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内に向いている時と外に向いている時

自分は非常に極端だ。

極端さを愛している。

片っぽに偏るんじゃなく、色んな方面を理解したい。

その分、画一した自分にならず、しんどいときがある。


軸もスタンスも1つに決めてしまえば、ある意味楽な気がする。

貫きたいものはありつつも、色んなものを許容できる人間でいたい。



心のベクトル。


内に向いているときは、繊細だ。

他者を寄せ付けない。

重い。質重視だ。

これが大切なときもある。

自分なりの思想を深めたいときなんかはそうだ。

note書いてる時なんて、こっち。

誰よりも、自分が大事。自分を大切にしたい。

いわば保守的。

何かから、自分の身を守ろうとする。


外に向いているときは、軽い。

良い意味で調子にのれる。イキイキする。

難しく考えず、勢い重視。

軽いから、人も軽く接してくれる。

自分も人に軽く接することができる。


どっちも大切。

愛でたくなる自分。

でも、重すぎるのも、軽すぎるのも違和感だ。

バランスの重要性をつくづく感じる。


ポップでテキトーで、ノリでヘラヘラして気楽にいたい時もあるし、

いや、待て待て、無理すんな、自分の心に丁寧に寄り添ってあげようよ、ってスンってしたい時もある。

この振れ幅が自分の持ち味だと誇りたい気もするし、

こんな色んな顔を見せていて信頼されなくなるかなって不安な自分もいる。


時に、この重さと軽さの大転換が来るときがある。

それが今、まさに来たような感覚が。

すごい勢いで文字を打っている。

何か特別な体験があったとかではなく、

きっかけは自分がひょんと作っている気がする。

つまり、このきっかけは人工物といえる。

いつでも変えられるはずだ。


しかし、自分が難しく考えれば考えるほど、

内向きになればなるほど、

いつまでも変わっていけない。

どんどん殻を厚くしてしまう。


それを繰り返していくと、

年齢を重ね、月日を重ねるにつれ、

尖っていたものは丸くなっていく。


年齢とともに勝手に周りからの期待値が上がっているような錯覚に陥り、(事実そういうときもあるだろうが)

失敗を恐れやすい。

しっかりやろうとしすぎて、勢いまかせになれない。

もっとテキトーでいいのになぁ。


いや、違う。
でも、待て。 
ブレーキがかかる。


何より恐れているのは、自分が軽くなっていると、

気づかないうちに人に対して粗末になってしまいかねないということだ。そうだ。

自分ノリは他者への配慮を欠いてしまうときがある。


元気やエネルギーを分かち合うことも出来るが、

全体への想像はできない。

それが怖いんだ。

だから、思わぬ刃を向けてしまわないよう、1歩1歩丁寧に歩きたくなるんだ。。


丁寧さの中に軽さをもっていたいんだろうなぁ。


そんなことを思いながら、細かいこと気にせず
upしようと思います。

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