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桂ハリマン協定が締結されていれば日本の近現代史は大きく変わっていた

ロシアとウクライナが戦争始めそうなこのタイミングで、かつて日本がロシアと戦ったときの戦後処理についてのお話です。

まず大前提として、日露戦争に日本が勝てた理由はご存じですか?大和魂で?日本民族の優秀性?それらの要素がゼロだったとは言いません。しかし、それは勝利の要素としては小さい。一番大きかったのは大戦略の違いです。ロシアは一国で戦争しました。日本が小国だとナメてたんです。ところが、日本は同盟を組んで戦いました。ご存じの通り日英同盟がありましたよね。さらに同盟は組んでないんですけど、アメリカが日本のことをものすごく支援してくれたんです。高橋是清がロンドンで戦費調達のビッグディールを次々にまとめたんですが、これに応じてくれたのがイギリスのカッセル卿とアメリカのジェイコブ・シフ(クーンローブ商会)です。この2人がいなければ日本軍の補給は数か月で尽きて、ロシアに無残な敗北を喫していたことでしょう。つまり、ロシアは単独で戦い、日本は日英米の三国準同盟で戦った。同盟強し!日本は見事に大国ロシアを破り、アジア、アフリカで植民地支配を受ける人々に希望を与えたわけです。

さて、戦争中これだけ世話になったわけですから当然、お世話になった同盟国にお返しが必要です。シフの事業パートナーであるハリマンが南満州鉄道への共同出資、共同運営を持ち掛けてきたのは渡りに船でした。アメリカに満州の権益に関与させることで、その後満州の共同防衛とかそういう話に発展する可能性があったわけですから。ハリマンは桂首相と会談し、この話をまとめ上げました。ところが、小村寿太郎などが先頭に立って桂ハリマン協定の破棄を声高に叫び、日比谷焼き討ち事件に代表されるような講和反対の世論にも押され、日本政府はこの協定を反故にしてしまったんです!最悪です。

その後、日本は泥沼の支那事変へと引き込まれていくんですが、その種はこの時に蒔かれていたと私は考えております。戦争にあれだけ協力してもらって、終わったら約束破る。まるで北朝鮮の所業ですよね。国内世論がどうあろうが、この約束を守っておくべきでした。日本政府はその後、桂ハリマン協定みたいなものを締結しようと何度かアメリカにアプローチしたんですがことごとく失敗してます。この時の約束破りのダメージはそれだけ大きかった。

そんな日本近現代史の一大ターニングポイントだった桂ハリマン協定の破棄について一部の識者が重大な事実誤認をしているようです。その間違いを糺しておきましょう。

①ハリマンは財界傍流?
鉄道王ハリマンを背後で支えていたユダヤ人のジェイコブ・シフ(クーン・ローブ商会=後のリーマンブラザーズ証券)は、当時モルガングループと覇を競ったアメリカ金融資本の二大巨頭の1人です。
1899年のNY株式市場の時価総額に占める鉄道株の割合は63%であり、鉄道は当時の一大産業でした。モルガングループの支配下にある鉄道会社の営業距離は58,798マイル、クーンローブ商会は45,157マイルで、この2大グループだけで全体の約半分を占めています。シフの支援を受けたハリマンは全米第2位の鉄道&汽船網の代表であり、経済界におけるスターでした。
追記:2019年11月末の東証1部時価総額は639兆円。業種別に見ると、1位電気機器(82兆円)、2位情報通信(71兆円)、3位輸送用機器(54兆円)です。3位まで合計しても207兆円で東証1部全体の3割程度です。当時のNY市場における鉄道株の存在感は異常であり、ハリマンという事業家はどれだけ凄かったか分かるのではないでしょうか?東証1部で喩えるなら、1位の電気機器業界を独占してるようなもんですから。

↓これ全部ですよ。すごくない?
東証1部 電気機器業種
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/qi/?ids=3650

②モルガングループがクーンローブ商会よりも好条件で南満州鉄道に出資する計画があった?
小村寿太郎が桂ーハリマン協定の破棄を迫ったのはもっといい条件でモルガンが出資する予定だったとする説があります。元ネタは『後藤新平伝』『小村外交史』『近代日本外交史』なんですが、これら資料はすべて金子堅太郎の証言をまとめたものです。そして、金子は桂ーハリマン協定を巡って推進派の高橋是清と対立していました。なのでこの一次資料だけをもってモルガンの出資話を事実とするのは危険です。
視点を変えて、当時の金融界の常識で考えてみましょう。モルガンはポーツマス講和会議の後にロシア全権大使のウィッテをヨットに招待しております。モルガンはクーンローブ商会の逆張りでロシアへの投資を考えていました。この件でクーンローブ商会から案件を横取りするインセンティブは高くありません。(追記2:クーンローブ商会とモルガングループはこれ以前に鉄道株の買収で対立しましたが、お互いにメリットなしということで手打ちしてます。)
また、クーンローブ商会は日本、モルガングループはロシアへの投資を検討していましたが、そのスキームはいわゆるシンジケートローンです。そもそも、クーンローブ商会が日露戦争の際に日本の外債を引き受けてくれたのもイギリスのカッセル卿と組んだシンジケートローンでしたから、当時からこのスキームは常識でした。今でもリスクの高い新興国投資に良く使われる手法です。
なので、モルガンだけがアメリカの五大銀行を引き連れて日本に投資するなどということは当時の常識から考えてあり得ません。クーンローブ商会だって、もし南満州鉄道に投資するのであれば自社を主幹事とするシンジケートローンを組んだことでしょう。
しかし、日本政府は小村寿太郎外相の強烈な反対運動で、それを断ってしまいました。その背後には日比谷焼き討ち事件をはじめとした反講和の世論があります。「日本は血を流したのに外国に利権を横取りされるのか!」といった脊髄反射です。そして反講和の世論が盛り上がった理由は、戦争中の増税、緊縮による経済的な困窮があったのです。人々は経済的に困窮すると、救済を求めて過激思想に走る。まさに法則発動です。そんな人達ですからハリマンの出資計画を潰すためにモルガンの幻の出資話にもなーんも考えず飛びついてしまったのでしょう。
これらの事実を考え合わせると、桂ーハリマン協定を破棄したことは、アメリカの財界に対する悪いメッセージであったことは間違いありません。モルガンの出資話が、、、なんて言い訳通用するわけないんです。だって、実際に出資してもらえなかったんですから。
(追記3:モルガン側の具体的な出資計画、コミットメントレターなどの1次史料がない限り、「モルガンの出資計画があった」と断定するのは危険です。逆にクーンローブ商会はハリマンがわざわざわ日本に来て、協定書の原案まで作られてますので確実に存在した計画だったと言えます。
その後、日本はハリマンを締め出すために、なぜか外資そのものを締め出してしまいました。これじゃモルガンだって出資できませんよね?モルガンの幻の出資話なんて最初から高橋是清など日本国内のハリマン派に対抗するための口実だった可能性すらあります。もちろん、最大の理由は世論への配慮だったと思いますが。)
当然、この協定が成立していたらその後の歴史に確率変動があった可能性は否定できないでしょう。
もちろん、これだけが唯一の対米開戦の原因とは言いません。また、『経済で読み解く日本史』でも書いた通り、この後何度も日本は対米開戦を回避する機会がありました。ところが、悉くそれを逃したのも事実です。その点についてもこのシリーズに詳しく書きましたのでまだ読んでない人は第4巻、第5巻をお読みいただければ幸いです。

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