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三つ編みの扉(短編小説)

幼いころ、祖母の三つ編みを覗き込むのが好きだった。
彼女の三つ編みは、彼女が旅してきた国の数に対応していた。
海辺の街の潮風の香りが、本を読み耽った喫茶店のコーヒーの香りが、砂漠のねっ風に運ばれてきた砂埃が、彼女の長い髪には編み込まれているのだった。

ある日、ふと夜中に目を覚ますと、どこからか囁き声が聞こえた。
そしてそれはどうやら、祖母の三つ編みの中から聞こえているようだった。
「誰?」
わたしは眠る祖母の三つ編みを幼い指でかき分けた。
「ここよ、ここ」
どうやら三つ編みの祖母の頭に最も近いところから、声は聞こえていた。
(これはどこの国だったかしら)
寝ぼけた頭で、私はその三つ編みをかき分け、覗き込んだ。

そこには小さな扉があった。
三つ編みの中にさらに扉があるなんて、初めてのことだった。
「こんばんは」
声の主は扉の向こうから話しかけてきた。
「こんばんは」
返事をしてから、わたしは怖くなった。
祖母が眠っている時に、彼女の三つ編みを覗き込むことは、なんだかしてはいけないことのように思えたのだ。
「ごめんなさい、わたし、もう眠らなくちゃ」
わたしは声の主の返事も待たずに、三つ編みを元に戻した。
そして急いでベッドに戻り、その声のことを忘れてしまった。

祖母が亡くなったとき、ふとその時のことを思い出した。
花に囲まれて眠る祖母の三つ編みを、1人になったわたしはそっとかき分けた。
そこには変わらず扉があった。
「こんにちは」
呼びかけてみたが返事はなかった。
「おやすみなさい」
扉の向こうの彼女に届くことを祈りながら、わたしはまた三つ編みを元に戻した。

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