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ハーバードの学生になった話(コエヌマ)

 ゴールデン街に来たことがない人、あるいはゴールデン街があまり好きでない人は、その理由として「酔っ払いに絡まれそう(あるいは絡まれた)」とよく口にする。確かに10年以上前のゴールデン街には、絵に描いたようなザ・酔っ払いが多かったが、2023年現在、そういった輩はかなり少なくなっている。昔ながらのお店やお客が、高齢化によって少なくなり、街全体がカジュアルなそれに様変わりしつつあるからだ。

 明るく健全になった街は、酔っ払いの迷惑な振る舞いを許さず、何かあればすぐに注意するため、客は安心して飲める。たまに絡んでくる輩がいたとしても、それはゴールデン街だからというより、どの飲み屋でも起こりえること。僕の感覚では、この街で30~40回飲んで、絡まれるなどのトラブルは1回あるかないかだと思う。しかも前述のとおり、何かあれば店主やスタッフがすぐ割って入るので、基本的には安心・安全に飲める街なのである。

 ただ個人的には、たまに遭遇する面倒な酔っ払いの存在も含めて、この街で飲む魅力だと思う。もしそういった輩に絡まれそうになったら、まともに向き合うと疲れてしまうので、ふざけて向き合うのが一番いい。そうすることで、トラブルも「イベント」として楽しむことができる。

 ゴールデン街の近くの居酒屋で、スタッフたちと三人で飲んでいたときのこと。僕らが本の話をしていると、隣の席でひとりで飲んでいた70歳くらいのオヤジが話しかけてきた。彼も本が好きだといい、意気投合して盛り上がった。だが、徐々にオヤジは言葉遣いが悪くなり、態度もでかくなった。そして、よほどアピールしたかったのか、自分がいかに本に詳しいかを並べ立て、やがて「俺は早稲田出てるけど、お前たちはどこだよ?」と言い放ったのである。学歴マウントを取りたかったのだろう。

 飲み慣れていないころの僕なら、「面倒くさい」と逃げたくなったと思うが、ゴールデン街で散々鍛えられた身である。「ハーバードを出てます」と答えた(もちろん嘘で、実際は中ランクの私大を中退)。するとスタッフたちも、「オックスフォードです」「MITです」と続き、「僕ら、帰国子女の集まりなんですよ」と笑顔で言ったところ、オヤジは「マジ?」という表情で黙りこくってしまったのだった。

 僕がこのような対応をできたのは、迷惑な酔っ払いや、巧みに対処する人たちを、ゴールデン街でたくさん目の当たりにしてきたからだ。ある女性客は、隣にセクハラオヤジが座ったのに嫌な顔ひとつせず、ひたすらおだてて1万円近くおごらせた。連絡先交換やボディタッチなど一線は超えさせず、上機嫌にさせるという高等テクニックであった。
 ある店の男性店員は、論争を吹っかけてくるオヤジに対し、「じゃあ、飲みながらとことんその話しましょうよ! ボトル入れてくださいよ!」とお金を使わせ、その対価として話に付き合っていた。

 一見すると面倒くさい酔っ払いと遭遇しても、逃げたり無視したりしてコミュニケーションを拒否するのではなく、楽しむなり、おごらせるなりお金を使わせるなり、自分へのメリットにつなげてしまうのが百戦錬磨の証である。

 誰にでもできる芸当ではないし、酔っ払いへの対応策として決して推奨はしないが、このような出来事もイベントとしてとらえ、面白がる余裕を心に持てれば、ゴールデン街を何倍も楽しめるのではないか。

 なので、ゴールデン街にマイナスなイメージをお持ちの方々、ぜひ気持ちを切り替えて遊びに来てほしい。胡散臭い街ではあるが、基本的には安全に飲める場所であるというのが大前提で、さらには自分の心持ちと振舞い次第で、大抵の状況は楽しむことができるのだから。

 ちなみに、大声で恫喝してくる人、暴力をふるおうとしてくる人などがいたら、すぐ逃げるに限る。あくまで、「この人、嫌なことがあったのかな」「人間くさいな」と思える範囲の酔っ払いのみと向き合おう。

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