「置かれた場所で咲きなさい」と言われても…的なことを思う人もいるだろう

なんとなく、そういう本が流行った時期があったのではないか、という気がする。
本の内容はわからない。
ふとした時に、急に「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が頭の中に出てきて、これなんだっけと調べた。

置かれた場所で咲きなさい、と言われてもな…と考え込んでしまう人もいるだろう。
捉え方によっては、「どれだけ劣悪な環境でも、そこで上手くやっていかなければならないのか」みたいな風にも聞こえなくもない。
余計なお世話というか、なぜそんなことを言われなくてはいけないのか、という上から目線な感じが鼻につく。

置かれた場所で咲きなさい、にはどこか禁欲的な響きがある。
本来なら、自分がいるべき場所、いたい場所を探して生きていく。自分の中で得られる安定感みたいなものを探す。
自由を求めて想いを馳せるのが人間というもの。
置かれた場所で咲きなさい、と言われると「あなたはその場に居続けなければダメです」みたいな圧を感じる人もいるだろう。
自分の身の丈以上のものを欲しがらず、そういう苦労を抱えるのではなく、謙虚でいなさいみたいな感じだ。
言葉というのは本当に難しい。人によって、180度変わるという怖さがある。

ただ、「置かれた場所で咲く」ためには、「現在の自分」を受け入れることが必須になる。
そこに注目してみると、「置かれた場所で咲く」にはとても重要なことが含まれていると思う。
受け入れたくない、故に変化する、というのも人間の素晴らしさだけど、そのままでは辛いものがある。
不思議なもので、「変化」をもたらすためには現状を受け入れていくということが、先決なのだ。
しかし、かと言って、なぜそこで咲かなければならないのか。

そもそも、咲くというのは、そこに根を下ろし蕾から花へと成長する流れがある。
「置かれた場所」というのが、仮に自分で選べないものだとしたら、家庭のように誰かが育ててくれるものなのかも知れない。
そうすれば、咲きなさいなどと言われなくても、

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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