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31歳の既婚者が「大学生」を続けている理由(ゆりいか)

自分の容姿のせいなのか、バーの店番をしていると、ご年配のお客の方から時々「学生さんですか?」と声をかけられることがある。そのたびに「学生かと問われると、たしかに学生ではあります」という微妙な返答をして、その場の雰囲気を変な感じにしてしまう。

僕はたしかに「大学生」ではある。それは胸を張って言える。ただ、そこに31歳、既婚者という情報をプラスすると、聞き手の側は確実に微妙な顔をする。好意的に解釈してくれる方は「社会人大学院生ですか?」とか「研究職の方ですか?」といった質問に続けてくれる(それも誤解なのだけど)。中には「31歳で学生って何をやっているんだ?」と返してくる方もいる。「大学生=20代」というイメージが当たり前となっているので、この反応は至極当然のことだろう。

より正確に言えば、僕は「放送大学の学部生」だ。かれこれ5年ほど学生を続けている。

放送大学は、"国が設立した私立の通信制大学”で、専門学校では無く、れっきとした学校法人である。ちなみに英語名は、「The Open University of Japan」で、直訳すれば「開かれた日本の大学」になる。公式HPによれば、全国に9万人ほどの学生がいるという。かなり大規模な大学だ。

しかし僕が「放送大学に入ってます」と話を続けると、「なぁんだ」という顔をする方が8割、「えっ、放送大学?」と興味を持ってくれる方が2割という感じだ。すると僕は「なぁんだ」って表情の人に若干ムキになってしまう。そして、放送大学のテキストを見せたり、授業の面白さを語り始めたりしてしまう(残りの2割にも嬉しくなって語り始める)。

はたから見れば、何と厄介なんだろうと思う(ごめんなさい)。しかし「なぁんだ」という表情からは、何か放送大学を軽んじたり、誤解していたりするのではないかと察してしまうのだ。

放送大学は一般的なイメージの大学とは違って、キャンパスに毎日通う必要はない(※ただし、都道府県の各地域に設置された学習センターに通って勉強されている方はいらっしゃる)。基本的に講義はテレビやラジオ、ネットで受けられ、好きな場所で自由な時間に勉強できるのが何よりの特徴だ。

そして、これが正直かなり嬉しいことだが、学費が安い。2単位(1科目)ごとに授業料を払う仕組みで、1科目あたり11,000円 (テキスト費込み)である。入学金はなんと、24,000円。一般的な国立大学の初年度納付金の平均は817,800円とのことだから、メチャクチャ安い。4年間で卒業を目指したとしても、必要な学費は約70万円だそうだ。(ちなみに映画館や公共施設の学割もちゃんとある)

肝心の講義は実に多様だ。心理学、文学、物理学、社会学など興味のある分野のどれでも選択できる。それと、高校の英語や数学を学び直せるコースもある。僕がこれまで受けてきたものだと「貧困と社会」「上田秋成の文学」「哲学への誘い」などはとても刺激的な内容で面白かった。基本どの授業も自由に視聴できるので、色々と講義を受け比べた上で、単位を選べるのもポイントだろう。

放送大学の回し者みたいになりそうだから、プレゼンはここまでにしておく。一応付け加えておくと、僕の場合は別の大学を一度卒業しているので、放送大学で卒業資格を得ることは考えていない。基本的には、半期に一度、1、2科目ほどを取得して、マイペースに勉強している。だから卒業や資格取得を目標に勉強を続けられている方々とは、そもそものモチベーションの持ち方が違うことに、ご留意いただきたい。

なぜ放送大学に入ったのかといえば、とあるマンションの一角で開かれていた「おざ研」という場所で出会った方に、放送大学の素晴らしさを朝までコンコンと語られたからだ。その方は、本当に放送大学のことを愛しており、愛が強すぎるあまり「アフリカ大陸を2階建ての放送大学学習センターにして、世界中の人々を放送大学生にすれば、弥勒菩薩が顕現される」とまで話されていたが、ちょっとその熱心さに興味を持ってしまったのである。(※このように書くと宗教勧誘に引っかかった人みたいになるが、放送大学は新興宗教団体ではない)

入学してから気づいたのだが、いつでも「学生でいられる」ことの安心感はとても大きい。何をやりたいか分からずフリーターを続けていた時期も、仕事の実力不足に悩んで落ち込んでいた時期も、リストラされて無職になってしまった時期も、机に教科書を置いて、スマホで講義を受ければ、いつでも「学生」になることができた。そういった「いつでも戻って勉強し直せる場所」という心の支えになってくれるのである。

また勉強自体が、20代前半の頃よりグッと面白くなっている。それは質の高い学習プログラムがそろっているからなのは当然だが、社会に出てからの経験と照らし合わせながら講義を聞けるようになったので、「あっ、世の中のこれってそういうことだったのか!」と実感を持てるようになったことも影響しているだろう。

たとえ講義が興味の無い内容であったとしても、日常のSNSでは得られないような知見に繋がれているというだけで、知的好奇心が満たされる。「勉強すること」そのものが楽しくなるのだ。

そもそも、しっかりとした学習時間を持てることで、日々のマンネリが解消されるという効能も見逃せない。たしかに余裕がないときに勉強時間を設けるのはとても難しいが、逆に「勉強もできないほど追い詰められているこの状況は間違っている!」と、日常を反省するきっかけにもなってくれる。よく「家事」「仕事」「趣味」のバランスが大事といったことが言われるが、そこに第4項として「大学」を入れてみると、新たな生活サイクルが出来上がるのだ。

ところで、バーでお客さんたちの話を聞いていると「もう一度、学生に戻りたい」と語る人は結構多い。それは「学生のときみたいに遊び回りたい」というよりも、「あの頃もうちょっと勉強したかった」「違う分野も学んでみたかった」といったニュアンスが強いように思う。

もちろん、人間はいつどんな場所であっても勉強に励んでいい。僕の好きな漫画である浦沢直樹の『マスターキートン』にも「学問はどこででもできる。便所のなかでもな……」という名言があって、本当に正しいことだと思う。最近は「独学」での勉強法の書籍が流行していて、それはそれでとても大事なことだ。

一方で「学生」という立場にならなければ(もっと言えば、若い時期に大学生でなければ)「勉強はできない」と思っている人は案外多いのではないか。そうでなければ「30代の学生」を不思議そうに見つめることは無いだろう。

放送大学で「学生」になり「勉強する資格を得られたぞ!」となってしまえば、学ぶモチベーションが上がる人は少なくないはずだ。放送大学は入学試験が無いので、共通テストを受ける必要がない。その上、今の時期はインターネットで出願可能だ。とりあえず、気軽な気持ちで大学生になってみてはどうだろうか?

ちなみに僕はそろそろ単位認定試験を受けないとマズイ。勉強しましょう。(ゆりいか)

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