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「この人を Google Map でフォローしておけば近所の散歩が楽しくなる」っていう人が久留米にいる。

ツキシマでーす。

車を持ってないのでいつもこの辺を歩きまわっておりますが、九州あたりは古い建物とか遺跡とか史跡とかが多くて楽しいですね。

歩いてきた犬。


ただ、パッと見て、なんだか分からない史跡も多い。

メジャーなものは説明板や案内板がありますが、大した説明がないものもあります。例えば、この写真の国府ってなんだい。

これは何かい。


久留米近辺を歩く人は、小澤太郎さんを Google Map でフォローしておくといいですよ。

すごいピンの数!久留米のいろんな史跡や観光地や寺社仏閣を中心に説明を書いてるっぽい。

久留米が真っ赤。

さっきの筑後国府後っていう石碑の書き込みを見てみましょう。

2期国庁とは東西の連絡道路を隔てた南東側、平安時代(9世紀後半)の国司館が連絡道路と直交する南北道路に沿って数区画並びます。国司館とは、中央から赴任してくる長官以下が住まう官舎のことです。中でも連絡道路に面した最も大きい国の区画は、平面プランは台形ですが、南北長95〜124m、東西75〜85mを測る広大なもので、平面規模は筑後国の国庁を凌ぎます。内部からは文書行政には欠かせない大量の硯類の他、輸入陶磁器、国産陶磁器の食器が大量に出てきます。このことから、国司館は行政の場であると同時に、様々な社交饗宴の場であったことが推察できます。なお、この国司館が造られた頃の著名な長官に、都朝臣御酉(みやこのあほんみとり)という人物がいます。彼はかつての班田収授を復活させようとしたために、私服を肥やす部下たちの反感を買い、元慶7年(883)館で暗殺されます。生真面目な長官だったようですか、既得権益は打破できなかったのです。

Google Map より

ものすごく詳しいし、口語体だから読みやすい!


どうやら久留米市の文化財保護課の人っぽい。

会ったことはない人ですが、文化財保護課の人だったら書き込みの内容も信頼性が高いですね!

うちの近所の石碑はどうかしら。

江戸屋敷記念碑って書いてあるっぽい。

明治維新となり、江戸の久留米藩屋敷勤務だった藩士で、久留米に居住希望する者には新たに造成された「江戸屋敷」が充てがわれた。現在、当時の道路や屋敷割りの面影は色濃く残るものの、建物はほとんど残っていない。

Google Map より。

石碑に書いてない補足まで書いてあるので凄いですね!


まとめ:こういうのが Google Map の一つの正しい使い方な気がするので、いろんな町でもやったらいいのに。

小澤さんの Google Map は、「この町が大好きな人が解説する豆知識」っていう感じがするので、楽しく読みながら近所のマイナースポットを巡っております。

ただ、他のいろんな町に旅行に行っても、こうやって専門家が Google Map で分かりやすく説明している町ってあんまりないんじゃないかなと思うので、こういう利用方法がいろんなところで始まるといいですね!

Google Map のピンが落ちてた。


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