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テーマは無し、作者も途中まで結末は不明…アニメーター・キューライスの描く不条理な世界

「怖い話かな?」

「いや、コメディか」

「待って、ついていけない」

「……ここで終わり?」

 これは、とあるアニメーション作品を見たときの感想です。筆者の混乱ぶりがお分かりいただけたでしょうか。作品のタイトルは「鴨が好き/ I like ducks」。作者は、漫画家・絵本作家としても活躍するキューライスさん。彼のアニメーションには、深いテーマが隠されているかのような象徴的な描写もあれば、解釈をこばむような脈絡のない描写もあります。

 現在、YouTube上には短編のアニメーション作品が5本アップされており、誰でも見ることができます。これら5つの作品を紹介する形で、キューライスさんの描くアニメーションの魅力を語っていきたいと思います。

キューライスさん プロフィール
本名、坂元友介。
東京造形大学アニメーション専攻一期生、同大学大学院卒業。映像制作会社でCMディレクターを経て、現在はフリーランスの漫画家、イラストレーター、絵本作家、アニメーション作家として活躍している。代表作に、漫画『ネコノヒー』『悲熊』、絵本『ちきゅうちゃん』『ドン・ウッサ そらをとぶ』など。

失われた朝食 / The lost breakfast

 毎朝7時の起床、カーテンを開け窓の外を眺める時間、ベッドメイク、ひげ剃り、洗顔に歯みがき、朝食のソーセージとオムレツ、一杯の紅茶……。朝のルーティンを、狂いなく丁寧にこなしていく男。しかし、ルーティンがひとつ崩れた途端、平穏な朝はあっというまに崩れ落ちていく。

 穏やかな朝がみるみる狂気に満ちていく、そのテンポのよさにぞっとさせられます。

 コメント欄には、「強迫性障害を描いた作品だ」という声が多くありますが、強迫観念が特別強いわけではない筆者にも響くものがありました。ひとつの出来事で頭が真っ白になって当たり前がままならなくなってしまう、といった体験は多くの人に心当たりがあるのではないでしょうか。

 キューライスさんはこの作品について「人はそれぞれ自分の順序を作り、守ることで正気を保っているのではないか、という仮定が根本にありました」と語っています。(*1)窓ガラスを突きやぶってくるカラスは、私たちの日常にも潜んでいるのかもしれません。

(*1)Tampen.jp「揺らぐ秩序と崩壊・・・キューライス監督『失われた朝食』制作インタビュー」2015年1月19日


「Fast Week」

 左から右へ流れていくハンバーガーをただ見つめている女、ハンバーガーからハンバーガーを切りだす男たち、巨大ハンバーガーを崇拝するように取り囲む少年少女、男の背中から生えてくるハンバーガーをむさぼる子どもたち。そして、それらをスクリーンで眺める男。スクリーンはやがて巨大な手に変わり、男を糾弾するように指差す。

 わずか1分24秒という非常に短い作品です。コメント欄には、資本主義経済の格差社会を風刺したもの、ハンバーガーはチャンスの象徴、など、さまざまな考察が寄せられています。

 7日間でまとめられているのも、『聖書』の天地創造を思わせて象徴的です。ハンバーガーを取り巻く世界は、神さまが試しに作ってみた地上のひとつなのかもしれません。


「すばらしい仕事 / Decent work」

 男の仕事は「小人」の観察だ。小人の様子を逐一記録し、電話で上司に報告する。しかし、ある日、出来心で分け与えたサンドイッチで小人が苦しみ息絶えてしまった。男は激しく動揺するものの、別の小人にすりかえると安心して昼食を再開する。何事もなく退勤した男は、死んだ小人の亡骸を電車のソファの隙間にねじ込んで隠蔽する。

 男が小人の死骸をソファに押し込んで逃げていくラストには狂気を感じます。しかし、その一方で自身のミスを隠蔽しようとするズルさには、つい共感を覚えずにはいられません。

 男たちが守っていた小人とは、一体どういう存在なのでしょうか。本当に替えがきく存在だったのでしょうか。見終えたあと、小人にいろんなものを重ねてつい考え込んでしまいます。個人的には、鼻毛の勤怠管理システムという細部のユーモアもお気に入りです。


「鴨が好き/ I like ducks」

 晴れた日の午後、散歩にでかけた男は上機嫌で街を歩くが、池の鴨にエサをあげたことで咎められ、落ち込んだまま帰路につく。自宅マンションに帰りつくと自分の部屋は炎に包まれていた。呆然と見上げているとマンションから自分と同じ背格好の影が現れる。男は影を連れてカフェへ向かい、並んでコーヒーを飲む。

 記事の冒頭でご紹介した作品です。青い髪の少女、不気味なカップル、Y字の男に、池の精霊。なにかの比喩や伏線のようでありながら、何ひとつ回収されないまま作品は終わります。思わず「ついていけない!」「ここで終わり?」と言いたくなってしまいませんか?

 キューライスさんいわく、この作品で感じてほしいものは「意味のなさ」だといいます。(*2)たしかに、彼のアニメーションのなかでもひときわ混沌とした作品だと感じます。

 筆者のお気に入りは、おじさんが腕をヒラヒラ振りながら階段を下りる仕草や、トンネルに吸い込まれる電車のうどんの麺のような動きです。そうした細かい描写のかわいらしさにクスッと笑ってしまう一方で、カップルのうつろな目がこびりついて頭から離れません。

(*2)DigiCon6 ASIA「2017DigiCon6JAPAN Gold/I 鴨が好き/キューライス」2017年10月15日公開


「ナポリタンの夜」

 人の形をしたスパゲッティのナポリタンが歩いている。歩くナポリタンは道で出会った少年、その父親、母親を次々に丸呑みしてしまった。冷蔵庫のケチャップを飲み干して我に返ったナポリタンは自分の行いを激しく悔やみ、すべてを洗い流せばカルボナーラになれるかもしれない、と川に飛び込む。ケチャップを洗い流され麺のほぐれたナポリタンは、少年とその父親、母親の背格好のパスタの塊となり、川を出て少年らの家に帰ってゆくのだった。

「もしかしたらこの子は俺の息子なのかもしれない」「もしかしたらこの人は俺のお父さんなのかもしれない」自我を見失っているようなナポリタンの台詞に恐怖を抱きます。

 人間を丸呑みする仕草や食べた人間の言葉を借りる様子に、筆者は「千と千尋の神隠し」に登場するカオナシを連想しました。カオナシは銭婆のもとに居場所を見つけましたが、歩くナポリタンは川で洗い流された後も家族の姿形を借りて再生しました。

 3体のパスタは、自我を獲得できるのでしょうか。この後の展開を想像すると、ますますぞっとさせられます。


キューライス作品に考察はいらない

「鴨が好き」についてのインタビューで、キューライスさんは「テーマを設けないというのがテーマ」と語りました。作者自身も、途中まで結末を想像できないままに描いていたのだと言います。

 筆者は「鴨が好き」から、日々のちょっとした居心地の悪さを掘り起こされたように感じました。普段は意識していない、漠然とした死への恐怖を突きつけられたような心地にもなりました。

 それらはキューライスさんが視聴者にこう感じ取ってほしい、と意図して演出したものではなく、無意識ににじみ出た作品の味なのだと思います。あるいは、筆者がアニメーションから刺激を受けて、勝手に生み出しただけの感情かもしれません。そして、そのどちらも正解、不正解ということはないのです。

 キューライスさんの作品について、YouTubeのコメント欄には多種多様な考察があふれています。そのうちのひとつに強く共感するのもよいし、どれにもあてはまらない自分だけの感想を大事にするのもよいと思います。

 何を感じ取ってもいい、何も感じ取らなくてもいい、その懐の深さがキューライスさんのアニメーションの最大の魅力です。そして、そんな自由さがつい意味やテーマに縛られてしまう私たち視聴者を開放してくれるかのようにも感じられます。

 あなたは、キューライス作品から何を感じたでしょうか?(文 キノウ)

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