人生RPG

わたしは、今でこそスマホゲームの一つもしませんが、
ファミコン世代なので、小学生の頃はRPGで遊んでいました。
特に好きだったのはファイナルファンタジーです。
2でしたかね?ジョブチェンジって、職業が変えられるやつ。
戦士や魔法使いはわかるけど、吟遊詩人がいたりする事
子どもの頃はただ不思議でした。戦いに向いてなくない?と。
ドラクエでも、遊び人ってのがいました。
レベルが最高まで上がると遊び人こそが最強のキャラクターになる、
という設定は、大人になった今だからこそナルホドと思えます。

人生はRPGみたいだな、と思うことはこれまでも多々ありました。
経験値を積んでレベルアップしていく。
HPもMPもお金も使えば減るけれど、経験値だけは減らない。
宿屋の引き出しを漁ってお金やアイテムを手に入れても
経験値は上がらない。
自分の力量より少し上の敵と対峙して物語を攻略していく。
無謀な戦いに挑んだら、いとも簡単に全滅する。
村人との会話に大事なヒントがあったりする。
プレイヤーは、仲間を自分で選べる。
物理攻撃に向いているタイプのキャラはHPも防御力も高い。
魔法で戦うタイプはMPが高い代わりなのか、HPや防御力が低い。
特性の違う者たちが適材適所でチームのバランスをとる。
実際の人間関係や、人生の物語にも当てはまるなぁと思うのです。

魔法使いが剣を持って戦っても別にいいけれども
戦士が魔法を覚えることも可能だけれども
資質に沿う=強みの上に築く ということだと思うので
特性を知り、得意を伸ばしていくことで
自分という人間を最大限に活かしていけるのではないでしょうか。

この世に生きる自分はゲームのキャラクターで、
ハイヤーセルフがプレイヤーだという仮定はとてもしっくりきて、
プレイヤーの視点を想像してみることで
物語に振り回されすぎないように意識の切り替えを試みるなど
いい感じに人生RPG説を支持できている✨と思っていたのですが
ごく最近、大きな氣づきがありました。わたしには
[ゲームの主人公は勇者ポジションである]
という思い込みがあったようです。
わたしが思う自分自身のキャラクターは、
カウンセリングやヒーリングを志すところからみても
回復系の魔法を好む、白魔道士のような感じかなと思います。
オールラウンダーで、チームの代表のような
勇者ポジションではありません。
わたしの夫は、わたしとは全くタイプが違い
白か黒かで言えば黒、身体能力に恵まれているし
若干チートの香りもするぐらいの特異なキャラクターです。
この面白い人と一緒なら、何かすごい事ができるのではないか?と
ワクワクしたまでは良かったのですが、どうもそれで
わたしの人生の主人公設定が
自分から夫に切り替わってしまっていたようです。
白魔道士というキャラクター性もあいまって、
自分を主人公の補佐役に設定してしまったなぁと思います。

この世に生きる自分がゲームのキャラクターならば
そのキャラクターが主人公のゲームに没入するのが
[自分を生きる]という事なのに、それができていなかった、
主人公設定を間違えていたと、やっと氣がついたのです。
直ちに生活が大きく変化した、ということはないですが
この氣づきは必ずわたしの人生に変化をもたらすと思います。
望みを臆せず伝えることや、感じたままに表現すること、
自分を犠牲にして他者を優先するのを当然だと思わないこと、
心がけていくつもりです。
わがまま放題したら良いという意味ではなくて
自分の快・不快の感覚を大切に、より素敵だと思えるものを選ぶことで
どんどん自分を愛していけるようになるぞという決意です。

結婚20年を迎える節目の年に、とても大きな変容の予感。
本当にありがたいことです。氣づくのに時間はかかりましたが
これまでの歩みも無駄ではないことは確かです。
なんせ経験値は減りませんから。
まぁ人生こんなもんかな…と妥協せず、
何歳になってもレベルアップを図れる自分でありたいと思います。

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