見出し画像

小説『モモタマナと泣き男』 第9話 

前話へ                          次話へ

     
      第4章  花咲く初秋

 
                     
            1.
 
 ようやく夏の終わりを感じられてきた頃、モモタマナの木に花が咲いた。
 大きな木なのに、小指の爪先にも満たない小さな花は、房状につらなり、緑色の葉の合間に白い流星痕を描きだしている。

 母から聞いていたとおり、夏休みはあわただしく過ぎていった。宿泊客も多かったし、「弔いの式」や「お葬式」もそれなりの数が執り行われた。

 連日の疲れがたまったのか、母がめずらしく風邪を引いた。
 ゆっくりしていたほうがいいよ、という真那の助言を気にもとめずに動きつづけた母は、とうとう熱を出してしまった。ようやく病院に行くと、心配な数値があるからと医師に告げられ、急きょ数日間の検査入院が決まった。
 
 入院に必要なものをかき集め、看護師さんに届けてようやく帰ってきたところだった。
「えー、おばあちゃん、にゅういんなの? やだやだー」
 まことが首をかたむけ、心底残念そうな声を出す。最近のまことは、自分の不満を少しずつ口に出すようになっていた。

「ママもやだよ。元気になって帰ってきてくれるまで、いっしょにがんばろう、ね?」
 真那が言うと、まことは少しだけ凜々しい顔つきになり、こくんと力づよくうなずいた。話が聞こえていたのか、近くにいた父もめずらしく、ぴくんと顔を上げこちらを見たが、またすぐに手元の本へと視線を落とした。

 最近の父は、前かがみによろよろと動き、何を訊いても首を小さくひねるだけだった。記憶を手放していく過程のようで、どこかやるせない気持ちになる。父は、どこへいったのだろう。私があれほど怖れていた父は—―。
 たまった洗濯物を槽に投げこむと、スタートボタンをつよく押す。年季のはいった洗濯機が、があんがあんと大きな音を立て、水を荒っぽくかき回した。
 
 ふと母からの着信に気がつき、あわてて緑色のマークをタップする。
「あ、真那ごめんね。お母さん元気だと思うんだけど……。お父さんや、まこともいるのにね。お客さんも、入ってるよね」
 気落ちしているのが一瞬でわかる声だった。民宿の帳簿を見ると、今日も明日も予約が入っている。

「大丈夫だよ。私も慣れてきたし、みんなでなんとかするから。サワオもこき使うしさ」
 明るく言うと、母はもう一度小さく謝り、「それとね」とつづけた。
「今日は、真那の誕生日でしょう?」
 あ、と小さな声がもれ出る。そういえば、そうだった。

「今年はみんなでお祝いができるって、張りきっていたのに」
 母の無念そうな顔は、電話ごしでも容易に想像ができた。

 子どもの頃、真那は自分の誕生日が楽しみで仕方なかった。盛大なお祝いというわけではなかったが、母はいつも真那の好きな、鶏のから揚げを作ってくれた。山のように盛られたそれを、弟と競いあってもりもり食べた。あの日食べるから揚げは、とくべつだった。
 あの頃の自分は、誕生日を忘れるなんてありえないと思っていた。

「いいよ、もう誕生日なんて」
 照れくさくなり、やや大げさに笑う。
 壁にかかったカレンダーに目をやると、八月二十八日の欄に小さく『真那・誕生日』と書きこまれていた。真那がいない年も、こうやって毎年書きこんでくれていたのだろうか。

 母との電話を終えると、真那はエプロンの紐を腰の前できゅっと結んだ。
「よし、がんばらないと」

 宿泊棟に行き、窓を開けると、リネンとタオルの交換をした。あちらこちらの掃除もすませる。チェックインの時間までに献立を考え、買い物にも行っておかなければならない。

 
 まこととサワオの姿は、すぐには見つけられなかった。そういえば朝、保井先生と、山手の沢女サワメ神社に行ってくると言っていたが、さすがにもう帰ってきているだろう。
 まことのサンダルが見当たらないので、海だろうか。ふたりはしょっちゅう海へ遊びに行っては、玄関を砂だらけにした。あんなに色白だったまことは、今ではコッペパンみたいにこんがり焼けて、にかっと白い歯をむきだし、よく笑うようになった。

 父はといえば、またモモタマナの木の下のイスに移動して、本を読んでいた。普段ならそこに、時おりまことがやってきて「むし、みつけたよ」とか、「かたなみたいな、かたいぼうあったよ」とか言いながら、見せにくるようだった。

 最近の父は落ち着いていたし、少しだけなら買い物に出ても大丈夫だろう。まこととサワオも近くにいるし、すぐに帰ってくるはずだ。

「行ってきまーす」
 だれにともなく声をかけ、車に乗りこむ。

 さて、今日の献立は何にしようか。夕食付きの宿泊客もいるから、魚料理を出したら喜ばれるかもしれない。新鮮な魚といえば、あのスーパー。そこでふっと、ユウコの顔が浮かんでくる。 
 あの日以来、ユウコは会っていなかった。
 母が買い出しに行くことが多かったし、真那が行く時は別のスーパーに行くようにしていた。でも、ユウコのいるスーパーは、魚がとても新鮮なのだと母がよく言っていた。
 ふう、と大きく息をはく。いったい、いつまで逃げているのか。ユウコはそれほど怖がる対象なのだろうか。父のこと、家族のことをもし聞かれたら、正直に答えればいいだけじゃないのか。ただ、それだけのことだだろう。

 もし新鮮な魚が出ていれば、刺身か煮つけにしようか。塩焼きも喜ばれるかもしれない。めずらしく、ムニエルなんかはどうだろう。それならサイドは、野菜たっぷりのスペイン風オムレツにして……。つぎつぎと、献立案がわいてくる。
 

 空はからっと晴れていた。真那は、ユウコの勤めるスーパーへ車を走らせる。店に着くと買い物かごを手にとって、自動ドアから中に入った。覚悟は決めたはずなのに、やっぱり少し緊張する。右手のレジを横目で見たが、ユウコらしき女性は見当たらなかった。かるく胸をなでおろし、魚コーナーへと向かった。

 聞いていたとおり、陳列棚には朝獲れの、目の透明な魚ばかりが並んでいた。切り身のパックもあったが、一匹まるのままのほうがお買い得だし、種類も豊富だ。棚の前に「調理できます」とあったので、すみませーん、と調理場のドアを開いた。

 はーい、と出てきたのはなんと、ユウコだった。
 白い帽子を目深にかぶり、ビニル製の足首まである白いエプロンに長靴。マスクで顔半分はかくれていたが、マスカラの塗られたネコみたいな目元は、あの日のユウコだった。
「あ、真那……」
 ユウコが居心地のわるそうな顔をする。
「え、久しぶり。あの、魚を」
 心の用意はできていたはずなのに、目の前にすると戸惑ってしまう。
「レジから魚にうつったんだ」
 ぼそぼそとつぶやくユウコに、以前のような覇気はなかった。
「そうなんだ。すごいね」
 ユウコが、怪訝そうな顔をする。変なことは言っていないと思う。

「どうするの、これ」
 ユウコが、真那の手元を見て問う。
「あ、これ、調理を。こっちは刺身用、こっちは切り身に」
「あらは?」
「え?」
「頭とか骨。あらだきとか吸い物とかで、あらを使うかって聞いてんの」
「あ、うん。じゃあ使う」
「ちょっと待ってて」
 そう言って、ユウコは奥へと入って行った。

 真那の予想よりもずいぶんとはやく、ユウコはドアから出てきた。
「これでいい?」
 再度パックされた魚は、魔法をかけられたかのようにカタチを変え、きれいに並べられていた。あらは別の袋に分けて入れられている。
 真那がまじまじと魚を見る。
「なに、文句ある?」
 ユウコが顔をしかめる。
「いや、きれいだなと思って。びっくりしてる」
「は、なにそれ」
 ユウコが今日はじめて笑った。
「魔法かけたみたいだなって。じつは私まだ、うまくさばけないから。すごく助かる」
「……まあね、場数だけはふんでるから」
ユウコがはにかむ。
「でも、臭くない? 私」
「臭い?」
 予期せぬ言葉に、真那は思わず聞きかえす。 
「ほら、一日中魚さばいて、血だらけになって。なんか、手とか体とか全部、臭いも変わっちゃった気がして」
 そんなわけがない。真那は、ぶんぶんと全力で首を横にふる。この町の人々の食卓を助けてくれている。そんなことあるわけがない。
 
 必死で首をふる真那を見て、ユウコは脱力したように笑った。
「レジで態度が悪いって、クレームつけられてさ。それでこっちに、鮮魚コーナーにまわされたんだ。辞めようかと思ったけど、仕事、すぐに見つかるか分かんないし」
「態度って、そんな……」
「なんかみんな、厳しいよね」
 ユウコがふう、と息をはき、頭を垂れる。

「お客さんがね、レジで順番待ちしてたの。そしたら、その人に気づかなかったお年寄りが、ふっ、て割り込むみたいになっちゃったの。それでその人がさ、急いでるのにーって、めちゃくちゃ鬼みたいになってさ。お年寄りはもう順番ゆずってるのに、鳴りやまなくなっちゃって。で、つい私『ひとりくらい、いいじゃん』って、つぶやいちゃったの。それですべてが、終わった」

 悲壮な話をしているはずなのに、ユウコの話し方のせいだろうか、なぜか面白く感じてしまう。
「え、今笑った? うそ」
「いやいや、笑ってないよ」
「笑ってるじゃん」
「笑ってないよ」
「ぜったい笑ったし」
「ふふ、いやユウコらしいな、と思って」
 いつも自分の感情に正直で、真正面からぶつかっていくユウコ。
「何それ、褒めてるの?」
「半々くらい?」
「半々って何? あと半分何?」
 ユウコが食いついてくる。それから同時に、ふたりでふふっと噴きだした。

「そうだ、今度、民宿に遊びにおいでよ」
「え、いいの?」
「うん、もちろん」
 見開いたユウコの目がかがやく。
「でもさ真那って、私とか苦手なタイプなんじゃないの? 小学生の頃からずっとそんな感じだったし」
 真那はハッとしする。気づかれていたのだ。それもずっと前から。
「まあ、いいじゃん。たまには」
 答えになっていない答えを返すと、ユウコも力が抜けたように、ふにゃっと目尻を垂らして笑った。
「うん、今度行くわ」
 それからユウコは、最初よりもずっと軽い足どりで、奥の調理場へと戻っていった。
 
 
       
           2.
 
 買い物袋を手に、駐車場へと戻る。
 今日はやけに日差しが強い。車内にはもわんとした熱気がたまって、まだまだ残暑のきびしい季節なのだと思い知る。いったん車の窓を開けたのち、エアコンを強風に合わせた。

 父は、部屋に戻っただろうか。さすがにずっと外にいたら熱中症のおそれがあるかもしれない。今さらながら、考えが足りなかったと反省する。サワオたちは帰ってきているだろうか。だれかエアコンをつけてくれていればいいのだが。やっぱり、サワオかまことに頼んでから出かければよかったのだ。あせる気持ちを抑え、アクセルを踏む。

 海沿いの一本道を右に曲がって、細い坂道を上っていく。どうしても気がせいてしまう。丘を上がりきったところで、モモタマナの木が見えてくる。父を確認しようと目をこらしたが、木の下にはいないようだった。ホッと胸をなでおろす。
 
 と、真那は、そこで異変に気がついた。
 何かが、空へ細ながく伸びている。



前話へ         次話へ


○ ○ ○

 



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?