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メッキとして剥がれ落ちる時

(去年もアニバーサリーイベントおこなったのに、今年もやるの…?)

ほんの一昔前あるいは現在も一部のところでは、「◯周年記念」と題したイベントや行事で、5や10などといった切りの良い番号キリバンにちなんで節目の年に行われるのを目にする。

その数字に触れた時、そこにたどり着くまで苦難を乗り越えてきたほまれが生まれ、様々なところから讃えられることに一つの意味を成していた。

同時に、ここまで長く積み上げてきた数字に対する重みを改めて知ることになり、歴史に新たな1ページが刻まれることとなる…そう思い込んでいたのであるが。

 

ここ近年ではそのキリバンで使われることはおろか、「二年に一度」という意味を持つ一年おきでもなければ、「一年に一度」という意味の一年ごとにイベントが行われるのをよく目にするようになってきた。

どこの企業のみならず、アーティスト等の芸能や個人の活動においても「周年記念」なるものとして、毎年必ず開催されることがもはや当たり前となっている。

1周年記念やって、翌年になって2周年記念をやり、そのまた3周年記念と…。

そういった広告やイベントを横目で見るたびに、立て続けにやってはたして大丈夫なのかと微かに心配になりつつある。

大々的に掲げられたそれらの数字を追いかけていくたびに、それまで魅せられていたメッキが、ある意味で経年劣化とともに剥がれ落ちていくように。

そうした催し物をやり続けて10年を迎えた頃には、ほとんど意味を見出せなくなってしまうのではないかという皮肉も含めて、不意にそういった光景を想像してしまうのだ。


私が社会人なりたての頃にお世話になった会社でも、徐々に年数が経つごとに創立オープンした日を境として、アニバーサリーイベントを行うことが通例となっていった。

広報の担当を介して全社員一斉に配信されたメールに目を通した時、そこに一つの疑問に抱いていた。頻繁にやる回数ではないにしても、毎年開催するなんて果たして良いものなのか。

外の部分では毎年形を変えて異なったスタイルに仕上がっているにせよ、根本的な部分でもある中身はほとんど変わっていないように思えた。

もちろんお客様に感謝するのは良いことであるのはわかるが、逆に毎年やっていくたびに一般客だけじゃなく、常連客に対しても飽き飽きされてしまうのではないかと。

単に周囲が世間がそうしているから、こちらもその波に乗っかってやらなくちゃいけない…という意見も一理あるとは思う。実際にそういった声も何度か耳にしてきた。

だがそう考えた時に、上辺だけの感謝になっていないかと、どうしても疑念が残ってしまうのだ。


あくまでこれは私個人の、今の時代の流れに対する価値観の違いなのかもしれない。

ただ数字の重みだけでなく感謝の重みについても、ひとつのメッキとして段々…というよりも年々剥がれ落ちては軽くなってしまうのではないかと、どうも危惧せざるを得ない。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!