徒然草、夢。

他人の夢の話ほどつまらないものはない、なんて意見があるというのに
何故でしょう、夢を題材にアウトプットしたくなりました。
わたしは物心ついてから現在まで、ほぼ毎日夢をみます。
何度も登場する同じ街並みがあったり、
違う日の夢で同じお店を利用したり、
パラレルワールドみたいなもんなんだろうか?と思う、夢の世界。

子どもの頃によくみた夢で覚えているのは
薄暗い階段の踊り場にいるピエロを階下から見上げる夢や
鬼から逃げて、走っても走っても前に進まない夢など、ちょっと怖いもの。
父親が絵を描く人で、好んでピエロを描いていたのですが
可愛らしいタッチではなくて、どこか物悲しくて狂気の香りがする
リアルなピエロの絵ばかりだったので、恐怖の対象になってしまったようです。
他にも、おそらく 子どもの夢あるある だと思うんですが
家族旅行の出発時に自分だけはぐれて置いて行かれる夢など
不安や心配を反映しているとしか思えない夢ばかりが印象に残っています。

小学生の頃に見た夢で、おそらく一生忘れないのが
同学年の女の子を殺害してしまう夢。
現実で仲が悪いとか、苦手意識があるような相手ではなくて
会話すらした事がない、顔を知っている程度の女の子でしたが
ほんのわずかな不愉快を理由に[なんとなく]殺害してしまうのです。
机の上のものを退けるように、無造作に命を奪いました。
大騒ぎになっている周囲をぽかんと眺めながら
少しずつ自分の犯した罪を自覚していき、
その子の親御さんの深い悲しみなどを目の当たりにして初めて
自分はなんてことをしてしまったのだろうか!と
後悔して後悔して、苦しくて消えたくて。
コールタールで溺れ死ぬようなドス黒い苦しみを味わい、
はっと目が覚めた時の安堵ったらなかったです。
恨みや深い考えもなく[なんとなく]人を殺してしまう感覚、
自分の罪に気がついてからの、取り返しのつかない罰の感覚。
とてもリアルで、あれは立派な擬似体験だったと思えるぐらいです。
過去生でそのように人を殺めた経験があるのかもしれないですね。

子どもの頃はそんな感じでしたが、大人になってからは一転して
悪夢らしい悪夢をみた記憶がありません。
だいたい、しょうもない平和な夢をみています。
今朝は、大量の豆ごはんをせっせとおむすびにする夢をみてました。

悪夢といえば悪夢かな?と思う、珍しい夢が1つあります。
夢の中で、自分以外の何者かになることは滅多にないのですが、
その日の夢の中で、わたしは吉田美和でした。ドリカムの。
正確に言うと、吉田美和の姿形をしているのです。
意識は自分。鏡に映るのは吉田美和。しかもコンサート開始間際。
え、わたしが歌うの?今は吉田美和だから歌って大丈夫なの?
全く状況が飲み込めていないままステージに上げられ、
すぐにLOVE LOVE LOVE の前奏が始まってしまいます。
会場はファンでいっぱいだし、もう一か八か歌ってみるしかない!と
意を決して歌った  ♪ねぇ どうして〜♪の歌声が
完全に、わたしで。
いや本当にどうして……と、頭が真っ白になった瞬間に目が覚めました。
できれば、歌い出す前に目が覚めて欲しかったです。
ドリカムの熱烈なファンというわけでもないのに、何故こんな夢をみたのか。
何故かなんて考えてわかるものではないですが、この夢のおかげで
[一か八かの挑戦で失敗した場合、その失敗は一なのか八なのか?]
という疑問が生まれ、解決しました。八だそうです。語源にバチ(罰)もあるとか。

夢は潜在意識を反映していると言いますし、
所謂 夢占いというものは、ただの娯楽ではなくて
心理の読み解きのための立派なツールなのではないかと思います。
子どもの頃の夢に関して、怖いものしか覚えていないことも
今の自分が、子どもの頃のしあわせな記憶にフォーカスできていないから
怖いものしか思い出せないだけなのかもなぁと思ったりもします。
夢は夢、現実ではないから意味なんてないと位置づけることもできるけど
起きてみる夢だって現実ではないんですよね。
人を殺めてしまった夢の中で体験した、初動の安易さや事後の深い後悔は
罪を犯した人間の心情を慮る視点を増やしてくれたように思います。
たかが夢、と受け流してしまうには勿体ない世界だ!と
声高に主張したいところだったのですが、
先日聞いてみたところ、わたしの母親はほとんど夢をみないのだそうで。
あ、そういうパターンもあるか…と、冷静になりました。

逆に、というのは変ですが、わたしは起きて夢みる事がありません。
ないというか、感覚的にちょっとわからないのです。
思い描く、イコール夢で合ってますか?
思い描いたものに向かって生きていく事が、夢の実現なのだとしたら
起きてみる夢は、目標と同意語になるのかなと思います。
なんで同じ[夢]って言うんでしょうね。
突拍子もないような夢を口にする人、理由や根拠はなくても、
ただそうしたいんだ!と強く思い描ける人は、とても眩しい存在です。
思考を挟む余地がないものを、夢と呼ぶのかもしれませんね。

今頃気がついたんですが、ドリカムってDREAMS COME TRUEでしたね。
あの奇妙な夢は叶わなくてもいいとして、意味を見出すとしたら、
自分の声で歌うしかない。愛を叫ぼう、愛を呼ぼう、ってところでしょうか。
成功者の姿形になってみたところで、わたしはわたしだった。
何万人の観衆の前に立ちたいと思ったことはないけれど
わたしの声で、わたしの表現で、存在していたいとは思っています。


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