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消極的ミニマリストの悲しみ

最近、Instagram等でミニマリストの方々による発信が増えているなぁと感じています。

ただ物を減らすだけでなく、気に入ったものだけに囲まれる暮らし。
管理コストが低く、自分が本当に大切にしている価値観と向き合える暮らし。
掃除や探し物の時間が圧倒的に減り、時間的な束縛が少なくなった暮らし。
何よりも、物欲の支配から解放された暮らし。

純粋にそういった生き方に憧れる人が多く、流行してもいるのでしょう。
私もそういった投稿を日々目にするうち、ミニマルな生き方に憧れるようになりました。

しかしながら、私の部屋には依然モノが溢れたままで、ミニマリストとは程遠い生活を送っています。
それは、そもそも私がオタクであり、集めたグッズを捨てる=アイデンティティを捨てることと同義である……というのも勿論あるのですが
本質は別なところにあると考えています。

それは、私が
「欲しいものを、適切なタイミングで、自分の力で、手に入れられた経験が少ない」
からです。

言うまでもなく、現在の20代は経済的に相当質素な暮らしを強いられています。
私は同世代の中では恵まれている方ではあると思うのですが、それでも
100均のヘビーユーザーだったり、
華金でも成城石井でお惣菜を買うのに少し躊躇したり、
といった暮らしなのは事実です。

そんな生活を送っているわけですから、憧れのモノを、それに憧れる年齢のうちに買う……
例えば、
サマンサのバッグを大学1~2回生のうちに
miumiuのキラキラ財布やフェラガモのリボン付き財布を20代のうちに
買うことは叶っていません。

だからこそ、ミニマリストの方々の言説に疑問を感じたのです。
「物を減らせば物欲が減る」
そんなことがあるか?
それで後悔しないのか?
と。

そこでミニマリストの方々の発信を個人的に分析した結果、
ミニマリストには大きく分けて2種類の方がいるという考えに至りました。

1つ目は「積極的ミニマリスト」
「何百着もの洋服を断捨離し、汚部屋を卒業して生き方を変えました!」
というのが基本パターンで、30~40代の子育て中の女性が多い印象。
過去に大量消費の生活を一旦送り、そこに飽きたり疲れたりして、一念発起してミニマリストになっている方々です。

2つ目は「消極的ミニマリスト」
大規模な断捨離をするほどのモノは持っていなかったけれど、若いうちに消費を見直した人たちです。
節約アカウントを兼ねていることも多く、20代がボリュームゾーン、男女半々の印象。
まだ欲しいものがあったかもしれないが、将来の消費の可能性を絞り、ミニマリストになった方々です。

こう分類してみると、私がミニマルな生き方に抱く違和感も説明がつきます。
積極的ミニマリストになれるほどの、飽きるほどの消費は経験していない。
そして、消極的ミニマリストになるには、物欲がまだ大きすぎる。

だからこそ、どちらも私には無理だ……と諦めてしまっているのです。

これは個人的な生き方の問題なので、もちろんミニマリストの方々を批判する意図はありません。

ただ、若い人たちの中に消極的ミニマリストが本格的に増えていっているとしたら、それは割と危機的な状況ではないのか?とは思うのです。

消極的ミニマリストの方々の根本的な思想が
「どうせ稼げないし、買えないから、最初からミニマリストってことにして消費欲を抑えよう」
ということなのであれば
それは、自分にとって幸せな生き方を自ら選択する、ミニマリスト的な考えとは真逆に位置するものです。
これはある意味、消費を自ら委縮させ、社会の閉塞感にもつながる、悲しい考えとも言えるのではないでしょうか。

ミニマリスト流行という現象から、そんなことをつらつらと考えました。


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