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空想を掲げかけあがる(空想の部屋 3)

 真夜中だというのに、観測者のコミュニティルームでは騒ぎが続いていた。深夜零時なんていつもならもっと閑散としているのに、今日は画面上のコメントがどんどん更新されていく。目も手も追い付かないほどだ。

 二十二時には帰ってきているはずの同居人からは、遅くなるという連絡があった。彼はこの騒動の原因のひとつだから、それも仕方のないことだ。こちらとしても帰りを待っているわけではなく、寝ていてもよかったのだけど、この状況ではどうにも寝付けなかった。

 架空のキャラクターの生活を眺める『空想の部屋』。現在二十人ほどのマスターが複数のキャラクターを維持しており、同居人の青葉は古参マスターの一人だ。抱えるキャラクターは三人いて、そのうちの一人がさっき、おかしな状況で停止してしまった。直前に別のマスターのキャラクターが亡くなったことも相まって、コミュニティルームは大騒ぎになった。

 ユノという名前の、厨房で働く十八歳の女の子。特段目新しさは無いものの、可愛らしくもどこか危うい雰囲気があって、物怖じしないタイプの女子。不思議なことに、青葉は女キャラクターを創るのが巧い。いかにも狙ったようなあざとさや嫌みなどがない、爽やかさすら感じる女性ばかりを生み出している。その中にあるとユノは幾分子供っぽくて、それまでの青葉からは想像できないような新鮮さがあった。

「ユノかわいかったよな、ちょっとバカっぽくて」というコメントが流れると、「それは情報規制のせい」という別のコメントがすかさず追いかけていく。ユノは他のキャラクターと違い、『この世界について知らないことがいくつもある』というキャプションが付いている。マスターである青葉がそう設定したのだ。だから少し無知で、少しズレていて、それゆえに素直に吸収していく様が愛おしい。

 ベッドに寝かせられていたユノの傍らには、名無しの料理人というキャラクターが座っていた。彼らは仕事仲間であり、それなりに親しい間柄だった。動かなくなった彼女を眺めている姿は、作られたものだとしても痛ましい。ユノが運び出されるまで、料理人はただずっと隣にいた。その手前のベッドには、左腕が千切れた少年が眠っている。

『空想の部屋』はキャラクター同士でも観測者となることができる。ただし相手は限られ、生活圏が重ならないなどの条件があり、尚且つ観測対象に近付いてはいけないというルールも発生する。けれどもユノはこの観測対象の、左腕をなくした少年へと向かって行った。といっても接触と言うには微妙な、ただ覗き込んだだけという程度だったのに、それで違反とされてしまうのはあまりにも無慈悲だ。コミュニティルームでも議論になっていた。

 何かがおかしい、何かの間違いだ。誰もが持つ疑問だ。だけど運営からは何の知らせもなく、三時間が過ぎても状況は変わらなかった。今日だけで三人。一人は達成、一人は死亡、一人は違反で消えている。三者三様ではあるけれど、それぞれの謎にユーザーが食い付いたのは当然と言えば当然だ。だけど誰も、何も説明はしてくれない。

 キャラクターにはそれぞれ目的が設定されており、達成したらそのストーリーは終了、キャラクターは『空想の部屋』を去る。その目的はマスターによって公開非公開が決められていて、達成後に明かされる場合とそうでない場合もあり、後者だとユーザーは何が何だか分からないまま、考察と憶測が飛び交うことになる。けれども今回は通常とは違う終わり方をしている。何かあるはずだと誰もが期待して、モニターから離れられないでいるのだ。

 コメントの勢いが緩やかになり、眠気が襲ってきた。普段は眠っている時間だから無理もない。うとうとし始めたとき、『フューリーほんとクズ』という文字が目に入った。

 茶髪の軽薄そうな若い男の顔が浮かんだ。フューリーとは不快なキャラクターを生み出す、鬼畜と呼ばれるマスターだ。死亡したキャラクターは彼によるもので、それまでとは違いキャラクター本人には不快さが微塵もない、むしろ気の毒な身の上の少年だった。その彼が自ら死を選んだ衝撃は大きく、とりわけ批判の声が多く聞かれた。

『フューリーのコメントヤバイこれはひどい』とリンクが貼られている。覗いてみると確かに酷い。無神経にも程がある。

『残念な結果になった。みんなで彼の死を悼もう。
 master:fury』

 自分のキャラクターを大切にしていないのが端的に分かる。死たくなるほどの状況を作り出したのはマスターであるのに、罪の意識もなさそうだ。やっぱり不快な人間。フューリーに対してはそんな気持ちしか涌いてこない。大体名前からして気に入らない。フューリーとは激しい怒りという意味だ。一体何に怒っているというのか、むしろ怒りたいのはこっちだよと言いたくなる。

 初めて会ったときから、フューリーは不愉快な人間だった。青葉が漣さんという先輩マスターと食事の約束をして、そこに私も呼ばれて向かったところ、なぜかフューリーがいた。どうも無理やり付いてきたようだった。その時点で既になんだコイツと思ったものだけれど、食事しながらも漣さんにべったりの粘着質な目線には寒気がしていた。いくら顔が良くてもあれは無理。気持ち悪くて直視できない。

 げんなりしながら、漣さんのことを思った。名無しの料理人は漣さんのキャラクターで、名前を得ることでストーリーが終わる。うまくいけばユノが名付けてくれるんじゃないかとみんな思っていたが、それは潰えてしまった。

 なんとなく感じていたことだけれど、漣さんはマスターを辞めたがっているように思う。複数いたキャラクターが料理人一人になって、新規を創りながらも公開しないでいるのは、本人曰く「気が乗らないから」。だけど、そうではないように見えていた。だから青葉はユノを創った。料理人に名前をあげられるような存在を作りたいと言って。

 考えているうちに、瞼が重くなっていく。そのまま突っ伏して眠ってしまい、起きたときには、外が明るくなり始めていた。玄関のドアが開く音。青葉が帰ってきたのだ。

 疲れきった表情で、長い髪も乱れている。目が合う前におかえりと言うと、こちらを見てただいまと返した。
「起きてたんだ?」
「んーん、寝てた。起きてようと思ったんだけど。何がどうなったの?」
 椅子に座り込んだ青葉がううーんと唸った。
「後で発表されるけど、フューリーは解雇」
 思わぬ内容に、へっ? と間抜けな声を発してしまった。
「不正アクセス。ユノの判定いじったらしい」
 だから中途半端な状況で違反とされてしまったのか。救護室の光景を思い出して悲しくなった。あれがフューリーによって引き起こされたものだと思うと、苦々しい気持ちになる。
「なんでそんなことを……」
「漣さんを辞めさせたくなかったんだろ」
 それがなんで、と言いかけて気が付いた。ユノが消えて、料理人は達成から遠ざかった。それはつまり、もしかして、私が邪魔をしてしまったのではないか、と。

 サブマスターとして青葉を補助してきた私が、正式にマスターとして採用されたのは一年ほど前だった。キャラクターの数が増え始めると、それまでにないストーリーを望む声も増える。フューリーみたいな趣味の悪いマスターも現れる中、私はできるだけ遊びが多い、けれど害にはならないようなキャラクターを送り出した。

 けれども結局、物足りないと言われてしまったのだ。それで、半ばやけくそでめちゃくちゃな女の子を作り始めた。といっても公開するわけではなく、息抜きくらいの感覚で弄っていた。それがいつの間にか他のストーリーに紛れ込み、間違ってそのまま提出、さらになぜか審査を通り、何の情報もない状態で新規ストーリーとして公開されてしまった。

 慌てて取り下げようとしたとき、誰かが扉を開いた。それはユノだった。

 私は暫く考えて、そのストーリーをマスターと観測者のみの限定公開にして、新規の閲覧を止めた。不完全なキャラクターを野放しにはできない。外に出さないようにしながら、少し、試してみたい気持ちもあった。未成熟なキャラクターが、どんなふうに変化していくのか。他の不慣れな新人マスターを育てる必要もあったため、サブストーリーを作ってもらい、一緒に様子を見ることにした。

 それから数カ月間、解説のない少女の物語、ケース75はたった一人の観測者のためのストーリーという奇妙な存在になった。正式に公開したのはそれからずいぶん経った後だ。そして、そのキャラクターは今日『達成』を迎えた。サブキャラクターから物理的な何かを貰うことが伏せられた最終的な目的だった。貰ったものは腕だ。ユノの違反の原因になった少年の、左腕。

 不審に思ったユノからマスターの私へメッセージが届き、私はお礼を述べた。他に何をどう伝えるべきか考え倦ねたけれど、それしか出てこなかった。ユノが混乱しているのは判っていた。だけど説明できることは何もなかった。

「違う」
 呆けていた私に、察した青葉が言った。
「違うよ」
 力強い言い切り。それでも回避できたかもしれないと思うと、可能性の幾つもが自分のせいで奪われてしまったように感じられた。私のせいでユノは消え、私のせいで料理人は名前を得られず、私のせいで漣さんは未だ『空想の部屋』に縛られる。そんな連鎖が浮かんでしまった。

「元凶はフューリーであって、三ツ花じゃない。そもそも全部偶然起こったことだ。ユノが観測対象に会いに行くなんて誰も予想できない」
 青葉は言い聞かすように私を見ていた。分かっている。分かっているけれど、一端であることも間違いなく、あのフューリーにしてやられたという事実も逃れようがなく、悔しさと悲しさがあった。自分のキャラクターも、人のキャラクターも、使い捨てにできるその精神。それも確実ではなく、いつか起こるかもしれないし、起こらないかもしれないというあやふやさで。

 なんでそんなことをするんだろう。なぜ人を巻き込んでまで。静かな怒りがじりじりと拡がっていく。
「漣さんは誰も責めないよ。解ってるだろ?」
 青葉は優しく言った。
「そうだけど、だから平気なんて言えない」
「それぞれ少しずつうまくいかなかった。仕方ないよ」
 その慰めは自分に向けてもいるのだろう。私は絞り出すように呟いた。
「青葉は別に悪くないじゃん……」
 その声に、柔らかく笑って軽い溜息を吐き、疲労の漂う顔を上げる。
「うまく調整できなかった。助けたいなんておこがましいよな」
 自嘲気味な表情だった。青葉はマスターとして優秀だったし、唯一の先輩の漣さんを尊敬していた。何かできるはず、何かしてあげたい、という気持ちはよく解る。だけど結局無力なんだと突き付けられたような気分だろう。それは私も、恐らく漣さんもきっと同じだ。

 失うことのつらさを知る者は、奪わず与えることができる。ユノは無邪気に得る側の人間であると同時に、知らずに周りに与える人であってほしかった。そのために、失うことへの恐怖を付け足した。そのバランスが、喪失が続いたために崩れてしまった。青葉はそう結論付けた。すべては偶然が起こしたこと。それはもう、どうにもできなかった。

 自分たちが創り出した世界なのに、なんて皮肉なんだろう。

 私はユノはあのままなのか尋ねた。青葉が伸びをして答える。
「フューリーの仕業だって判ってから、復活させてもいいってことになったけど。でもなんか違うよな。……あー、コメント考えないと……」
 すぐにも寝そうな顔だった。 邪魔しないようにお茶を淹れに離れる。朝日が昇り部屋はすっかり明るくなっていた。

 協力してくれた新人マスターは、少年の左腕を再生しないと決めていた。なくしたものは戻ってこないのだと知ったときの気持ちを、嘘にしたくないと言った。料理人も、同じだろう。戻ってきたユノを、また受け入れるとは限らない。そしてユノ本人も、以前と変わらずにいられるかどうか分からない。

 作られた世界でも現実でも、儘ならない世界を生きることに変わりはないと、私は今日痛感した。解ったつもりで何も解っていなかった自分に、できることを問いかける。何が正解か言い切れる確信もなく、けれどそんな世界を構築する役割を担っているのだと、そしてそれは私一人ではないのだと、そう思いながら。