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noteを続けるのが辛い、辛くなる理由。オワコンの可能性🤔

noteを6年以上続けていて感じていた「違和感の答え」が分かった気がする。noteを始めてnoteを去っていく人の多さ。それはなぜか?

私は今後、noteの長文投稿をかなり少なくしようと思った。

(約 3,200文字の記事です。)


【理由1】読者層を把握できない

  • なぜ読まれているのか?

  • どんな読者が読んでいるのか?

  • どんな読者がスキしてくれるのか?

  • どんな読者がフォローしてくれるのか?

これらの統計分析ができない点。これがnoteの最大の弱点。なので気合いを入れて毎日1時間使って記事を書いても逆にビュー数が減ることもある。ターゲットと記事の内容がマッチしていないのだ。

だがターゲット層を把握できない。詰んだ。だから闇雲に記事を打つしかないが、それってかなりの無駄だよね?

暗闇の中で相手を切りつけるために真剣を振り回しているようなものだ。10m先に相手がいるのに?ライトを付ければ秒で分かるのに?


【理由2】レスポンスが希薄

最近ようやく「再認識」した。そう、頭ではとっくに分かっていたが「noteだけは違う!noteだけは特別」というバイアスが効いていて認めたくはなかった。だが現実は違った。

SNSは「コール&レスポンス」なのだ!

コール&レスポンスと書いて思い立ったのはこのYouTube動画。

SNSは反応を楽しむメディア。ようやく「思い出した」。知っていたのだ。気付いていた。だが色んな状況を経てその反応に蓋をしたくなった時期が長かった。だからこの事実を忘れていた。というか記憶に蓋をしていた。

だが時が経って回復した今、反応の薄いSNSって、意味があるのかな?とようやく思えるようになった。そこまで心が回復した。

そして改めてnoteを見てみると、SNSとしては反応がかなり希薄だと思う。一部のインフルエンサーのスキだけが3桁行っているだけであって、普通の人は1桁があたり前で、常時2桁はだいぶ凄い。だがそういうクリエーターはほとんどが「絵を描く人または他のSNSでのインフルエンサー」だったりする。

絵は分かりやすい。どのSNSでも割と人気が出やすい。だが競争も激しい。

他のSNSでのインフルエンサーがメディアの一つとしてnote「も」運用している場合、そのスキの数はものすごい。だがnoteメインの人ではなかったりする。


【理由3】文字を読まない人が増えた?

ここ2~3年で急激に変化した印象がある。文字を読まない人、文字で表現できない人が増えたという主観的な印象。

実はこの記事に関わるVRChatの大炎上の件で初めて知った言葉がある。

「言語化」という表現

言語化という表現。ビックリした。だって自分を表現するのに「言葉を使わずにどうやって物事を説明したり自分の感情を表現するの?」って。そりゃ確かに音楽や絵、ダンスなどでも自己を表現できる。

だが目の前の人に「言葉で説明する」ことが最も早い伝達手段でしょ?「言語化できない」って、それ、本当に事象を理解できているのかな?怪しいと思う。

今日現在でフィーリングをフィーリングのまま他人に伝えられるメディアは今のところないし、言語化できないものって、それって本当に「理解できている状態なのかな?」と思う。

これは私が「言葉を最も大切にしている」から、自然とそう思っているだけなのかも知れない。でも「感情はあるけど言葉にできない」ってのは、私はとても違和感を感じた。

「実は自分は感じているし理解しているけれども、言語化できないから伝えられないんだ、ごめんね」ってさ、割と自分を大きく見せるための方便・大義名分にも見えるんだよね、個人的な感想です。

みんながみんな「プロのライターじゃない」!

だからここまでよく読まずに「高飛車な奴だなこいつ!」と思った人は、文章を読まない人なのだろうな、と思う。分かるかな?ある段落から急激に「煽り」に入った書き方になっているの、分かると思うw 意図的です。ちゃんと読めば「そういう演出」だとすぐに分かると思いますが、だからこそ今回のテーマ「読解力」に密かに繋がっていたりします。

もちろん、語彙力がないから伝えられない、ということは十分有り得る。教育上の問題だったり、言語の違いの問題だったりも有り得る。みんながみんなプロのライターじゃない。だから「言葉で上手く表現できる能力」に差はある。私はたまたま言葉を上手く扱える側だから、そこに何の違和感も感じないだけであって、

実は一般のクリエーターは「言語化がメチャクチャ大変」で「メチャクチャエネルギーを要する作業」だったりするのではないか?

と最近思うようになってきたわけ。

【理由4】言葉にするのが大変なのに、読まれないから凹む

なので私はストレス発散で自由気ままにタイピングして気が付けば4,000文字オーバーでやっちまったな、と思うところ、他の絵師やクリエーターは1,000文字の記事を作るのにも何時間もかかったりしているかも知れない。そんなに苦労してもスキが1つか2つ、ビュー数も3桁未満だったりすれば、そりゃ、noteをやる気がなくなるわな、と思ったわけ。

その時間があったらTwitter XやBlueskyやFantiaやPixiv Fanboxに投稿していたほうが「レスポンスがいい」のだから、noteをやるメリットって何?となる。

他のメディアであれば言語化しなくても表現できるならば、あえて不得意な言語化プラットフォームを選ぶ必要もない。その点でnoteはとても不利。本当にごく一部の「言語化に何のストレスも感じない人たちのたまり場」になるのも、まぁ不思議ではない。今この文を書きながら、そう思った。でもそういう人間はかなり希少だと思う。一部の職業ライター経験者くらいしか該当しないと思う。9割以上の人は言語化が「辛い」はずなのだ。


【理由5】非言語で表現できるSNSが増えた

例えばYouTubeは動画や音楽で表現できる。Twitter Xは言葉が少しで済む。有料化すれば多少は増えるが4,000文字も書くことはない。Blueskyも然り。FantiaやFanboxも画像や動画主体で文字が主体ではない。

それに対してnoteは文字が主体だ。そして言語化能力はもはや特殊スキルになった。娯楽の範囲を超えた。そこに参入しようとする人は、まぁ、いないだろう。一部の文章作成経験者を除いて。

となると、noteは実はひっそりと「先細りなオワコンメディアになりつつあるのでは?」と最近思い始めた。

もちろん絵やイラストを上げている人にとっては問題にならない。だが同時にTwitter Xや他のSNSでも絵はUPできる。そこでなぜnote?となる。
note「にも」なら分かる。宣伝手段は多いほうがいい。

だが言葉を操る人にとってnoteは魅力が薄くなっている気がするのだ。

  • 書いても読まれない。

  • レスポンスが希薄。

そこにたくさん投稿し続ける意味は?


【理由6】主力の執筆作業が増えた

Blenderの日替わりTips集の執筆を決めてから毎日プレッシャーがある。

駄文をnoteで投稿している時間がなくなった。タイピングするならばマネタイズにつなげる必要がある。そしてnoteに書いてもレスポンスが薄くて満足できないならば、自己満足すらできないとなると、貴重な1時間を使ってまでnoteに駄文を投稿する意味は?となった。


なのでモチベーションがかなり減った。


というわけで今後はしばらくnoteへの長文投稿はお休みします。つぶやきと宣伝にとどめる予定。

逆にTwitter Xを復活させようかと検討してます。数打ちゃあたるならば母数の大きいSNSのほうが圧倒的に有利。その点でnoteはかなり不利。

なのでしばらくはアンバランスにnoteの長文投稿をお休みして、Twitter X回帰を検討したいと思います。


今回の創作活動は約1時間45分(累積 約3,780時間)
(1,037回目のnote更新)


読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊