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枯木ワンダーランドーはじめに

宮城県にある我が家の庭に、三年ほど前に枯れたコナラの枯木が立っている。以前から樹勢が弱っていて、キクイムシの穿孔とフラス(幹に穿孔したキクイムシが外に出した大量の木屑)がたくさん見られた年もあったし、根元からカエンタケ(炎のような色と形が印象的な硬い毒キノコ)が生えた年もあったけれど、なんとか枝の一部だけ葉がついていたのだが、ついに枯れた。

この枯木、そのまま放ってある。樹高10メートルくらいあり、車の駐車スペースのすぐ横なので、枝が落ちてくると危ないのだが、そのままにしてある。実際、大風のたびに枯れた枝がバラバラと落ちてくるのだが、今のところ車は無事だ。

なぜ放置してあるのかというと、次々に面白いものが見られるので、切れないのだ。まず、ナラ枯れ(カシノナガキクイムシによって媒介される病原菌によるナラ類樹木の枯死。正式名称は「ブナ科樹木萎凋(いちょう)病」)とお約束のようなカエンタケの発生(ナラ枯れで枯死したナラ類樹木の根元に生えることが多い)が庭で見られることも、なかなかない。枯れかけてキクイムシの穿孔がひどかったときは、穴から樹液が大量に出るのでカブトムシやクワガタが鈴なりになって子ども(というよりも僕)が狂喜していた。

そして、枯れた直後の秋にはなんと幹からツキヨタケが生えてきた。ツキヨタケは発光することで有名な毒キノコで、普通はもっと標高の高い山の上のブナの枯木に生える。こんな標高の低いところ(我が家の標高はおよそ130メートル)のコナラに生えるのは初めて見た(山から運んできたブナの倒木に生えているのを京都駅近くで見たことはあるが、これは強制移住であろう)。ブナの森にわざわざ行かなくても庭で光るキノコが見られるのはなかなか良い。

ツキヨタケとよく一緒に生えるムキタケもやっぱり生えてきた。この二種はもしかしたら何か寄生関係のようなものがあるのかもしれない。ムキタケは、ツキヨタケとよく似ているが、こちらはおいしい食用キノコである。翌年の春には、ひと冬越した萎(しな)びたムキタケをリスが食べに来た。幹の上のほうの安全な場所でムキタケをむしっては、枝の上で一心不乱に食べている。と思ったら、ふと動きを止めて、まだたくさん残っているムキタケを無造作に下に落とした。リスがキノコを食べることは、欧米では有名だが、日本ではなかなかお目にかかれない光景だ。

去年からは、幹の下のほうにナメコが大量に発生し始めた。

もし、枯れた時点でこのコナラを切り倒して薪にしてしまっていたら、こんなに面白いいろいろなものが見られなかったと思うと、やっぱり切れない。

「枯木も山の賑わい(つまらないものでもないよりまし)」という言葉があるが、「枯木こそ山の賑わい」といってもいいような生き物の賑わいが枯木にはある。実際、花咲か爺さんがわざわざ花を咲かさなくても、ひとたびしゃがみ込んで枯木の表面に顔を近づけてみれば、時間を忘れて見入ってしまうほどの摩訶不思議な生き物たちの営みを見ることができる。だから枯木をただの燃料として燃やしてしまうのは、もったいない。僕は焚き火も薪ストーブも好きだが、これまで枯木で見つけてきたたくさんの面白いものを想像すると、なかなか薪にできない。本書では、読者の皆さんをこのジレンマに引きずり込もうと思う。

第1部では、僕がこれまで枯木の上で出会ってきたいろいろな生き物を詳しく紹介する。基本的に僕自身の体験に沿った書き方をしているので、一人の研究者の生態としても興味をもっていただけるかもしれない。第1章では、小学校の自由研究から始まったコケとの付き合いについて、第2章では、博物館の夏休み講座での変形菌(粘菌)との衝撃的な出会いについて、第3章では、大学から今につながるキノコとの運命的な出会いについて、第4章では、共同研究者と行った腐生ランを巡る旅について、第5章では、家の庭に置いてある丸太にやってきた昆虫や動物について紹介する。

枯木に住んでいる生き物は、こういった目に見えるものたちだけではない。第6章では、バクテリアやウイルスの話もまとめた。さらに、目に見える生き物であっても、それらの栄養のやりとりなどを直接観察することはできない場合も多い。本書では、そんな〝目に見えない〟ものを可視化するために生態学で使われている「環境DNA分析」や「安定同位体分析」などについても解説している。これらの手法は本書の全体にたびたび登場するので、今や生態学にとって欠かせない手法であることを理解していただけると思う。

枯木でいろいろな生き物を見つけて喜んでいても仕方がないと思うかもしれないが、枯木は多くの自然現象とつながっている。その代表が、地球の環境変動でますます重要性を増している、炭素の貯留だ。

枯木は、重量の約半分が炭素でできており、分解する過程で二酸化炭素を放出するが、すべてが分解して大気中に放出されるわけではない。分解しにくい一部の成分が残り、土壌有機物として炭素の貯留に貢献するだけでなく、養分を吸着して豊かな土壌を形成する。この分解というプロセスがどう進むかは、そこに関わる生き物の働きにかかっている。土もまた、人類の存続には必要不可欠だ。

第2部では、地球規模の出来事に枯木がどう関係するのかについてまとめた。まず第7章で枯木の分解が菌類によってどのように進むかについて紹介した後、第8章では近年世界中で多発する森林樹木の大量枯死と、それによって大量に発生する枯木が生態系に与える影響について、第9章では、逆に枯木が森の中からなくなるとどんなことが起きるのか、第10章では、そもそも枯木があることで僕らはどんな恩恵を受けているのかを説明する。そして最後に第11章では、森林が持続的に存在するための、次世代の樹木の成長に重要な倒木更新という現象について紹介する。

本書では、野外にある枯死木のことを「枯木(かれき)」、林業で生産・製材加工された木のことを「木材」と呼んで区別した。ただし、枯死木を分解する菌類に関しては、分解する対象が野外の枯木であろうと製材された木材であろうと「木材腐朽菌」という用語を用いた。

また、写真や文章では伝えきれない生物の動きを見せてくれる動画も紹介しているので参照してみてほしい。

山で、公園で、庭で枯木を見つけたときに、その枯木の中に住んでいる生き物や、枯木から始まる物語に想いを馳せていただけたら、この上ない喜びである。

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