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自分の活動の再起動=reboot. 自分の作品置き場の整備が終わって再起動中

(約 3,400文字の記事です。)

今日はWordPressのフロントエンド側を全くいじっていない。むしろ本願だったコンテンツの中身の整理をして1日が終わった

1ヶ月以上ぶりにPHPコーディングしない1日だった。

昨日までの日記でほぼフロントエンド側の実装も終了し、燃え尽き感がある。それだけ自分にとってはほぼ満足に仕上がった。今日はWebサイトとブログサイトとの間で整合性を取るために、ブログサイト側のリンク修正

有料noteマガジンへのリンクをWebサイトへ

これ、今までの蓄積=自分の頑張り、それすなわち大量のリンク変更作業なわけで😭

noteの記事のURLは謎の文字列の羅列だ。だがWebサイトのURL(スラッグ)は意味のある英単語とハイフンで作った。これもまた1対1でプチプチと手作業なわけだったが、とりあえず全てのnote有料記事は今、新Webサイト上にスラッグ付きで移植済みだ。

問題はブログ側で必死にnoteに貼ったリンク、これをプチプチプチプチ……と新Webサイトの新記事に貼り直さなければならない。

これは自動化できない。過去の頑張りがそのまま針のむしろとなって自分に襲いかかってきている😭 The 重荷だ。

1日では無理なので、作業メモを残して本日終了。

メーカー製サイトで蓄積を作ることの怖さ

今回はたまたまnoteだったが、これは別にnoteが悪いわけではなくて、はてなブログだったり、他社製ブログサービスでも同じ結果になる。(多分ブログサービスのほうが若干マイルドな結果になったと思うが。主にURL=スラッグ移植の自動化「正規表現置換が使えるか否か」が分岐点だと思うが。)

noteの記事にはランダムなURLが割り当てられるため、執筆者が任意のURLを割り当てられない。

シンプルゆえに扱いやすいが、その代償が「記事移転」でデメリットになった。


鉄板のポートフォリオサイトの存在感

pixivやニコニコ系、ArtStationや3DCGだとSketchFabなどなど。そのサービスと一蓮托生するつもりなら何の問題もない。例えばpixivを自分の絵のポートフォリオサイトに、あるいはArtStationをポートフォリオサイトにするつもりならば、何の問題もない。両者とも安定した大手サービスだから、安心して自分の作品を預けることができるだろう。

絵、picture = ピクチャー、「1秒で見て分かるもの」の展示場所ならばそれでいい。ところが私のように文章や情報となると、なかなか楽園のようなサービスはない。仮にあったとしても「ある日突然、サービス終了のお知らせ」のリスクはかなりある。それだけマイノリティな分野だから。

そうなったとき、または不満があって移転するときの移転コスト、これがかなり重要になる。

私がnote有料マガジンから自前WordPressサイト+BOOTHへ「有料noteの仕組み丸ごと移転」したときの苦労、これは相当なものだったと素人なりにもそう思うが、やはりそれなりの苦痛を伴う。

でもこれはかなり稀な例だと思う。ほとんどの人はメーカー製のポートフォリオサイトの「利用者側」でいて十分に満足できると思う。


自前Webサイト&ブログサイトが整った所感

さて、5週間もかかった新Webサイト作りとブログサイト更新の結果、今日はどっぷりコンテンツ側を触った感想をば。

うん、管理者である自分にとっても、かなり「コンテンツ」が分かりやすくなった。どこに何があったかが分かるようになったwww それだけ今までがカオスで放置だったのだ。汚部屋状態からの復活😍ものは言いようだ。

主に「カテゴリの付け方と運用ルール」「タグの(同上)」「管理上のカテゴリ階層と読者に見せるためのカテゴリ階層の区別」この3つが効いている。この3つのルールが崩れるとカオスになる(経験談)

Webサイトリニューアルに伴い、

  1. WordPressでできること

  2. WordPressでは無理だがPHPコーディングでできるようになること

  3. 実際に自分の手でできるようになったこと

この大三元が揃ったことが決め手だったと思う。


自分で扱える範囲の増大

これらの知恵を手に入れた結果、今までは「WordPressじゃ無理、できないから迂回策を考えなければならなかった」ものを、PHPコーディングで、例えばショートコードなどを使って「ある程度自由にテキストデータや記事などをリンク表現で扱える」ようになった。これが一つの大きな分岐点だった。

これによってかつてのメーカー製ブログはおろか、WordPress+Swellの限界を大きく超えて「自分が本当に欲しかった理想的な表現手段」を手に入れることができた。


記事にアクセスしやすいこと

今日はその完成した型枠=仕組みに実際に過去の自分のコンテンツを流し込んだ結果、予想通りに、いや想像以上に、きちんと仕組みが動作した。管理者側・執筆者側である自分にとっても自分の資源=コンテンツの管理がしやすくなった。その恩恵はダイレクトに読者側にメリットになる。

分かりやすい、アクセスしやすいコンテンツの「仕組み」。これの次に「分かりやすい記事」が来る。

仮にどんなに分かりやすい記事「だった」としても、そこへのアクセス経路がとても分かりにくければ、それは「最強チュートリアル」という本が、洞窟の奥のダンジョンの宝箱の中に放置」されていることと一緒だ。辿り着けなければ誰も読めない。

管理者側が管理しやすいからこそ、自分の資源=過去記事への目配りが行き届く。これは今までと真逆。またSNSサービスのような「とにかく今に『だけ』注力して過去を放置」するサービスとも真逆だ。


過去資源に対する自分の責任の明確化

今日は長くなるので深くは触れないが、ここ1ヶ月ほど、WordPressのサイト構築をしながら考えていた。

私ができることには限りがある。なのでどんどん、ジャンジャン記事を量産しても情報は時と共に陳腐化する。経年劣化する。そのメンテのために自分が使えるエネルギーも限られている。なのでどこかで「過去を打ち切る、切り捨てる」必要がある

そうしないと、『今』の最新情報への咀嚼・取捨選択・新しい価値の表現に取り組めなくなるからだ。

そう、今まで書いてきたように「過去資源が自分の足かせとなる」ようではいけない。それでは確実にじり貧で終了する。

なので今日は書かないが、自分が生み出した記事・情報に対する鮮度・責任・情報の確からしさの保証、これらについて、なんとなく方針が固まった。

ヒントは「サブスクリプション」だ。あ、ほぼ答えと言っていい😊

でもその仕組みを導入することで自分はようやく自由になれる。いつも求めているのは自由の空だ。自分の責任をまっとうしつつ、かといって過去資源にとらわれない。


注力したいのは「今」だから。


その線引きができるシステムを、今、WordPress+プラグイン+BOOTHによって実現できるようになった。これは1ヶ月前の自分では想像もできない自由な空だった。


「永遠の過去資源へのサポート」からの開放

なので、これまでは責任感をもって過去資源(過去記事)のサポートをしようとしてきたが、結果としてはお粗末であり破綻して数年経った。こういうダラダラした状況に区切りを付けようと思う。そしてそのためのサイト作りだった。

に注力して今を作り、だが時間が経てば当然「過去」になる。その過去に縛られて新たな「今」を作り出すことをいい加減にしてはいけない

そう、いつかどこかで「過去との決別」が必要だ。その仕組み作りが完成した。それはこれまでのnote有料マガジンではできなかったことだし、やろうとするとかなり非効率だ。(できないわけではない、とだけ。)


再起動、reboot.

多分、ようやく一区切り付いた。自分のこれまでの必死な活動と、停滞した期間、この2つに、区切りが付いた。

自分が欲しかった仕組みが手に入った今、ようやくこれからリスタート、リブートできる気がしている。

今日はこれにて終了。


今回の創作活動は約7時間30分(累積 約3,555時間)
(968回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊