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空想は底でうずくまる (空想の部屋 2)

 やり過ぎたかなあ……という呟きとともに椅子が軋む音がした。フューリーは腕を組んで首を傾げ、うーん、と唸る。鈍く光るモニターは暗い色をしたまま、地面に横たわる物体をぼんやりと映していた。白いシャツがかろうじてそれを人だと認識させる。何階だったか忘れたが、明らかに助からない高さから落ちたのだ。既に命は尽きているだろう。

 私は直前に届いた通知を確認して、自分のキャラクターを表示させていた。画面上の彼はそろそろ就寝時間のはずなのに、珍しく来客があったのだ。部屋の入り口で立ち話をしている青年と少女。奥にはモニターがあり、そこには今、フューリーが観ている画像とは違う角度の、薄闇に浮かぶ白い塊が映っている。二人は落ちる瞬間をそこで目撃していた。

「なんでかなあ、何が違うの? うまく育てようと思ったのに。ちょっと弱すぎない?」
 振り向いたへの字口の若い男に、どう返答したものか。答えても納得するかどうか。そもそもお前には理解できない領域だと言ってしまいたい気持ちがある。なにしろこの男は、目の前の人間が自分を疎ましく思っていることなど気にも留めていない。気付いていないのではなく、気にしていない。こういう人間には何を言っても無駄な気がした。

 だいたい、自分で弱く指定しておいて弱すぎない? とは。死んでしまった少年が気の毒になった。すべてが作り物だとしても。

 画面の中で青年と少女は二言三言、静かに言葉を交わして別れた。残された青年はその部屋の主、私が創った現在唯一のキャラクターだ。彼はベッドに潜り込み、すべての明かりを消していつものように眠りに就いた。ひとつだけ違うのは、布団を頭まで被っている。何もかもを遮断するかのように。私は少し迷いながらも、モニターの電源を落とした。

『空想の部屋』は仮想の人物を覗く部屋だ。私もフューリーもマスターとして何人かのキャラクターを送り出していて、フューリーは四人、いずれも各々の理由で部屋を去っている。惚れっぽい上に執着心の強い三十一歳の男、五十五歳で自分探しに目覚めた男、人助けが生きがいの二十三歳の男。そしてついさっき、家族から搾取されていた男子高校生は、夜の闇に吸い込まれて自ら命を散らしたばかりだ。

 一見、マスターとしては失敗しているように感じられる。けれども彼の創るストーリーは人気が高く、展開が読めない、と刺激を求めるユーザーには好評だ。フューリーはそれを、不快なものほど目が離せないのが人間だよ、と鼻で笑っていた。

 そんな彼が創った四人目のキャラクター、男子高校生のミオノは、搾取子という点こそ目立ってはいるものの、平凡で特別際立ったところのない少年だった。特徴としては責任感が強く心優しく、家族にどんなふうにしがみ付かれても振り払うことができない。そんな人間が精神のバランスを欠けばどうなるかは明らかなのに、フューリーは対策をしなかった。まめなマスターならば毎日メンタルの微調整を行うものだが、この男はそういう細かいことが嫌いなのだ。

 それまでのフューリーのキャラクターは、良くも悪くも強かった。そもそもが活動的で、放っておいても積極的に行動する。他人を慮るよりも自分の目的が重要で、その結果かかわった者が幸せになればいい、という思考の持ち主ばかりだった。自分の幸せが他人の幸せであると心の底から思っているのだ。

 しかし、ミオノはそうではなかった。ユーザーに開示されている情報には、目を覆いたくなるような「それっぽい」境遇が並んでいる。

『case:92/ミオノ/17歳/高校2年生/情の薄い父と継母、その連れ子の幼い弟妹が3人いる。生母とは小学高学年の時に死別。父は薄給、継母はパートで働いてもすぐ辞めてしまうため裕福ではなく、アルバイトをして家計を助けている。陸上部員だったが弟妹の面倒を見るため退部。様子がおかしいことを察した担任からの提案で、いったん家から離れることになった。性格は明るく社交的だが、現在は友人たちともかかわりが少ない。』

 これを見たユーザーたちは、フューリーを『鬼畜マスター』と呼んだ。一見ありがちと言えそうな羅列ではあったが、この裏にはマスターにしか知り得ない設定が隠されている。ユーザーの間では絶対もっと酷い何かが施されているはずだと囁かれ、とうとう真っ当な人間を壊しにきた、などと話題になった。ゆえに観測者はそれなりに多く、現に私のキャラクターも彼を観ていた。今はきっと、コミュニティルームで祭りが起こっているに違いない。なにしろこのような終わりを迎えたストーリーは初めてなのだ。

 想定外の理由でキャラクターを失ったマスターは、ペナルティを受ける。フューリーはこれで四度目、今回は恐らく半年間の活動停止だ。その間収入は減るし、福祉活動か一定額の寄付をしなくてはならない。果たして彼にそれを凌ぐ資金がまだあるかどうか。

 案の定、フューリーはわざとらしく困った顔を作って、こちらを見上げてきた。
さざなみさん、しばらく養ってくんない?」
 小首を傾げて媚びた表情。二十五も過ぎた歳の大人がやるものではないが、あどけなさの残る顔立ちにその仕種は違和感がない。だからといって効果的かと言われると、私にとっては逆効果だ。
「無理。冗談じゃない」
「仲間は助け合おうよ~」
 情けない言い方。いつ誰と誰が仲間になったのか問い質したい。
「メリットがない。あっても断る」
 ええ~ひどいなあ~、と天を仰ぐ姿はまるで子供のようだ。何人もこれに絆されてきたのを知っている。そうして手酷く裏切られてもきたのだ、騙されてはいけない。

 椅子がさらに軋みを増した。モニターがふたつ並んだ小さな部屋がいくつか連なっている、簡素なオフィス。私はここに週一回通っている。マスターは月一回以上の出社が義務付けられており、その一回だけは事前申告が必要だが、それ以外はいつでも出入りできる。そしてフューリーは私の出社予定をチェックしているらしく、毎月同じ日に顔を出していた。時間帯をすべて変えているのに、全部同じ、だ。わざとギリギリに届け出ていても、すぐに合わせてくる。本当に気味が悪い。

 まるで彼が創ったキャラクターのような自己中心的な行動。ミオノがいかに異質だったのかが分かる。大きな動きもなく消えてしまったけれども。

 一緒に帰りたがるフューリーを置いてフロアを下りる前、二つの部屋が使用中になっているのが目に入った。ひとつはフューリー、もうひとつはアオバと表示されている。そのとき、不意に携帯端末から今日二度目の通知が届いた。料理人が移動しています、の文字。端末で姿を追うと、彼は56の部屋の前で足を止めた。ノックをするが返事がない。今度は上階へと階段を駆け上がっていく。

 画面から目を離せないまま、アオバのいる部屋へと踵を返した。フューリーのいるドア前は忍び足で通り過ぎる。端末画面で青年が少女の腕を掴んで引き倒すのが見えた。頭の上に赤いアイコンが点滅している。音が出せないので声は聞こえない。二人は何かを話しているようだ。

 ドアノブを掴むとすんなり開いた。鍵は掛かっていなかった。後ろ手に急いで閉めて施錠する。長髪の男は驚いた顔で振り返っていたが、何も言わなかった。その向こうのモニターに、小さな端末と同じ画面が映し出されている。

 名無しの料理人は名前を求めている。そんな書き出しで始まる物語、ケース24。料理人の彼は勤勉で実直な、フューリーに言わせれば「面白みのないキャラクター」だ。確かに初期は、昼夜を問わずただひたすらに料理をし続けるだけの人だった。それを私は少しずつ、裏で設定を追加しては自然に変化していくように、細心の注意を払いながら根気よく育てた。おかげで今や息の長い、安定した存在になった。

 その料理人の腕にはぐったりした少女が倒れている。同じ厨房で働く、56番目のストーリーの主、ユノ。頭上のアイコンは違反のサイン、観測対象との接触を意味する。彼女はなまえ、と力なく呟く。

「名前なら、お前が付けてくれたらよかったのに」

 部屋中に料理人の声が響いた。一瞬の昂揚感。名前を手に入れたら、料理人の物語は終わる。ユノが現れて二人が近付き始めたとき、もしかしたら期待できるかもしれないと思っていた。料理だけがすべての彼が初めて他人を受け入れたのだから、そう思わないわけがない。

 しかしあと一歩で手が届かなかった。料理人はユノを抱えたまま立ち上がり、目の前の救護室に入っていく。救護室内は観測者が見ることのできない場所だったが、マスターは専用のカメラで中を確認できる。手前のベッドには左腕の先がない少年が眠っていた。恐らくユノの観測対象だろう。料理人は隣の空いているベッドに、ユノを静かに下ろす。違反はそのまま機能停止、ユノが目を覚ますことはもうない。

 アオバは困惑した表情で呟いた。
「なんでこうなったのかよくわからない……」
 こちらを見て、申し訳なさそうな顔をする。
「直接会ったわけじゃないんだよ。ただ覗いただけみたいなもんだったのに、駄目だった。そんな厳しい判定ってあるか?」
 聞いたことがなかった。接触もその程度ならまず警告、そこで離れれば特に問題はないはずだ。何らかの手違いならば、復活も有り得るのかもしれない。けれども、明るい気持ちにはなれなかった。
「漣さん、ごめん。もしかしたらやり過ぎだったのかもしれない」
 フューリーのようなことを言う。だけどアオバはフューリーとは違い、誠実なマスターだった。キャラクターを失ったのは彼のほうなのに、何もしていない私に謝罪している。まるで私が大切なものをなくしたように。

 彼は見抜いている。私は料理人を解放したい。早くこの世界から離れたい。そして、フューリーの妄執から逃れたい。

 アオバは管理部門に連絡を入れたが、ユノの違反は覆らなかった。しかし、調査は進めるという。同時に私も情報を流した。フューリーの行動に不釣り合いな、ミオノという存在。彼はなぜあの不幸な少年を創り出したのか。

 家に戻ってから、料理人とユノが別れたところまでの映像をさかのぼった。料理人がベッドに入ってから、部屋はずっと暗闇だった。十五分ほど経ったところで、布団を捲って起き上がるような動きがうっすらと見える。明かりが灯され、無言のまま料理人は早足で部屋を出て行く。彼はずっと、ユノのことを考えていたのだろう。だから彼女の行動を想像して、後を追った。

 ユノが何を思って観測対象の許へ向かったのかは解らない。マスターであるアオバなら、あるいは解るのかもしれない。ミオノの死を目の当たりにした二人が、それぞれの思いで考えを巡らせて行った結果。何も解らないのに、それは脆くて、とても綺麗なものにすら思えてしまう。

 失って得るものは美しい。けれど、そうして残るのは実際は虚構でしかない。虚しさだけが募ったとしても、望む終わりを迎える。それが彼らの役割で、マスターはそのために尽力する。この世界とはそういうものだ。

 翌日、ミオノに対するフューリーの、配慮のないコメントが炎上した。
『残念な結果になった。みんなで彼の死を悼もう。
 master:fury』

 そしてそれは、彼のマスターとしての最後の言葉となったのだった。

2024/6/30公開-2024/7/3修正