地理好きの地理好き経歴

地理が好きである。
好きすぎて博士課程まで進学してしまった(単位取得満期退学)。
現在は某大学の非常勤講師である。

さて、いつから地理が好きなのであろう。
自分は生きとし生けるものは、背骨があろうがなかろうが、だいたい好きである。好きでなくとも興味は持っている。
なので、小さい時より生物学が好きだった。
高校生の頃、既に私立大の生物科に進学を考えていたので、3年生の選択教科は受験科目ではない教科を選ぼうか、と考えた。私立理系志望者にとって、社会科の教科は受験科目ではなかった。
文系の学生が多い高校だったせいか、社会科は3年生の必修科目だったので、どうせ取るなら地理を選択しようと思ったのだったが、同じことを思う人も多かったようで、志望者多数につき抽選で人選された。で、落ちた。

それから生物学科に合格し、紆余曲折ののちに文学部地理学科に編入学するのであるが、受験にあたり、空白の高校地理は1年かけて独学で覚えた。
代々木ゼミナールの権田雅幸氏による「権田地理B講義の実況中継(上)(下)」をベースにして、地形図の読み方や自然地理学系は別の参考書を利用して、編入試験に臨んだ。
そのとき、思い出したことがある。

思い出したのは小学生のころ、社会の業者テストを受けたときだった。制限時間までに全問解き終わり、テスト用紙を裏返してテスト時間が終わるのを待っていた。
業者テストの裏には、教科に関するトピックスが書かれていて、自分はそれを読むのが好きだった。
その時のトピックスは、湧き水と地層に関するものだった。
曰く、湧き水が流れる地層には共通した特徴がある。上層に水を通す砂の層があり、下層には水を通さない粘土の層がある。上から降った雨を砂は通すが粘土は通さないため、粘土層の上部にたまった水が地層の割れ目から湧くという。
常々湧き水にロマンを感じていた自分は、家の庭の片隅を掘って土を作り、自室の粘土を下に、小学校の砂場から持ってきた砂を上にした山を築いて水を流した。
粘土の層と砂の層の間から湧き水が出てくるはずが、水は粘土も砂も共に流していった。

さて大学の生物科に入ったはいいが研究したいものがないことに気が付いた。愕然としつつ卒論の時期となり、ふとした偶然で「子供の遊びを指標とした環境評価」をすることになった。
参考図書として、都市計画の本を読むこととした。通っている大学と塀を隔てたお隣さんに建築学系の学科があることは知っていたので、その図書館に入ってみることにした。
当時は現代とは異なり、フリーパスで大学の図書館に出入りできたのである。現在は学生証を入り口にかざさなければならいところが多い。
子供の遊びと遊び場所を調べているうちに、それは「都市のアメニティ」を調べることにもなると気づいたので、住環境や都市計画の本も調べていった。
そこで出会ったのがケヴィン・リンチの「青少年のための都市環境」であった。
氏の「都市のイメージ」を元に、世界各国の児童・生徒が居住地に対するメンタル・マップを調査した、ユネスコのプロジェクトの報告書だった。

卒論はさておき、後の進路はこの「メンタル・マップ」がきっかけであった。
研究したい意欲がわかないまま生物学科を卒業し、バイト先の博物館の生物系の研究室に非常勤で勤め、将来をふと考えて出た答えが大学の入り直しだった。
さてどの学科がいいかと考えたところ、思い出したのが「メンタル・マップ」だった。
「メンタル・マップ」とは、個人が地域に対する地理空間のイメージである。リンチによると、「好ましいとする場所は実際より近くイメージし、好ましくない場所は遠くイメージする」。
「メンタル・マップ」を扱うのは心理学と地理学だが、地理学のほうが自分の関心に近いと考えた。さらにいうと、地理学の中でも文化地理学という分野であるらしい。
文化地理学がある通える大学をいくつかピックアップし、最初に合格した大学に編入学した。

結局「メンタル・マップ」は扱わず、だが現在に至るまでの調査対象物に出会ったのだから、人生はわからない。

小学生のころ庭の隅に造った山が湧き水を流さなかったのは地層形成時に受ける地下の圧力を考慮しなかったからである。この結論に至ったのが地理学科に進んだ成果の一つかもしれない。


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