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初めてなのに懐かしいのは

「懐かしい」にハマる英語は、nostalgic が一番近いけれど、fond memories もいいですね。子供頃の楽しかった思い出といった感じだろうか。「懐かしい」ってよくないですか?「懐かしく」感じている時、胸のあたりがじわっとしませんか?

私は過去に生きるのは嫌いなので、目指すは「断捨離」「こんまり」、言葉はなんでも良いけれど、不要なもの、ときめかないもの、過去の恨み、後悔は捨てたい、捨てるべきと思っている。でも、懐かしいって、捨てるべき?懐かしいって置いときたくないですか?

でも、今を生きるべきですよね。今、この瞬間を味わいながら生きるのを目指している私(目指しているだけで、到底程遠いですが)にとって、この「懐かしい」気持ちをどう扱うべきなのか。マインドフルネスの専門家がいらっしゃったら教えてほしい。私個人の見解としては、「懐かしい」は、心の栄養として片隅に置いておいて、時々思い出してニンマリすればよいものと思っている。

さてここまでは余談で、過去に経験した事を懐かしく感じるのは当然のことですが、見たこともないのに、聞いたこともないのに、または、味わったこともないのに、「懐かしい」と感じた経験は誰しもあるのではないだろうか。これは、例えば視覚であれば、過去に見たものと似ていると脳が判断した、と考えるのが妥当だろう。だけど、顕在意識で「過去によく見たこれこれに似ていて懐かしいなあ」なんて思うことはあまりないように思う。潜在意識が過去に見たものと照らし合わせ、何らかのパターンが似ていたので顕在意識に「懐かしい」という感情だけを起こさせたのだろうか。

私は霊とか生まれかわりとか占いとか信じないタイプだけど、最近は歳も重ねてきて、所詮この宇宙なんて不思議だらけで、分かってない事の方が多いんだし、大体私が今ここに生きているのも不思議なことだから、一見信じられないような事も全然あり得ると思うようになってきて、何だって信じたもん勝ちかなあとも思っている。初めて見て懐かしく感じた時は、「過去生で経験したのかなあ?」なんて想像してニンマリしている。

私が行ったこともないのに懐かしく感じるのが「シルクロード」。タクラマカン砂漠の砂丘や砂漠の街に妙に心惹かれる。中国の胡弓の音色もとても懐かしく感じる。私は過去生ではシルクロードを渡る隊商の娘だったのかなあ?何かそこで悲劇でもあった?シルクロード沿いの小さな王国のお姫様だった?または、私がここまで世界の辺境のような見知らぬ土地に心惹かれるのは、過去生で旅人だったから?とか好き勝手な事を想像してロマンに耽り、「シルクロード」とググって写真を見ては「行きたいなあ」とため息をついている。



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