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ショートショート。のようなもの#44『運命の赤いちゃんちゃんこ』

 その赤いちゃんちゃんこは、運命の赤い糸で作られていた。
 運命の赤い糸とは、もちろん特定の男女の小指から小指の間を繋いでいるとされている、あの赤い糸だ。
 その赤い糸が、織物職人の老婆の手により反物として織り上げられ、それを仕立てて出来上がるのが、〝運命の赤いちゃんちゃんこ〟なのだ。

 運命の赤い糸の調達は、老婆自らが行う。
 お店には、他の従業員もいるが、赤い糸を目視できるのが老婆しかいないのだ。
 老婆は、街中で仲睦まじいカップルを見つけると背後からそーっと近づき、男女の小指と小指の間をまるで綿菓子を作るかのように割り箸を握りしめ高速でこね繰り回して採取をする。

 その日のターゲットは、河川敷で寄り添い合う大学生くらいの若いカップルだった。
 老婆は、例によってそーっと背後から近づき、いつものように慣れた手つきで運命の赤い糸を採取していく。
 あれよあれよと言う間に、割り箸の先にはバスケットボール程の真っ赤な糸の玉ができあがった。
 もっとも、赤い糸を取られたカップルが後々別れてしまわないように人工的に作られた赤い糸を結んでから、その場を離れるのがマナーだ。
 カップルは何事なかったかのように、河川敷で肩を寄せ合い紅に染まる夕日を眺めていた。

 早速、持ち帰った赤い糸を直ぐ様、機織り機で反物へと紡いでいく。
 出来上がった反物を丁寧に裁断しながら一針一針ゆっくりと一晩かけて縫い上げていく。
 すると翌朝には、窓の隙間から降り注ぐ朝日に照らされて光る綺麗な〝運命の赤いちゃんちゃんこ〟が産まれていた。
 これを和箪笥で保管して、採取したカップルが後に結婚をして夫婦のどちらかが還暦を迎えるときに、ご自宅まで届けて無償でお譲りするのである。
 そして、これを着た者は、当時の初々しい恋心が再び芽生えて、例え夫婦関係が冷めきっていたとしても、その仲が修復するのだ。

 きょう、老婆が運命の赤いちゃんちゃんこを大切に抱えながら向かったのは、40年程前にあの河川敷で夕日を眺めながら寄り添い合っていた、あのカップルの元だった。
 玄関を開けると、とても優しい柔らかい笑顔が印象的な好好爺が出迎えてくれた。
 時間の流れというのは、恐ろしいもので40年前に赤い糸を採取した当時の面影は全くなかった。
 そんなことを思いながら、老婆が事情を説明すると、おじいさんは「そんなちゃんちゃんこがなくても、私たちは仲良しですよアハハ」と笑いながら嬉しそうにおばあさんを呼んだ。
 奥の扉が開くと、一緒に出てきたのは孫だろうか?ワンピースを着た3才くらいの女の子と手を繋ぎながら、ゆっくりと玄関の方へ歩いてくる。
 おじいさんが耳打ちをするように事情を説明すると、おばあさんは、照れているのか?なかなかちゃんちゃんこに袖を通そうとはしなかった。
 しかし、おじいさんが少し力を入れて肩に羽織らせるとおばあさんは、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。

───この夫婦は、学生時代からの付き合いだった。
男女何人かのグループで遊んでいるうちに互いに惹かれ合い交際を始め二年後に夫婦となった。
 今では、孫にも恵まれて、もちろん、仲は良いのだがお互いが抱いているのは、恋心とはまた違う家族としての愛情だった。
 だから、当時の恋心を取り戻せるものなら取り戻したいと願っていたのだろう───。

 赤いちゃんちゃんこを羽織ったおばあさんは、体の奥から温もりが込み上げてくる熱いものを感じた。
「これが、当時抱いていた恋心か…。懐かしい」
そうポツリとつぶやいた…。

************

 その後、何日が経っても何故だかわからないが、このおじいさんとの恋心が再び燃え盛ることはなかった。
 しかし、その代わりに、学生時代の仲良しグループの中の1人が頻繁にこの家を訪問するようになった。

 
            ~Fin~

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