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都市に侵入する獣たち―訳者あとがき

 飛行機の窓から大阪の中心部を見ると、灰色の四角い建物たちが立ち並び、ほんの少しの緑と中心部を流れる、コンクリートで護岸された川が見える。人が住みはじめる前は、森や湿地、草原が広がり、シカや、イノシシやツキノワグマも自由に闊歩していたことだろう。今は大型の獣は姿を消し、樹上棲のリスやムササビを見ることもない。

 北アメリカへ人々が移住を始めた時、そして徐々に人口が増加していった時、何が起こったのかをこの本で作者は劇的に明らかにしてくれる。

 著者によれば「マンハッタン島だけでも、同規模の典型的なサンゴ礁や熱帯雨林よりも多い55の異なる生態学的群集が存在したと推定されている。その草原、湿地、池、小川、森林、海岸線には、600~1000種の植物と350~650種の脊椎動物が生息していた」という。それらの生態学的群集は人々の手ですっかり破壊され、今ではコンクリートとアスファルトに覆われた無機質な空間に変貌している。

 環境は少しずつ改変されていった。初めはネイティブアメリカンはおもに狩猟採集をし少人数の集落を形づくっていた。一部の人々は農耕に従事していたが、大きく環境を変えることはなかった。集落の周りには多くの野生動物が行き来していただろう。やがて移民してきた人々は最も生物多様性が豊かな土地に集中するようになり、野生動物のすみかは人々の住居と家畜に占拠されはじめた。その頃にはすでに大型の哺乳類や食肉類は人間の暮らしに入り込む余地はなかったのだろう。やがて、文明の進化とともに、街にいる動物はイヌ、ネコ、ネズミと行動の自由度の高い鳥類だけになり、街はウマやウシ、ブタの糞尿にまみれることなく、スマートで清潔な都市へと変貌を遂げた。

 著者は、その都市部で新たに見かけるようになった野生動物に注目した。これは、これまであまり語られることも研究対象になることもなかった分野だ。本書のタイトルは「都市に侵入する獣たち」としたが、人間の立場からするとこれらの獣たちは侵入者であるが、実際には彼らは失われた土地を再び取り戻そうとしているように見える。

 今、日本でも多くの獣たちが都市部へと侵入しはじめていることが報告されている。タヌキ、キツネ、アナグマ、テンなどの小型から中型の動物たち。これらは人にとってあまり問題になるような侵入者ではないが、シカ、イノシシ、ツキノワグマ、ヒグマのような大型動物はさまざまな人との軋轢を生じさせている。人はクマを見ると恐れ、人的被害が生じることから駆除されるものも多い。しかし、クマは本来狂暴な生き物なのだろうか? 訳者の一人はかつて知床半島の奥にある漁師の番屋を訪ねたことがある。年老いた漁師が漁網をつくろっているすぐそばをヒグマの親子がのんびりと通り過ぎ、海岸で食べ物を探していた、そこには人と獣の間になんの緊張感も無く、平和な光景が広がっていた。人と獣がこのように平和に共存できないものか? 著者は語りかける。

 アメリカ各地で緑地があればリスがいるのは今では当たり前の光景だが、1840年代まではその姿を都市部では見かけなかった。リスは都市への最初の侵入者であり、現在では考えられないが、人々はリスをめぐって「リスと一緒に暮らすことの賢明さについて確信がもてず、人々はトウブハイイロリスが社会にどのような貢献をしたか、そして人間がそれらをどのように扱うべきかについて議論した。中傷する人は害獣と見なした。この魅力的で働き者の小さな生き物を隣人にもつことで、人々は神の創造物すべてに対して、より優しく、より慈しむようになると支持者たちは主張した」と議論した。しかし、リスは受け入れられ、都市で自由に暮らすようになった。「良い都会の動物であるということは、頭が良く、友好的で、比較的おとなしいことだった」と著者は書いている。

 さらに環境づくりとして?アメリカ中の都市が公園を建設し、何百万本もの木を植え、森林保護区をつくり、重要な水源の周りに保護区域を設置した。その結果さまざまな動物たちが生息可能となった。それに続く生物多様性の保全や絶滅危惧種を保護する法律制定など、アメリカ政府と環境保護団体は動物たちが生息できるさまざまな環境の保全対策を行ってきている。そして、大型動物を含む野生動物の生息可能な場所は準備され、野生動物の「侵入」が可能となった。ただ漫然と都市部に動物たちが戻ってきたのではなく、戻る条件を整えるための長年にわたる努力が実を結びつつあるということだ。

 戻ってきた動物たちに都市の人々はどう対応したのだろう? クマやピューマ、コヨーテをひたすら恐れたのだろうか?

「人間の食べ物を食べたクマは人間に対する恐怖心を失い、子グマに同じことを教えるようになる。(中略)しかし、誰が彼らを責めることができようか。一度ピーナッツバターを食べてしまったら、もう木の実や葉っぱには戻れないのだ」。この本では、クマに対する有効な対策は示されていない。しかし、餌を与えないことやゴミを適切に管理することが、人間との軋轢を避ける方策であると示している。

 コヨーテは幼い子どもを殺した。人々は恐れたが、やがて「ニューヨークでは。人々がコヨーテとの生活に慣れるにつれて、恐怖心は寛容さへと変化し、ある種の微妙な受容さえ生まれた」。これは、危険をもたらすかもしれない野生動物への対処の仕方というよりは慣れが一つの解決法であると述べている。

 ピューマが動物園に侵入し、コアラを食べたという事件があったが、これも人々はピューマを追い詰めず、共存することを選んでいる。

 著者は最後にこう書いている。「本書では、数十年の間に、どのようにして都市が予期せず野生動物でいっぱいになったかを、そしてこれが現在これら都市の生息地を共有している人々や他の動物にとってどのような意味をもつかを説明しようとした」

 原題は「Accidental Ecosystem」であり、著者の主張は都市の生態系は偶然に形成されたというものである。「自然保護の歴史において最も偉大な勝利の一つは、ほとんど偶然に起こったものだ。おもに人が数十年前に他の理由で下した決断により、18世紀から19世紀にかけて激減した野生種が、20世紀から21世紀にかけて、多くの新参者とともに都市部に戻ってきたのである」。そしてこう主張する。「野生生物への配慮を都市生活のあらゆる側面に取り入れることを始めるべき時なのだ。それは簡単なことではない。しかし、科学に基づいた対策を採用して、地域社会の意見と支持を得ながら実施し、信頼できる公共投資で対策を維持する。しかも、最も貧しくて最も弱い立場にある人々にも配慮した対策として設計する。そうすれば、いつか私たちはみんな、より清潔で、より緑豊かで、より健康的で、より公正で、より持続可能な、多様性と共生に満ちた地域社会に住めるようになるだろう」。果たして、日本人は都市に侵入してきた野生動物に寛容であることができるだろうか? 本書は共生のための即効薬という内容ではない。しかし、現在、都市部に出現するクマやシカ、イノシシたちとの共生を考える手がかりになるのではないだろうか。

 都市部に侵入してきた動物たちは小さな個体群を形成している。これらのやや孤立した個体群に変異が多く起こっていることも本書で指摘されている。やがてこれらの変異の積み重ねから新たな種が生まれるかもしれない。都市は進化の実験場になって、私たちは生物の進化を目の当たりにすることができるのではないだろうか? 動物たちの生態や行動、社会、そして進化に興味を持つ若い研究者たちにぜひ本書を読んでいただきたい。多くの研究のヒントがここにはある。(後略)

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