見出し画像

先生、シロアリが空に向かってトンネルを作っています!―はじめに

今年の夏は暑かった。熱かったと言っても過言ではないかもしれない(過言だろう)。そのせいもあってか、今回は本書もいつもより厚くなった(そのせいではないだろう)。
最近は、野生動物、特に哺乳類とヒトの衝突がいっそう増加し、心が痛い。温暖化が原因の一つであることは間違いないと思う。

そんなこともあり、私はよく思うのだ。

鳥取環境大学(2015年に、公立鳥取環境大学に名称変更)が開学した2001年、世界では環境問題への関心が高まり、本学は、大学名に「環境」をつけた日本ではじめての大学として、国内でそれなりの注目を集めた。
1997年には、環境問題への人類の対策の歴史のなかで重要な出来事として記録に残りつづけるであろう「京都議定書」が採択された。世界ではじめての、環境問題への対策に関する国際協定だ。先進国に対して、2008年から2012年までの期間に、二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスを、1990年の排出量に比べ、日本は6パーセント、アメリカは7パーセント、ヨーロッパ(EU)は8パーセント削減することを約束したのだ。その後、ブッシュ政権時のアメリカが議定書から離脱し(発展途上国には削減目標を課さず、そのなかには温室効果ガスを多く排出していた中国も含まれていたため、アメリカは、不公平な協定だと主張した)、それを追うような形で日本も離脱し、京都議定書が有効な協定として機能したかというと必ずしもそうとは言えなかった。しかし、温室効果ガスの排出削減を世界中の国々が意識したという意味では画期的な協定だった。

ちなみに、2015年に採択されたパリ協定では、先進国、途上国の区別なく対象にされた。途上国の経済成長に伴う温室効果ガスの排出も増加しつづけたため当然の結果とも言える。
パリ協定では、世界の平均気温の上昇を、産業革命以前と比べ、1.5度以内に抑える努力をするという世界共通の目標が掲げられた。「1.5五度」というのは、それを超えると地球の各地に温暖化が連鎖的に起き、それらが温暖化を加速し、 そこからの気温上昇が抑えられなくなる、ぎりぎりの温度を意味する。

2001年の段階では、「気温上昇と言えるほどの安定した変化は起こってはいない」とか「地球温暖化は人類の排出する温室効果ガスのせいではなく、一時的な自然現象の一端にすぎない」といった〝温暖化懐疑論〟を主張する人たちも多くいたが、その後の、そして、現在の状況は、気候をテーマにしているほぼすべての世界中の科学者たちが、観測データやコンピューターによるシミュレーションをもとに主張してきたとおり、明らかに、「人類の活動=温室効果ガスの排出」が引き起こしてきた現象であることを証明していると言ってもよい。

もちろん、1900年代の終わりから、人類は、温暖化に対して何もしてこなかったわけではない。後退したように見えるときもあったが、世界各国が連帯しながら懸命な努力を続けてきた。

冒頭で書いた、私が「よく思う」ことは、開学から約二〇年の時を経て、今、世界は再び、温暖化をはじめとした地球環境問題に対抗する協同行動の大きなうねりを迎えているということだ。そして今回のうねりは20年前のうねりと異なり、そのうねりの実際の姿を社会や自然の、そこかしこに見ることができるということだ。それだけ、温暖化による気温上昇や災害の拡大(気温が上昇すると海からの水の蒸発量は増え降雨量が増し、熱エネルギーが空気の運動エネルギーに変化するため台風などの発生頻度や規模は増大する)、それに対抗する人類の動きも活発になってきたということだ。
鳥取市は、2030年度までにカーボンニュートラル(二酸化炭素など温室効果ガスの排出量と吸収量を同量にし、その排出量を実質ゼロに抑えること)を実現し、同時に地域の魅力と暮らしの質を向上させることを目指す環境省の「脱炭素先行地域」に選定された。そしてその共同提案者として公立鳥取環境大学は名を連ねている(これから、その実現に向けた取り組みをはじめる)。
また、国連が進めるRace to Zero(温室効果ガスの排出を2050年までにゼロにするアクション)に、日本で、大学としては3番目に、参画を承認された。

このように、大学だけを眺めても、うねりが「そこかしこに」見えるのだ。
そして「先生!シリーズ」だ。
シリーズは今回「先生、シロアリが空に向かってトンネルを作っています!」というタイトルになったが、先生!シリーズは、もちろん、第一の目的は、大学をめぐって起こるヒトと動物を中心とした生物の事件を読者のみなさんに、動物行動学の視点から紹介し、みなさんに少しでも元気を届けることができればということだが、それだけではないのだ。
文章の背後に、地球上の生物多様性の保全や温室効果ガスの削減をはじめとした「持続可能な豊かな社会の実現」への貢献という、私の切なる思いが常にあったことを、読者のみなさんはご存じだっただろうか(時々、私も、そんなものがあったことを忘れたこともあったが)。

つまり、こういうことだ。

「持続可能な豊かな社会の実現」のためには、まずは、次の二つの要件が満たされることが必要なのだ。
一つは、本文の「『ミニ地球』をあらためて思い出してください」の章でも詳しく書くが、社会が持続するためには、地球に備わっている「(人類の)生命維持装置」を健全に保たなければならないのだ。考えてみよう。アメリカから打ち上げられた宇宙船に日本人の宇宙飛行士が乗っているとき、宇宙飛行士と日本の地上の小学校の子どもたちが、テレビ画面の映像をとおして話をしている場面を、ニュースとして見られたことはないだろうか。宇宙飛行士はにこやかな顔で、子どもたちからの質問に答えるが、なぜそんなことが可能なのかというと、それはなにより、宇宙船が、かなりの体積を割いて、宇宙飛行士が船内で生きていくための装置を内蔵しているからだ。酸素や水などを供給し、気温や湿度などをある範囲に保つ生命維持装置を、だ。その生命維持装置は金属やプラスチックなどからなる部品でできているだろう。
一方、宇宙に浮かぶ、われわれが生きている「地球」も同じなのだ。生命維持装置があるから生きていけるのだ。ただし、宇宙船の生命維持装置の場合とちょっと違うのは、地球の生命維持装置を構成する〝部品〟の多くは「野生生物」なのだ。
私は、先生!シリーズの本のなかで、それら野生生物の特性(習性など)を、ヒトとのかかわりのなかでお話しし、彼らが、いかに愛おしい存在であるか、私が感じた思いを書いてきたのだ。多くの人に伝えたくて伝えたくて、そしたら元気も出るよね、みたいな思いで書いてきたのだ(書くことで、苦しいときも一番慰められたのは私かもしれないが)。
巨大コウモリが廊下を飛び、シマリスがヘビの頭をかじり、子リスたちがイタチを攻撃し、カエルが脱皮してその皮を食べ、キジがヤギに縄張り宣言し、モモンガの風呂ができ、大型野獣がキャンパスに侵入し、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをし、洞窟でコウモリとアナグマが同居し、イソギンチャクが腹痛を起こし、犬にサンショウウオの捜索を頼み、オサムシが研究室を掃除し、アオダイショウがモモンガ家族に迫り、大蛇が図書館をうろつき、頭突き中のヤギが尻尾で笑い、モモンガがお尻でフクロウを脅し、ヒキガエルが目移りしてダンゴムシを食べられず、………。トチノキやツタも主役として登場した。

尽きることなく事件を起こす生物たちが、それぞれの習性に応じて活動し、地球の生命維持装置をつくり出していたのだ。

次、二つ目の要件だ。
それは、『先生、脳のなかで自然が叫んでいます!』(先生!シリーズ番外編)なのだ。
つまりこういうことだ。
持続可能な豊かな社会であるためには、ヒトが心身健康な状態で暮らせる社会でなければならない。そのためには、われわれは「ヒトもまた進化の産物である」という動物行動学の根幹をなす原理を忘れてはならないと思うのだ。そして、その原理から導き出されることの一つは、ヒトの健康な精神の成長とその維持には、野生生物とのふれあいが必要だ、ということである。
たとえば、海のなかでの「進化の産物」であるイルカが心身健康であるためには、自由に泳ぐことができる海水はもちろん、仲間からのソナー音声、食料としての泳ぐ魚の存在などが必要である。そういった事物事象からの刺激を受けながら、イルカの心身は健康に成長し維持されるのである。
同様な意味で、陸上の自然のなかで捕食者から逃れ食料を得ることに適応しながら進化したヒトにとっては、野生生物とのふれあいが、心身の健康な成長や維持に必要なのだ。
捕食者から隠れたり休息したりする場所であり、食べられる果実や新緑が存在する可能性が高い場所である「緑地」を素早く見つけることができるように、ヒトの色に対する感度が(ほかの色に対してよりも)緑色に対して最も高いのは、その一例である。だから、ヒトは、街や家や室内に緑を置こうとするではないか。動物たちを見たい、動物たちとふれあいたいと感じるのも「進化の産物」としてのヒトの特性である。特に、脳は、成長のために、そういった刺激を受けることを前提として設計されている器官だからである。幼児が、筋肉の発達につながる「運動」を自発的に望んだり、言葉の発達を促すように、周囲の人の話し声に耳を傾けたり、さかんに自分で発声したりすることを望んだりするのと同じことである。

こうして、「ヒトと動物を中心とした生物の事件を読者のみなさんに、動物行動学の視点から紹介し、みなさんに少しでも元気を届けることができれば」という思いは、「地球上の生物多様性の保全や温室効果ガスの削減をはじめとした『持続可能な豊かな社会の実現』への貢献」という私の切なる思いとつながっているのである。

環境省が2023年8月に募集した第四回の脱炭素先行地域の選定では、重点選定モデルとして「生物多様性の保全、資源循環との統合的な取組」の枠組みが新設された。環境省も、ちゃんと理解しているのだ。

公立鳥取環境大学は、これからも、持続可能な社会の実現を理念に掲げつづけ、ほかの大学にはない色をもった、教員と学生が独自の取り組みに挑戦する大学として歩んでいくだろう(ちょっと大学の宣伝をさせていただきました)。
「先生!シリーズ」も、いろいろな苦難にもへこたれず(私が)、野生生物とヒトとのつながりが生み出す事件を中心に文字を連ね、少しでもみなさんに元気を届け、持続可能な社会の実現にも貢献できればと思っている。

この文章を浮かべているディスプレーからちょっと目を上げると、そこには、土壌にヤマトシロアリが棲みついたミニ地球がある。シロアリたちの体は小さいが、ミニ地球の消費者兼分解者として大いに活躍してくれている。
ここで読むのが嫌になられた方以外は、どうぞ本文に入っていただきたい。なぜヤマトシロアリか?も含めて、生物たちとヒトの出来事を、やさしい心で感じていただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?