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世界チャンピオンから作家へ転身したボクサー、ホセ・トーレス プエルトリコの英雄と呼ばれた男の半生

 プロボクサーの”モンスター”こと井上尚弥による2階級・主要4団体での王座統一や、”神童”と呼ばれたキックボクサー・那須川天心の転向など、ボクシング界に注目が集まっている。

 ボクシングに関する本と言えば、沢木耕太郎が悲運のボクサー・カシアス内藤の半生を描いた名著『一瞬の夏』や、百田尚樹がファイティング原田とライバルたちの激闘を描いた『黄金のバンタムを破った男』、マイク・タイソンによる自伝『真相』、最近では森合正範によるノンフィクション『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』 など、さまざまなタイトルがある。

 ところで、元世界チャンピオンで、引退後に作家に転身したボクサーがいるのをご存じだろうか? プエルトリコの英雄と呼ばれたホセ・トーレス(1936~2009)だ。

ホセ・トーレス氏(「BoxRec」より)

名トレーナーに見いだされ世界チャンピオンへ 

 ホセは1936年、プエルトリコのブライヤ・ポンセで誕生した。18歳のときに軍に入隊し、仲間の勧めでボクシングを始めることに。野球もバスケも陸上もシーズンオフだったから、という理由だった。

 彼の才能はたちまち開花する。数々の大会で結果を残し、1956年のメルボルンオリンピックには、アメリカのライトミドル級の代表として出場。決勝では1ポイント差で敗れるが、その後すぐにホセの運命を大きく変える出会いが待っていた。後にマイク・タイソンをはじめとしたチャンピオンを育て上げる、名トレーナーのカス・ダマトから、プロ転向の誘いが届いたのだ。

 カスの誘いを受けてニューヨークに移り住んだホセは、熱心な指導を受け、デビューから7年目の1965年、世界ライトヘビー級タイトルを獲得。世界チャンピオンとなり、合計3度の防衛に成功した。

モハメド・アリも舌を巻いた強さ

 一方で、ニューヨーク・ポストの名コラムニストであり、ボクシングファンでもある作家のピート・ハミルは、ホセに物書きとしての才能も見出し、同じく作家のノーマン・メイラーと共に文章指導を行った。ホセは、現役の世界チャンピオンでありながら、ニューヨーク・ポストに連載を持つ売れっ子の作家となったのだった。

 しかし、ボクサーとしての栄冠は長くは続かなかった。4度目の防衛戦に敗れ、ホセはチャンピオンから陥落。2年後、かつてのスパーリングパートナーと試合を行った際、第1ラウンドにまさかのダウンを奪われたのをきっかけに、衰えを感じて引退を決意した。

 作家に転身したホセの、第2の人生がスタートした。1971年には処女作として、世界チャンピオンであるモハメド・アリの自伝「…STING LIKE A BEE」を上梓。取材中にスパーリングパートナーを務め、その強さにアリが舌を巻いたというエピソードが残っている。

 1978年には、かつてのトレーナーであるカス・ダマトの元にやって来た、当時12歳のマイク・タイソンと出会い、彼の半生を追った「FIRE & FEAR」の執筆をスタートした。

故郷を愛し勇気を与え続けた

 ホセが活躍したのは、スポーツ分野だけではなかった。ホセはプエルトリコ人の視点から、政治や社会問題に切り込んでいった。彼の母国であるプエルトリコは、アメリカでは少数派として差別を受けることがしばしばだったのだ。

 ホセが世界チャンピオンだった頃、ジムに2人のプエルトリコ人がやって来たことがあった。彼らは目を輝かせ、「あなたは我々の希望だ」と告げたという。時給わずか50セントで働いているという貧しい彼らにとって、ホセは数少ない希望だったのだ。社会的弱者であるプエルトリコ人に勇気を与えると同時に、アメリカ中の人々にプエルトリコ人の置かれた境遇を知ってほしい。そんな思いで、ホセは記事を執筆していった。

 2009年1月19日、ホセは自宅で突然の心臓発作を起こして亡くなった。直前まで原稿に向き合っていたという。最後まで祖国のことを忘れず、プエルトリコ人としての誇りを持ち、拳をペンという武器に変えて戦い続けたのだった。

「私はプロボクサーになるためにニューヨークに移住したが、祖国のことを忘れたことは一度もない」

 ホセはそんな言葉を残している。(文 月に吠える通信編集部)

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