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樹盗―著者あとがき

私がこの本を書き終える頃、ブリティッシュ・コロンビア州では、森林闘争が発生から30年後になってもまだ尾を引いていた。2021年の7、8月、環境保護活動家たちがバンクーバー島のフェアリークリークという地域に集まった。州政府がティール・ジョーンズという伐採企業に多くの原生林立木地の一区画を譲渡した地域である。雨林の奥深くで、抗議者たちは枝に腰かけ、林冠から演台を吊るし、木の梢に横断幕を広げ、伐採用の機材に寝そべった。彼らはほどなく1993年のクラークワット・サウンドの記録を超えた。5カ月にわたる期間で、1000人以上が逮捕されたのである。

フェアリークリーク封鎖のニュースを、私は州内の自宅でかじりつくように観ていた。私が住んでいるのはこの林業国カナダ。しかも2019年にわが街の近くで製材所が閉鎖され、それをきっかけに約200人が解雇された地域だ。この自治体はつい最近まで安定し勢いもあった経済に、いまや新たな変化をつける役目を担っている。

玄関の外には一本の細い道があり、もっと細く舗装されていない道へと続いているのだが、その先にはベイマツ、ベイツガ、ベイスギの小さな森が、北トンプソン川の岸に沿ってたたずんでいる。その森はウェルズグレイ・コミュニティ・フォレスト社によって管理されており、同社は以前この地域の林業が低迷中だった2004年、管理に着手した。コミュニティ・フォレストはいま、クリアウォーターの街を囲み、林業を含む数々の用途のために管理されている。わが家を取り囲むその森で伐採された木の収益は通常、地元の慈善事業や団体に還元されている。この事業は地域雇用の牽引力であり、同時に地域文化でもある。

ブリティッシュ・コロンビア州には、このウェルズグレイのようなコミュニティ・フォレストが徐々にひろがってきている。木立ちの持続可能な利用法に向けた、ささやかな誓約である。事実、州で最初のコミュニティ・フォレストは、森林闘争さなかの1998年に立ち上げられた。2021年発表の報告書にブリティッシュ・コロンビア州コミュニティ・フォレスト協会が記したところでは、民間企業が運営する森の二倍もの雇用をコミュニティ・フォレストが生み出しており、同州のコミュニティ・フォレストの半分は先住民の地域社会やパートナーシップで管理されている。

いまブリティッシュ・コロンビア州には、59のコミュニティ・フォレストが散在している。そのほとんどは、人口3000人未満の市町村が州政府から長期に借り受け、森で採れた木材や林産物を管理しながら運営しているものである。2021年には州内の1500人以上の人々がコミュニティ・フォレストから何らかの収入を得た。木材業のほか、消防、トレイル建設、科学研究によってだ。

森林管理の実践は、森林地域そのものをどれほど雄弁に物語るか。コミュニティ・フォレストはその問いにひとつの答えを与えてくれる。かつてセイブ・ザ・レッドウッズ・リーグが、「ライジング・レッドウッド・プロジェクト」という公園修復ベンチャー事業の一環として限定伐採を認めるというレッドウッド国立・州立公園との合意にサインをしたとき、オリックには反発感情が高まった。コミュニティ・フォレストはどんなに少なく見積もっても、こうした憤りを避ける手立てにはなる。公園の土地で重機が雑木林を皆伐したり、チェーンソーが何本もの木を倒したり刻んだりするのを見たことで、オリックの多くの住民は混乱し、激昂した。「なのに奴らは、むしろ俺たちを悪者呼ばわりだ。枯れた木を

拾っていっただけのことで」とデリック・ヒューズはいう。「俺にいわせれば、枯れ木拾いは何よりレッドウッドを救ってるのに」。

「奴らがルールを作っておいて守ってない」と彼は付け足す。「そんなんで他のみんなに何がいえるのか」。

自分たちのコミュニティ・フォレストを管理するという習慣は、もちろんブリティッシュ・コロンビア州の外でもひろがっている。私がペルーで訪れたコンセッションや、メキシコのコミュニティ・フォレストのいくつかはとてもうまくいっていて、専門家たちはそれらをグローバルモデルとして提案してきたほどだ。とくにコミュニティ・フォレストは、森林地域に無数にある貧困を減らしてきた。

サンシャインコーストでのコミュニティ・フォレストの例で見て来たように、盗伐はコミュニティ・フォレストでも起こっている。しかし盗伐者たちが、自分たちが盗んでいるのは見も知らぬ公園管理当局からではなく、近隣住民からなのだということを知れば、盗伐を助長する要因は少なくなるかも知れない。インフィエルノの森林にいるようなコミュニティ・ガーディアンと足並みをそろえれば、盗伐の危険が高まりすぎないようにすることもできる。ある場合には、それによってコミュニティの絆を強めることさえ可能だ。ヒューズがいうように、もし違法行為から手を引かせる人物を彼が知っていたら、町での生活は緊張がほぐれ、和気あいあいとしたものとなるかも知れない。

このことは保全に向けた新たなアプローチを必要とし、レンジャーたちに銃をもたないよう求めることになる。世界的に見て森林統治の専門家たちが支持し始めているのは、地域社会を取り巻く森林の管理権を地域社会みずからが担うという保全政策である。たとえそれが森林伐採を意味する場合であってもだ。そして人間による森林利用を考慮に入れない保全プロジェクトを提案する人々は、手厳しい反発を浴びる。2020年、100人のエコノミストと科学者からなるチームが、世界の土地と水の30パーセントを2030年までに保全するよう政府に嘆願する報告書を発表した。しかしそれは厳格な保全モデルで、人間を欠いており、またその計画は資源不使用による穴を観光で埋めるよう示唆したものだった。これに対し、世界の保全研究者や社会科学者はこぞって批判した。「この報告書は植民地主義のニューモデルのように私たちには読める」と。

人間による利用を自然から切り離すことは、安定し続けたためしがない。フォレスト憲章はこうした知恵を考慮に入れて、数百年を経たいまも起こっているこうした問題に対処していた。だがむしろ、時代のトラウマという遺産が残った。「私は一度もそのトラウマから回復したことのない夫をもった」とダディン・ベイリーはいう。1994年にクリントン大統領のポートランドサミットで声明文を読んだ人物だ。「彼はいろんな仕事をしようとして、実際やってもみたんだけど、彼が彼自身だったことは一度もない。魂の一部をもっていかれてしまったの。地元の人びとに対して果たせなかった約束があると、人は望みを失うものよね」。

究極をいえば、木を守るとは帰属の問題なのである。あなたはどこから来たのだろうか。こうした木々について、何をわかっているだろうか。「ぶっちゃけてやろうか? 真実を」とデリック・ヒューズはいう。「この土地はみんなユロク族のもんだ」。

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