど、子どもにとって最も良いことって誰が決めてどういうことなんだ?みたいな議論が立ち上がったんですよね。 その時に正子さんがいろいろ教えてくれて、そのあたりも皆さんとシェアしたいんですけど。子どもにとって最も良いことって私たちは大人はどういう風に考えたらいいで すかね?

 N 最善の利益って結構大人が好きな権利条約、中でも、子どもにとって最も良いことを考えようといったら盛り上がると。 しかし、大人が見えている世界と、子どもの見えている世界は違うので、子どもの声を入れていかないとほんとの意味での最善の利益は出てこない。 最善の利益の責任は私は大人が取らないといけないと思っているのですけれどもど。 どういう結論になったとしても。 でもそのプロセスでは、子どもの声を取り入れていくっていうのは大事かなっていう風には思ってます。

 m 子どもの声を聞くっていうのも、子どもの声を何でも聞けばいいていうことでもないんですよね。 子どもの声に「重き」を置いて、その状況を一緒に考える。 私は、障害のある方たちと普段接しているので、ここはすごく響くところがあって、障害がある人たちが自分の権利を獲得してくときに、私たちのことを私たち抜きで決め ないでください。っていうスローガンが当事者運動で起こったんですよね。 色んな制度を決めたりとか、何かに参加するとかしないとか、どこか行く行かないひとつにしても、周りの人が良かれと思って、あなたこういうこと大変だと思うからこう いうことしておいてあげたわ。とか、きっとこういうこと大変になるからと先回りしちゃうとか、あなたこういう好みがあるからこっちでしょ?と自分で選ばせないって ことがいろいろあって、障害のある人たちが私たちのことは、私たちに聞いてよ。っていう風に声を上げていったんですよね。やっぱり、人はその日の気分で体調で選びたし、 いつもクラシック聞いてるからクラシックいいでしょ?とか言って勧められても、ロック聞きたいっていう日もあるので、それを一つ一つ聞いていく。 それが叶わないとしても、じゃ、どうして叶わないんだろうかていうのを考えているし、それは無理っていうとすぐに決めつけるっていうか、さっき正子さんが言ってた、 プロセスの中に対話があったりとか、あきらめる過程の中にも対話があったりというのが、私は日々障害がある方とやってたりするので、子どもだってあるよね。って。 子どもだってちゃんと聞いて欲しいし、すぐに答えられないかもしれないけど、抱えてるよね。っていうのは思います。

 N 子どもは人だと思われてない。子ども人と認めていない社会なんだと思います。 昔、医療の領域で例えば自分の治療をどうしていくかって患者は意見言えなかったじゃないですか。 先生が全部決めてそれに従う。って感じだったのが、今だったらセカンドオピニオンていう考え方があったりする。 そういう風にいろんな当事者が声を上げてnothing about us without us 障害者運動のスローガンがていうのがあったり、子どもの当事者活動の中でも同じようにあって、私たちのことは私たちが決める。ていうのが日本以外の当事者活動の中で もスローガンとしてあるし、声って意見ていうのをまとまった形の意見みたいなのではなくて、例えば泣いたりとか絵を書いたりとかそのいろんな表現があるし、あと、里 親宅で育ったカナダの団体と日本の当事者活動って一番最初にできたCVVっていう大阪にある団体は、カナダとの交流会を真似ているんですけど、その若者たちがしてい るワークはneeds rights desire ていうワークがあるんですけど、ニーズと、権利と、欲望に色んなトピックを分けるんですよ。 例えば、ゲームをするは、ニーズかライツかデザイアか?

m 子どもとたち一緒にやったんですか?

 N それはあるワークなので、その時は若い人たちがグループごとに、あるトピックを話し合っていくときに使ったんですよね、それは今振り返ると深いなと思っていて、同じトピックでも人によっ て違うんですよ。 ライツなのかニーズなのかデザイアなのか。 これは誰にとっても権利あると思うんですよ。 子どもの声を聞こうとしたときに、もちろんわがままも聞こえてくるんですけど、ほんとに大切な声も聞こえてくる。 そのパークの社長をしていたアーミーさんというすごい素敵な人がいるんですけど、その人が子どもの声を聞こうとしたらいい声も悪い声も聞こえてくる。 それでも聞くことを恐れちゃダメなんだと教えられました。 「わがままだ」って人たちは、最初から子どもを人として見てないから、ただのノイズだと思ってしまう。 一緒に生きてる仲間というか、違いはいろいろあるんだけども、先ほどある方が、子どもの権利条例の話の中で「区民の中に子どもは含まれない。」という価値観もそうなんですけど、子どもっていう人たちをどう人だって見ていくかっていうところはまだまだ成熟してないって思うし、「きかせてあなたのきもち」の本でも、子どもだけじゃなくて大人も気持ち分からない人もいっぱいいるし、気持ちと権利がつながってるって思えたら、張り詰めた気持ちが緩むのかもしれないけど。私の人生は私のものとか、私の声は私のものだ!みたいな感覚って、大人 になるまで奪われてきたという事がある気がして自分自身は取り戻してきたという事があるんだけれども、そういう機会がなかったら、やっぱりこう、なかなかそう思えな いんじゃないかなって思う。

 m 3条の議論の中で、子どもの声を聞くためには、12条と13条が大事なんですよね。声を聞くために情報とか説明を子どもにちゃんとする。その子どもがわかる言葉とか、わかる方法でしないと子どもは声を出せないっていうこともありますね。何でも言っていいよって言われても、そんなにすぐに出てくるものでもないっていうか。情報を与えないで、考えなさいみたいな。 私も本を作っていく中ですごくいろいろ思ったんだけど、私たちが大きい人だとして、小さい人たちも一緒にこの社会を一緒に作る仲間、一緒に考えていこう、一緒に意見やアイデア出し合って作っていこうみたいな姿勢が足りてないっていないなと。日本はまだまだ親が面倒みるとか、躾るとか、騒いでると、親何とかして よ。みたいな、保護する対象ですよね。大人の目が冷たいなというか、みんな子どもでいたはずなんだけど。自分も子どもの頃はギャーギャー泣いてたはずなんだけど、大人になるとあなたのうちの子だから、あなた何とかして。みたいに、多分親御さんたちもきっとそういう社会から無意識に求められてるのかな?どんどん窮屈になってるなって思ってて、 みんなで育てよう。とか、いろんな人が見てるよ。みたいな社会になかなかならないですよね。

 N そうですね。 でも、小さい所では確かにそういうこともあるけど、よほどじゃない限りは私の周りは大体親切でしたけどね。大体。 でも、すごい怖い人は時々いたりするので、そういう時は、戦わねばと思って周りを見るけれども、一つには、全然子育てしなかった人がいて、想像すらできないんだろうな。み たいな私たちの世代にもほんとに何も家事してない男の人もいるのかなって思うけど。

 m この本を作っていく過程で、子どもの権利を広めたいし、子どもたちにとにかく届けたいし、ほっとしてもらいたいという思いあがありましたね。それと同時に 版元のひだまり舎さんからは、子育てしてしている親が攻められているような気持になったり、親にもっと頑張りなさいって、もっと子どもの気持ち聞かないとだめでしょっていう親を 責めるような本にはしたくないということを編集の過程で言ってくださって。 その辺り勘違いというか誤解されやすいことなんだけど、子どもの権利条約の中には、国や、政府が子育てしている親御さんたちをサポートしていきなさいよ。っていう条文もあるんですね。 18条、今うまくいってない問題や大変なことは全部家庭の問題にされているけど、いやいや、そうなっているのには訳があって、実は外側、システムとか制度とか、経済とか、働き方、ジェンダーの問題で親がそういうせざるを得ないところにいることが問題だっていうことをちゃんと指摘しているんだけど、うまく伝わってないのが、子どもの権利と大人の権利がぶつかっちゃうんじゃないか?とか子どもの権利を一生懸命守ろうとすると、こんなに子育て大変なのにもっとなんかしろっていうのかい。って親御さんたちが苦しくなっちゃう。 でも、そうじゃないってことも伝えたいねって話してたんですよね。

 N なかなか、子どもの権利は理解され辛いですね。理由の一つに、権利は資源を要求するので。その子どもの権利条約の勧告を、権利条約に批准した国は何年か起きに報告書を書いて、国連の子ど もの権利委員会が見て、政府が書いたものだと良いことしか書いてないかもしれないから、NGOとかのレポートとも併せて出すんですけれども、その時も最初に資源の話が 出てくるんですね。 資源分配がちゃんとなされているのかをキッチリ見るように。 資源ていうのは、子育ては時間とお金になってくると思うんですけど、子どもの話を聞きましょうとなったら、聞くための時間と余裕と、資源がいるわけで、でも、 その資源がないなかで権利だけ言われると、権利はネガティブな受け止められる危険性があるていうのは、研究者の人たちも言っているんですよね。 これ以上言わないでくれ、子どもの福祉の世界でも、やっぱり子どもの権利ていうと、世の中、日本の全般は子どもの権利という言葉すら知られてないんだな。 と、今回絵本を出してしみじみ感じたんですけど。 自分の中では、日常言葉だから、これを子どもの権利で考えたら常に関わってたりするから全然気づいてなかったんですけど、世の中の人全然知らない。 児童福祉の世界っでは、一応知ってるんです。染みわたってる。みんな知ってるんです。でも、標語みたい。 それがほんとに何を意味することかというところまで、腑に落ちてるわけではない。 で、やっぱり、子どもの権利となると何も言えなくなる、何も見えなくなる。けど、我慢する気持ち、おいおいこれ以上私たちに何をフォローしろっていうんだ。みたいな つぶやきみたいなものがあって、そのうえでの黙ってるというような状況になりがちで。 それは、ほんとに、十分な時間はなく、日々、子どもたちはいろんなことを起こし、その中で子どもたちにこれ以上何を。 それは、資源の不足に原因があるかもとはなかなか思えない。 パイ自体をどう分けるか、というよりも、パイそのものを大きくしていくっていうのも必要だし、国際的に見たときに日本は家族関係の比率でみたGDPでめっちゃ後ろのほ うなので、そういう社会の在りようで見ていかないとなかなか難しいなと思いますよね。

 m 正子さんの標準は、いつも一番しんどい子どもたちにありますね。その子たちに届ける本として今回の本も作りました。 児童養護施設だったり、家族関係が大変だったり、経済的に大変だったり。正子さんは社会的養護の子たちと関わってるし、卒業して大人になった人たちとも当事者活動に関わって、そういう子たちの声をいっぱい聞いているので、その子たちに届けたいとういう思いは強かったですよね。なので、もしかしたら絵本に出てくる質問が重いなと思った人もいるかもしれないんですけど、私たち が作っているときには、絶対この質問はしてあげたい。ていう質問も練りに練ったですよね。

 N 実際やってみるといろいろ考えさせられました。私は授業で学生さんとワークを順番にやっているんですけど、後半になると「ごめんね。やりにくかったね。」もうちょっと、どうしたらよかったかなっていうのは思っ たりすします。絵本を作るのは作るので、コロナ禍でほんとに早く出すという一つのミッションとしてあったので、私たちの中ではベストであったけど、当事者の声が反映された本ではない。 やっぱり、作者チームの思いが前面に出てる本ではあるので、近くの当事者の声を聞いてみてこのへん、どう思うかみたいなことをやる余裕はなかったので、時間的な制限 が大きかったから、 当事者の人が感想をくれたら「一番しんどいのは災害と書いてあるけど、災害と戦争以外はそう思ってはいけないのですか?」という問いかけをもらって。 「一番」ていらなかったな・・・ とか。自分たちなりに、難しい状況にいる子どもたちを否定するものにならないと思って書くけど、限界はあって・・・そっか・・・至りませんでした・・・ と思いながら どうでしょうね。そのへんは、読者に委ねてます。  

m みなさんも、感想があったら読者カードもありますし、ひだまり舎さんの方に率直な意見をいただきますと私たちに届きますので、こういうのは使いずらかったとか、 こういうのはちょっとわからなかったとか、重版できるかわからないけど、でも、やっぱりいいものを作りたいと思ってますのでお願いします。できれば一緒にワークブックが入ってるの ですけど、そういうのを使ってもらって、子どもたちの反応とか、こういうことが良かったよ。とか、こういうことがうまくいかなかったよ。と聞かせていただけたらと思います。 子どもにどうやって権利を説明しようかっていうのが今回の絵本のテーマで もあったんですよね。権利を子どもたちに絵と文でわかりやすく伝えたい。子どもにどうやって権利を伝えたらいいのかなっていうのを編集チームでうんうん唸ったんですけど、正子さんが子どもたちの気持ちを聞くってことを権利のスタートにしたどうだろう?と提案してくれました。権利と気持ちとリンクさせたことはとても大きな展開でした。そして、旧版は自費出版で書き込み式だったので図書館には置きづらいものだったのですが、今回はワークブックを付録にしてもらい、ハードカバーになったので図書館などにもに置ける形になりました。 本をお家で買える家庭もあれば、あまり親御さんが関心ない家庭もあるので、図書館とか児童館とかいろんなところで気になって子どもが手に取れたらいいなと思っています。ある方が、「子どもはという主語を「あなたは」に置き換えて読むこともできますねという感想を下さいました。子ども権利を語るためには大人たちが自分自身の気持ちから権利を眺めてみることが大切かなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました☆

今回の、原画展の様子は次のnoteで。

長瀬正子さんの活動、子どもと家族の小さな図書館「ちいさなとびら」
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版元の、ひだまり舎さん
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ワーク絵本「きかせてあなたのきもち 子どもの権利知ってる?」を広げるプロジェクト
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