存在の軽さと現実と書いた重力の重さと
首を寝違えた。痛い。
昔、ムチウチになったことがある6月なのでタイミング的には思った以上に最悪なのだが、ずいぶんとそのトラウマも解消されているように思う。
夏の予兆が訪れる梅雨の音はコンクリートを濡らし独特な匂いとして歩く都会に訪れる。
雨の音は静けさを感じさせるが、そこに風が加わると暴力的になるのは何故だろう。風というものが自然の中でも恐ろしいものである証左なのかもしれない。
滲み出る汗が梅雨を感じさせる、空気も空も澱んでいて他人と会話するのが億劫になる。
現実の速度が心臓の鼓動よりも速くなっている世の中で、人間の感情や許容よりも速く世の中が進化しようとしている。
有力者や富を成したもの安定と安寧を己中心に築き上げた人々の会議は壁の向こう側の楽園だけを対象にしている。
のかもしれない。
そのような時代が訪れたとして、人々の幸せが欺瞞だったとして、それでも表面的に幸せをアピールすることで世界が維持されていたとして、追いやられた不幸はどこに行くのだろう。
不幸は不幸らしく部屋の隅っこでドロドロに塗れ黒くで澱み続けている、そして気付かぬうちに這い寄って我々にしがみつく。離さないでと。
人々が歩きながらスマートフォンに目を向けるのは背中で蠢いている不幸に気づかないようにしているのかもしれない。
他人に目を向けないのも同じものがくっついているのを見るのが嫌なのかもしれない。
そうして自分勝手な有象無象が出来上がり、心という不確かなものは何一つ機能しなくなる。
街に溢れる現実に嫌気がさして、夜の海に潜るため、逃避のために身体を売って、摩耗していく精神は、サイクルのように繰り返していく。
心という不確かなものは何一つ機能しなくなる。
時代を強風が襲って、それをただ眺めているだけのようで、我々は嵐の中を生きている。
悲しい歌を歌わなければいけないかもしれない。誰も聞いてないとしても。
楽しいことに逃避していれば本当に楽しくなるし、本当に楽しくても楽しさに逃避しているのかもしれない。
悲しい歌に耳を塞いでくれても構わない、ただ、そこに存在しているのだから。
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