影の物語
#1 影との出会い
影と出会ったのは、3年ほど前だったと思う。
とある個人セッションで、潜在意識に近いところまで降りて行った時のことだ。
どうしても開かない扉があった。
鍵がかかっている。
把手に手をかけると、開けたくないという気持ちと、開いてほしい、という気持ちが入り混じった。
この奥に私の影がいる。
影が見つけてほしがっている。
でも私は開けたくなかった。
鍵をかけたのは私なのか。
そこに気づいた時、手の中に鍵を握っていた。
影が見つけてほしがっていることに気づいたからには、向き合わなければならないと思った。
副産物としての〝怒り〟の感情が残像として残っている記憶には、必ず黒い影がいた。
私はいつも、見て見ぬ振りをしていた。
その度に影は、ひょっこり頭を出しては引っ込めて、私の気を引こうとしてきた。
捕まえようとすると隠れてしまう。
記憶の中の鬼ごっこ。
影が逃げているように見えたが、逃げていたのは私のほうだった。
〝影〟というのは、悲しみや絶望感、拒絶によるショックから生まれた副産物である〝怒り〟の感情の残像のようなもの。
攻撃的な強い感情のエコー。
それを私は、〝影〟と呼んでいる。
解放しきれなかった感情の残骸のようなものが凝り固まると、影となる。
それをさらに放っておくと、自己否定という刃になり、自分自身を傷つけるようになる。
そうなるともう、波動を下げるスパイラルにはまり込み、抜け出せなくなる。
影がかくれんぼしているうちは、まだ可愛いものだが、それを無視し続けてしまうと、暴れ出して抑制が効かなくなる。
感情のコントロールができなくなるのだ。
ある時、自己否定し続けるのにも限界が来て、影が暴れ出したことがあった。
その時は大泣きして、大笑いしての繰り返しで、1時間くらいそれが続いた。私の場合はそれくらいの時間で解消されたが、ひどい人だと3日間くらいは続くようだ。
それからというもの、影を見つけたらできるだけ探すようにしているが、かくれんぼが上手だ。
かなり深いところまで行かないと、見つけられない時がある。
しかも厄介なことに、自分が知らぬ間に鍵をかけてしまっていることがあるのだ。
そういう時は、ヒーリングをして鍵の在処を炙り出すしかない。
宇宙とつながり、力を借りるということを知らなかった当時は、誰かに誘導してもらいながら、一生懸命鍵を探していた。
それも良い経験になった。
個人セッションの時の話に戻るが、この時も鍵を探し、見つけ出すことに成功したが、扉を開けるところまではいかなかった。
なぜなら、カウンセラーが気に入らなかったから。
お前に見せてなるものかという気持ちが、どこかにあった。
心の領域において、心象景色をどこまで開示できるかは、カウンセラーやセラピストとの信頼関係にかかってくる。
それをその時に実感した。
開かずの扉にぶつかった時は、見せたくない領域がそこにあるということだ。
恥の感情につながるものであれば、なおさら信頼のおけない他人には開示できない。
開かずの扉に関しては、自分一人の時間の中で、開けてみるしかない。
というわけで、カウンセラーを信頼していないのだなということがわかったその時から、ひとりで深層意識に降りていく旅を始めることにした。
私と、私の影との対話の始まりだった。
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