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自己啓発セミナーの説明会で、10年前に掲げた夢を思い出した話(コエヌマ)

2019年の暮れ、経営者の友人から飲みに誘われた。彼と知り合ったのは最近だが、何度か飲みに行ったこともあり、それなりに楽しかったので、気軽に応じた。居酒屋に入り、雑談をしながら小一時間飲んだころ、彼が急に姿勢を正して言った。

「ぜひ受けてほしい自己啓発セミナーがあるんだけど……」

彼は人生のどん底だったころ、そのセミナーを受けることで救われ、経営者になって人生逆転できたという。

僕は頭を抱えたくなった。以前に大して親しくない知人からもそのセミナーに誘われ、調べたところ、いわゆる洗脳系として悪評が氾濫していたからだ。ちなみに料金は16万円。

友人は、近々開催される無料説明会に、自分が付き添うので参加してほしい、と懇願してきた。迷ったが、これも経験だと思い、「一人で行かせてほしいこと」「変なセミナーだと思ったら、記事にしてボロカスに書くかもしれないこと」を条件に、参加を決めた。一人で行く理由は、入会を勧められた場合、お人好しな性格の僕は、友人がいると断れないかもしれないと思ったからだ。

都内某所、一等地にある大きなビルのワンフロアで、無料説明会が行われた。広いホールは人でごった返していた。恐らく、120~130名はいただろう。基本的には、紹介者と参加者の二人がペアになっている。見渡しながら、これで多くの人間関係が壊れていくんだろうなとしみじみ思った。

説明会ではまず、セミナーの内容が紹介された。ざっくり言えば、「自分の中でなかったことにしている未解決の問題に向き合い、解決することで今後の人生の可能性を広げる」というもの。受講した人たちがステージに代わる代わる上がり、「仕事がうまくいくようになった」「家族との関係が修復した」など、ニッコニコの笑顔で熱弁していった。僕はぼんやりと、会場費や人件費などの経費や、受講料で得られる売上げなどを計算し、主催者はこのくらい儲かるのだろうなと考えていた。

その後、説明会は個別に。紹介者が参加者に、「ほら、みんな良いって言ってるんだから受けましょうよ」と、マンツーマンで受講を促す最終段階である。一人で参加した僕には、イケイケのITベンチャーにいそうな、30歳くらいのセミナースタッフの青年が付いた。

彼はもともと、ヤクザが経営するデリヘルの受付をしており、一日15~16時間も働かされていたという。怒鳴られたり殴られたりは当たり前で、給料も安く、当時はメンタルが完全におかしくなっていたのだそう。

「夜中に仕事が終わったら、帰りにマックに寄って、ハンバーガーを3つ買うんです。それからコンビニでストロングゼロを3本買う。家でそれらを食べて飲んで眠って、起きて仕事に行く。そんな毎日でした」

恋人にも振られ、先が見えない日々に絶望していたとき、彼はこのセミナーを受講して人生が変わったという。今はIT企業でマーケティングを担当。年収は前職の2倍になり、やりがいや希望も持てていると矢継ぎ早に話した。

総合的に見て、決して詐欺的なセミナーでないことは分かったが、16万円を払って受講しようとまでは思えない。折を見て帰ろうと、僕は青年の話を適当に聞いていた。自分のことを話し終わると、彼は質問してきた。

「お兄さん、悩みはありますか?」

「経営しているバーの大家さんとトラブって、ちょっと悩んでますが、弁護士さんに相談中なので大丈夫です」

「仕事はうまく行ってますか?」

「うまく行ってますし、楽しいですよ」

「もっと稼ぎたくないですか?」

「そりゃあお金は欲しいけど、それよりも好きなことをしていくって方を大事にしたいです。結果としてそこにお金が付いてくれば」

「じゃあ、お兄さんの夢は?」

「夢というほどじゃないですが、出版事業をやりたいです。あと、ライフワークとして進めている原稿があるのでそれを書ききりたい。あと、いつか家を買いたいですね。それくらいかなぁ」

「本当に? 他にはないですか?」

「……」

僕はしばし考えた。次の瞬間、ある記憶が急によみがえってきた。僕は席を立ち、キョトンとする青年に短くあいさつをして、会場を後にした。

すっかり忘れていたが、僕には夢があった。ジャーナリストになったばかりの2010年ころ、いつか叶えばいいなと掲げた夢。それは、ニューヨーク・タイムズでコラムを書くことであった。

僕は元々、新聞というメディアが好きで、アメリカの新聞で活躍するコラムニストのボブ・グリーンやピート・ハミルなどに憧れていた。(あくまで僕にとってだが)世界の中心のニューヨークに拠点がある、世界一有名な新聞ニューヨーク・タイムズで、僕もコラムを書きたい。そう思ったのだ。

ただ、そのときは正直、実現できるなど考えておらず、漠然とした憧れがあるだけだった。田舎の野球少年が、いつかメジャーリーガーになりたい、というのと同じレベルだったと思う。

けれど、それから約10年が経った。僕はそれなりにキャリアを積んできて、人様からそこそこ評価いただける記事も書けるようになった。ニューヨーク・タイムズでも執筆している、アメリカ人ジャーナリストとも知り合えた。通訳や翻訳家の友人もいる。

僕の夢は今、決して遠いところにあるわけではない。いつか、と掲げていた夢を、そろそろ現実のものとして、回収する時期が来たのではないだろうか。断言する。遠くない未来、僕はニューヨーク・タイムズでコラムを書く。

なので、夢を思い起こさせてくれたセミナー関係者たちには、感謝しかないのである。(コエヌマ)


PS 無料体験会に参加後、ハンバーガーをつまみに、ストロングゼロを飲んだ。悪くなく、むしろやみつきになる組み合わせだった。NYのマックで、一記事書き終えた後に、またやりたいと思う。

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