悲しみにどう向き合うのか

子供の頃から、虚しいという感情を抱くことは多かったが、悲しいと思うことはあまりなかった。
そんな僕も、いつからか「悲しい」ということを強く感じるようになった。
もちろん、それは犬のおかげだろう。

悲しみに打ちひしがれてしまうことは、誰にだってあるのだろう。そんな時、どうすることが正しいのか。
ただ悲しんでいることが自然か、悲しみに抗うことが自然か。
どちらも人間の自然なのだろう。

生活の中に常に悲しみが流れている、という人もいるだろう。
過去の苦しみや現状を嘆く気持ちが継続していて、悲しいのだ。これがあっては生きて行くことが困難だと思っても、仕方がないような感情だろう。
僕も、そんな経験がある。
何もかも平気な人間では無い。人と同じようにしんどいこともあるし、立ち行かないこともある。

綺麗事かもしれないが、悲しみも一つの「感覚」であり、情緒だ。それを美しいと捉えることもできる。
悲しいということを「ただ悲しい」と捉えるのではなく、人生の深さだと捉えることができたら、素敵だろう。
先輩方やお年寄り方の中には、そんな風に悲しみを昇華させている人もたくさんいる。
僕はよくわからない。
頭でわかっていても、精神がついていかない感じか。

悲しみを乗り越えず、忘れてしまうのも良いと思う。
しかし、本当に悲しいことは忘れられないので、定期的に思い出すことになる。でも、それが良い。
定期的に思い出し、打ちひしがれることで、

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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