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ザトウムシーはじめに

ザトウムシは山地の森の中で人知れずひっそりと生きているマイナーな動物である。私はあるきっかけでこの虫に魅せられ、高校生の頃から50年以上この虫を研究してきた。

この動物は移動力が乏しいために種分化(しゅぶんか)や進化、生物地理学などの研究には非常に面白い研究材料である。
機会があるたびにけっこう宣伝しているのだが、この動物を自分で研究してみようという若い人がなかなか現れない。
図鑑がなくて名前を簡単には調べられないことがその一因だとは承知しており、3年前に大学を退職してからは知り合いからも早くザトウムシの図鑑を書いてほしいとよく言われるようになった。

が、その実現は容易ではない。出版不況と言われる今日、こんなマイナー動物群の図鑑の出版なぞを引き受けてくれる奇特な出版社が見つかるのかどうか、という問題もあるが、じつは、日本産のザトウムシの分類の改訂がまだ道半(なか)ばなのだ。

私のザトウムシ分類研究の師匠である鈴木正将(せいしょう)先生がやり残された、難物のナミザトウムシ種群やアカサビザトウムシの地理的変異の全体像の把握と系統関係の解明までには私もほぼ40年を費やした。

現在とりあえずの結論は出ているが、複雑な地理的変異をすべて記述して論文に仕上げることは一朝一夕にはできない。これらを英語の原著論文として発表したあとでないと図鑑には着手できない。

というわけでまずは原著論文書きに精を出すことが自分の使命と考えて、少しずつ片付けていこうとしていた矢先、ちょっとしたきっかけで、ザトウムシという動物がどんなものかを紹介する一般向けの入門書を書くことになった。

じつはザトウムシの研究で私が一番目玉になると思っているのは染色体なのだが(コラム15、16を参照)、この内容も大半は原著論文が間に合わず、本書にはその内容は一部しか盛り込めなかった。
それでも多くの方にはザトウムシがどのような動物であるかを理解し、少なくとも、今度野山に出かけるときはこの虫を探してみようという気持ちにはなっていただけるのではないかと思う。

なるべくわかりやすく書いたつもりだが、種をどのように認識するかの話や染色体の話は面倒くさい、難しすぎると感じられるかもしれない。
しかし、それらに触れずに、生物学の研究材料としてのザトウムシの面白さは伝えられない。難しすぎると思われる方は、それらは読み飛ばして好きなところから読んでいただけたらと思う。

本書がザトウムシ研究という窓をとおして自然の奥深さや野外生物学の面白さを感じられたり、山でこの虫を見かけたときにより親しみを感じていただけたりする一助となれば幸いである。

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