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人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?【66】

私はあなたの味方です

たとえあなたがどんな選択をしたとしても、私はあなたの考えを尊重し、いつもあなたの味方でいますーーーこれこそが、本当に「他者の多様性を認める」ということ。

「あなたの考えを尊重するよ」と言うだけでは「多様性を認めてあげた」ことにはならないんですね。

「味方でいてあげられること」

この言葉が何よりも刺さりました。


「孤独」は最も重い病気

先日「孤独」について学んだので、この意味はよく分かります。孤独喫煙と同じレベルで健康に悪く、「つながり」があることが寿命を長くするという研究結果さえあるそうです。

感染対策という名の元に高齢者を施設に閉じ込めて、アクリル越しの面会を強いることは、果たして高齢者の健康の為になっているのか?

遊具に触れてはダメ。お友だちに触ってはダメ。おしゃべりしながらご飯を食べてはダメ… (幼稚園に通っている子供がいるお母さんから聞いた話です) そんな毎日を送っている子供は、健康に育つのか?

もうそろそろ真剣に考えても良いのではないでしょうか?


人にしかできない仕事

「将来AIに奪われるような職業は選ばないように。人にしかできないことを職業にできるように!」と、子供たちには言っています笑

でも、どんな職業であっても、AIにはできないような独創的な仕事ができれば、生き残ることができるんですね。職業ではなく、仕事の仕方、生き方を考えるということが重要なのかもしれません。

私も「他の人にはできない、ましてやロボットには…」と言われるような仕事をしないといけないな…


北風と太陽

病院では「安心・安全」が基本。
だから、
・口からたべたら危険 → 絶飲食 → 胃瘻
・肺炎を繰り返す → 気管切開
・転んだら危険 → ベッドで安静 → 寝たきり
・嫌がって管をぬく→ 手袋をはめる → 手足を縛る → 寝たきり

入院患者さんは「安全・安心」を得る代わりに、「生活」を奪われる。そのうち寝たきりになって、最期を迎えるのは病院のベッド。

こんな患者さんを、病院から「生活の場」へ戻すと、点滴が不要になったり、ご飯がもりもり食べられるようになったり、高度な認知症でも昔の記憶が戻って教え子達に会って喜べるようになったり… こんなことが実際に起こっているそうです。

当然、これらの事例は大変恵まれた環境だったから出来たのであって、全ての人に当てはまるわけではありません。でも、全国どこででも高齢者が安心して「生活」できる社会に近づけて行く工夫はしてもいいんじゃないかと思いました。


人は家畜になっても生き残る道をえらぶのか?

このタイトルを見た時、目頭が熱くなりました。ずっとモヤモヤしていた気持ちを言語化してもらったようで。そして、真っ先に浮かんだセリフ笑

一生壁の中から出られなくても……
メシ食ってりゃ生きていけるよ…でも…それじゃ…
まるで
家畜じゃないか…
『進撃の巨人』第1巻

人々の多くは、なぜ家畜でいられるのか? 不思議で仕方がありませんでした。

そして、その答えがこれだと気付きました。

民衆が根本的に、自主的な思考とそれにともなう責任よりも、命令と従属とそれにともなう責任免除のほうを好む歴史上の顕著な例証である。
『銀河英雄伝説1 黎明篇』
「民衆はどうしてだまされたんだろう?」
(中略)
「民衆が楽をしたがったからさ」
「楽をしたがる?」
「そうとも。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖人なりがあらわれて、彼らの苦労を全部ひとりでしょいこんでくれるのを待っていたんだ。(中略)独裁者は出現させる側により多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙って見ていれば同罪だ……(後略)」
『銀河英雄伝説1 黎明篇』

「国全体の利益のためなのだから、妊娠・出産などへの長期的な副作用のリスクには目を瞑れ」と、若者や子供に本気で言えるほど、皆んな楽がしたいのか…? 
疑問です。


ダブルスタンダードへの違和感

本当に子供にワクチンは必要なのだろうか?たしかにこうした「子供が家庭で高齢者にうつして高齢者が死んでしまったら…」という言説はある意味では真実かもしれない。しかし、歴史や社会全体を俯瞰してみると、それらが真実のうちの一部でしかないことがわかる。

そもそも、「感染症は感染者のせい」と考えてしまうこと自体が非常に危険な発想なのだ。それをやりだしたら社会が壊れてしまう。

インフルエンザは毎年1千万人が感染して1万人の超過死亡が出る。これまで、インフルエンザ死の1万人に対してたとえ1件でも感染源を「犯人」と責め立てたことがあっただろうか。肺炎球菌は子供の約半数が保菌していて、毎年数万人の高齢者が死亡する。これまで、数万人の肺炎球菌性肺炎に対してたとえ1人の子供でも感染源として責め立てられたことがあっただろうか。
本文より

テレビに限らず身の回りで語られることを聞いていると、このダブルスタンダードに多く出くわします。話している本人たちは、そのことに気付いていない様子。「傾聴+共感+承認」と言うよりは、テレビから聞こえてきたことを、ただただ口から発し合っている、まるでスピーカーのように見えます。


ワクチンについて

(前略)「ワクチンを打たない医師もいる。打つ医師もいる。君たちも自由に選択するべきなんだよ」というメッセージが私からできる精一杯の「若者への不当な圧力への抗議と、彼らへの応援」である。
本文より

私も、1ミクロンたりとも違わない思いです。


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