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同窓会に行ってみたい

私は今まで同窓会に行ったことがない。
成人式も家でWEB中継されている地元の式典をPC越しに眺めていた。
学校関係だけでない。違う地方で働く会社の同期、遠方の親戚など、普段の生活ではあまり会わないけれど、かつて親しかった人と会うのが極端に苦手だ。
だれか共感してくれる人がいないかと思って、その理由を書いてみる。

当時の記憶があいまい

学生自体や、入社当時であれば、無駄に元気な時代もあったと思う。
ただ、その時でも緊張して遠慮してしまう人や、そんなに親しくならなかった人もいるわけで。当時の記憶を頼りにしてもどうしても思い出せないことが多々ある。
結局、再会するときにテンションマックスで話しかけることなんてできずに、とりあえず聞き役に徹して必死に空気を読もうとしてしまう。
(かつて部活の集まりをした際に、そんな無口だったけ?と言われてしまった。)

今の自分に自信がない

昔もそうなのだが、自分にさして自信がない。
取り立てて、昔と何ら成長してない自分。もしかしたら老けた分、しょぼくれてしまった自分を相手にさらけ出すのが申し訳ないような、悲しい気分にさえなる。

かつては、学校や職場といった共通のコミュニティに属していたとはいえ、今はそれぞれ別の環境に身を置いているわけで。
こちらの近況とか話しても、それ興味ある?って気になる。

当時の記憶があいまいで、思い出話に花を咲かせることもできないし
今の近況って、相手にとって興味あるのかもわからない。
そんな気持ちが自然と同窓会から足を遠ざけてしまう。

変わってしまった相手に負の感情を抱く

これは本当に身勝手な話だと思うのだけれど
・学生時代に憧れていた先輩がたばこを吸っている
・いいなと思っていた子が女子アナと付き合い、ブイブイ言わせている
・全くモテなかった友達が旦那の海外赴任に連れ添い、海外でセレブな子育て
といったエピソードがある。

それらのエピソードを知った私は、以下のような感情を抱く。
・相手の人生を理想的に思い描いていたので、幻滅する。
・自分と同じところにいたはずの人間が思いのほか社会的地位が高くなっていて、ひがむ。
・自分じゃ経験できないようなスペクタクルな人生を歩んでいて、おののく。

相手の人生がこうだろうと勝手に思い描いて、値踏みして、そんな自分勝手さに嫌気がさす。自分に自信がないからと言って、生産性のない思考を巡らせてもまったく意味がないのに。

まとめ

他者を受け入れられるような寛容さを持ちたい。
他人と比べることなんてせずに、あるがままの今の自分を認められる自信をもちたい。

そんなことを思いながら、いつか同窓会に行ってみたい。

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