特に、何か思ってほしいというわけではないのだが、こんな側面についても書いてみよう

思うところがあって、今の生活について考えていた。
今ある環境や自分が持っているものから、脱却したいという感情が、時折顔を出す。
こういうのはもう病気だなと思うのだが、どうだろう。人が日々どんな感情を持って生活しているのか、想像もつかない。

突然、やっている仕事や環境から抜け出したくなる時ってあると思う。いや、無いか。
ちょっとわからないが、僕はある。
こういう言い方をしては失礼だと思うが、鬱になろうと思えばいつでもなれるのが、僕のような人種の特徴ではないだろうか。
ようは、それを認識するのかどうか、忘れているのかどうか、みたいな発想である。
だから、何かのきっかけでそれを見直さなければならないとなると、途端に
病むだろう。向き合わないことが大切なのだ。
なんていい加減な人間か。

少なくとも、パーソナリティ障害を持っていたりすると、そもそもその障害による症状というよりも、鬱など別の病気の併発みたいなことで苦労をする。
僕が生きて来た中で知り合った人なんてほんの少数ではあるが、それでも鬱の人は苦しんでいたし、「もともとこの人は、社交的で行動的で明るい人なんだろうな」と思えるような人が多かった。
不思議なものだ。
ほんの少しの違いというか、感覚の鋭さによって、病むか病まないかが分けられている。
本人でも、そんなことはわからないだろう。

研究者と呼ばれる仕事をしている人たちの中でも、鬱になる人はたくさんいる。
そもそも、そういう感覚を持っているから、あの手の活動を飽きることなく繰り返すことができるのだろう。
はっきり言って、普通の感覚ではない。自慢するつもりもないし、どのようなつもりもないのだが、一般的な仕事に従事している人には無理だと思う。想像されるよりも、おそらく苦痛だ。
僕のような人間でも、その集団の中では「普通」の部類だから、

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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