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影憑き 4

 初めは記憶の曖昧さで混乱していた。二人分の過去が入り乱れてどれが誰なのか判らず、時間とともにあれはあっち、それはそっち、と自然に分かれていくまで、自分が「どっち」なのかすら判断できなかった。正確に言えば、今でも確信を持てるわけではない。周りが自分をそう呼び、体に残る痕跡があり、それらが示すのが「あっち」であり「そっち」であり、その上でこうなったから「こっち」なのだろうと、そう思っているだけだ。 

 統合と言うよりは収束。そこに至るまでに自分の中で起こっていたのは、ひとつひとつを整理するという折り目正しいものではなく、思いつく端から見せ付けられる乱暴さで嵐が吹き荒れているようなものだった。もうやめてくれと誰に懇願すれば終わるのか、いつ終わりが来るのか、いつか終わりが来るのか、何も判らないまま時が過ぎ、いつの間にか終わっていた。けれども正解が何なのか、答えが用意されているものでもなかった。だから自分が「こっち」だとして、それは一体何者なのかという疑問が常にあった。

「ショウイチ」と呼ばれた自分は確かにショウイチであった。しかしショウイチは「カズト」に飲み込まれてしまい、ここに居るのはカズトである。そのことに気付く者は居なかった。以前と違うと思うことがあっても、それは事故の影響によるものだと結論付けられているだろう。誰一人、この入れ替わりを知らないまま。自分はショウイチであり、カズトであった。

 双子が水難事故に遭い、一人は死に一人は生き残った。ただそれだけのことだ。ショウイチは自分だけが助かった罪悪感に苛まれていた。その後ろめたさが引き起こしたのかと思ったこともあったが、恐らくそんなものではないだろう。そして自分にも、命を奪ったという事実が重くのしかかる。けれどもそれも、望んでそうなったわけではない。

 ショウイチはカズトを助けようとしたが、間に合わず二人とも海に落ちた。運良く岩礁に引っかかっただけのショウイチと、運悪く叩き付けられたカズト。どうなったかは明らかだ。カズトが落ちたのは不運なことであり、誰の責任でもない。それでもショウイチの中に、どうして、という気持ちが消えなかった。

 二人で暮らしていた部屋で、ショウイチは鬱々と過ごしていた。大学はまだ夏休み中で、アルバイトも休んでいる。動く気にはなれず、食べたいとも思えないのに空腹だけはやってくる。それが腹立たしく赦せない。どうして自分だけが生きているのだと、思わずにはいられなかった。

 そうして数日が過ぎた頃、ショウイチの体の周りに白い靄が現れ始めた。なんだ、と思う間もなく靄は拡がり、同時に灰色になっていく。それは滑らかなグラデーションを描いて、黒く、濃く、全てを塗り潰した。恐怖を感じる隙もない。わけが分からないまま、ショウイチの記憶はそこで途切れた。

 目が覚めて身の安全を確認して、思ったことは自分は誰なのかだった。海に落ちた二つの記憶。絶望したまま、死んだように生きていた日々。最後の、黒く消されていく光景。何よりも奇異な、裸で寝転がっているこの状況がまずおかしかった。何もかもがおかしい。視界の隅に映る太股の付け根には、熱湯が飛んだいつかの火傷の跡がある。それはカズトのものだった。

 ショウイチか、カズトか。目覚めたのはショウイチの部屋なのだから何をどう探しても、そこにはショウイチの気配しかない。しかしこの体はカズトだ。困惑したままカズトの部屋にも行ってみたが、何が判明するでもない。過去を探ろうとする度に押し寄せる映像と、付随する感情の波が頭の中を駆け巡っていく。どれがショウイチでどれがカズトの記憶なのか判らず、混乱だけが訪れ、何もできずに部屋に籠もった。そのうちに両親がやって来て実家に戻るよう言い、考える気力もなく連れられていった。

 後にそれが「影憑き」と呼ばれる、黒い靄の中で生者と死者が入れ替わる不可解な現象だと知った。それまでも、自分はショウイチでありカズトであり、またそのどちらでもない奇怪な存在であると認識してはいたものの、脆弱な足場に身を預けているような不安感は拭えなかった。そしてそれを知っても尚、自分は何なのか、と問い続けている。

 カズトは死んだ。体を打ち付けた強い衝撃の後で記憶は止まっている。その後はショウイチの自責の記憶しか無く、あの黒い靄がショウイチを消し去るまで、自分はショウイチだったのだ。ではカズトは? 死んでしまうまで、自分はカズトだった。自分は、ショウイチだった。カズトだった。

 そして、今は。

 夏休みを終えて実家から戻り、始めたのは新居探しだった。二人で暮らしていた部屋は一人には広く、家賃も払えない。両親は休学を勧めたが、それは拒否した。そうしては駄目だとショウイチかカズトか判らない声が、強く訴えていた。生きなければ、という声。立ち止まればこの嵐に負けてしまう。

 両親には、カズトの荷物は自分が整理すると言った。そもそもそれは自分の物だ。二人分の要る、要らないが鬩ぎ合い、作業は遅々と進まなかったが、そのうちに嵐は微風まで収まっていた。秋が深まる頃だった。

 大学へ顔を出すようになったが、友人たちは余所余所しく、近付いては来なかった。腫れ物に触るとはこういうことか。しかしそのほうが気が楽だった。同じ顔の人間が生きて動いているのに、一方はこの世に居ない。簡単に処理できる話ではないだろう。

 そんな中、恐る恐る、といった風情で近付いてきた友人の一人が、声をかけてきた。調子はどうかとかそんな話をしていたが、あまり覚えていない。友人もどう接したらいいのか迷いながら話していたのだろう。そのうち、カズトの名前を出しても動じないと感じ取ったのか、思い出話をし始めた。あの時はああだった、この時はこうだった。聴きながら確かにそんなことがあったなと振り返っていた。そして一頻り語った後に、友人はポツリとこう言った。
「ショウイチの中に、カズトはちゃんと居るよ」

 慰める意図だったのだろう。しかしそれは、諦めのような現状を壊す一言だった。収まっていた混乱がまた現れたのかと思ったが、浮かんでいたのはどうしようもない忌避感だった。ショウイチの中にカズトが居るのではなく、カズトの中にショウイチもカズトも生きている。体がカズトなだけで、二人はこの中に居り、共存している。主体がどちらなのかもはや判らないほどに。だからショウイチと呼ばれても何の違和感もないし、逆にカズトと呼ばれても普通に返事をしてしまうだろう。だけどこれは一人の人間なのだ。ショウイチの中にカズトが居る? カズトの中にショウイチが居る? どちらも相応しくないと思えた。

 ショウイチもカズトも、この体に生きるひとつの、分かちがたい生命なのだ。それは安堵のような温かさを孕んでいると同時に、では、何なのだ? という不気味さをより強くした。ショウイチでありカズトであり、どちらでもあるようでどちらでもない自分とは、一体何なのだ?

 嵐は去ったというのに、不穏な風が止まない。一生抱える狂気を背負わされ、それでも立ち止まってはいけない、進むしかない、と誰かが主張する。それは誰なのか。なくしたふたつの命が、新たなひとつの命として生まれた瞬間、生き続けるという呪いを受けたそれは、誰だと言うのだろう。

 凍り付いた表情を察した友人はその場を去った。ショウイチとして生きることを余儀なくされた自分の身の上は、誰にも知られていない。片割れの死によって不安定になった双子のもう片方。世間の目はそう見るだろう。ショウイチの記憶を取り出し、ショウイチが描いていた未来を歩み、ショウイチに成り済ますかのように。ショウイチでありカズトであった自分は、そうして生き続けるのだ。

 双子のササザワ兄弟に降りかかった不幸。そのせいで、彼らの人生は狂ってしまった。後に友人たちはそう語り合った。ショウイチはまるでカズトのようであり、しかしショウイチそのものであり、そしてもう、そのどちらでもないように見えた、と言って。

2024/2/4公開