政治講座ⅴ1885「誰が火中の栗を拾うのか」
中国の経済危機・政治危機から誰が政権を担っても無理な状態である。誰が火中の栗を拾うのか.
中国の伝統的な政権交代に「易姓革命」がある。どのように政権交代が行われるのであろうか。今回はそのような現在・過去の政変の解説をする。
皇紀2684年8月9日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
経済大失政なのに習近平はなぜ権力強化できるのか…「反腐敗」を叫ぶほど恐怖支配が成功してしまう中国共産党の「腐敗エンドレスゲーム」
柯 隆(東京財団政策研究所主席研究員・静岡県立大学グローバル地域センター特任教授) によるストーリー
習近平のプロパガンダの目的は
習近平政権が正式に発足したのは2013年3月だった。中国歴代国家主席は自らへの求心力を強化するために、何らかのプロパガンダの実現を呼び掛けるのが常套である。そして、習近平政権は強国になる夢を実現するよう呼び掛けた。これは中国で長年進められている愛国教育と文脈的に合致する考えである。
共産党の歴史観において、これまでの百年あまり、中国の国力が弱くなったことが外国に侵略された理由だった。習近平主席の言葉を援用すれば、毛沢東のお陰で中国人民は立ち上がった、鄧小平のお陰で中国人民は豊かになった、これから実現しないといけない夢は、中国が強くならないといけないことだ、と呼び掛けられている。中国が強くなれば、二度と外国に侵略されなくて済むという考えである。
むろん、強国復権のプロパガンダは習政権が権力を集中する道具に過ぎない。問題は習近平主席がいかにして自らの権力を強化するかにある。
「選択的反腐敗」の本質
習近平政権がここまで権力を強化できたのは、反腐敗によって政敵のほとんどを倒したからである。強権政治の基本は恐怖の政治という点である。ある中国人作家は「処長(日本の課長に相当)以上の幹部を並べさせ、一人置きに刑務所にぶち込んでも、冤罪の人は一人もいない」と共産党幹部の腐敗ぶりを皮肉った。実は権力者にとって幹部の腐敗が好都合である。なぜならば、反腐敗を強化すれば、みんなが恐怖を感じ、これ以上圧力をかけなくても、みんなが権力者に服従するからである。
むろん、習近平政権はすべての腐敗幹部を追放しているわけではない。政治学者の指摘によれば、習近平政権の反腐敗は「selective(選択的)な反腐敗」であるといわれている。すなわち、習近平政権は自らの統治にとって脅威となりうる幹部を反腐敗の名目で粛清している。これまでの11年間、数百万人の腐敗幹部が「処分」されたといわれている。かつて、毛沢東時代、国家主席の劉少奇などの高官が迫害されたが、改革・開放以降、権力闘争が下火になり、政策の軸足が経済建設に移された。
習近平政権になってから、権力闘争が再び激化し、共産党中央委員会の常務委員だった周永康を含む最高執行部幹部も相次いで追放された。権力闘争の本質は権力者が自らの権力を強化しようとすることである。反腐敗の本質は権力者が権力を強化するための道具である。本来、反腐敗は権力に対するチェックアンドバランスを強化しないといけないが、ガバナンスを強化する政治改革がまったく行われていない中国では、反腐敗はエンドレスのゲームになっている。
人民の目線からみると、反腐敗はいいことである。腐敗幹部を追放することに反対する人がほとんどいない。だからこそ習近平政権が初期の段階において人民から広く支持を集めた。しかし、時間が経つにつれ、共産党幹部の腐敗ぶりは人民の想像を遥かに超えたことがわかった。とくに、習近平政権は腐敗した幹部を摘発するが、幹部が腐敗できないように制度改革についてほとんど無関心である。
なぜ共産党幹部が腐敗するのか
中国共産党中央委員会の発表によると、2023年末、共産党員の人数は9900万人を超えたといわれている。中国の総人口は約14億人であり、14人のうち、1人は共産党員になるという計算である。中国人にとって共産党員になる意味は出世するための入場券といったところである。要するに、共産党員になれなければ、出世はほとんど不可能である。共産党員になる第一の条件は共産党に対する絶対的な服従である。
むろん、今となって、共産党員はみんながマルクス・レーニン主義・毛沢東思想を信奉しているとは思わない。一説によると、毛沢東自身もマルクスの資本論を読んだことがないといわれている。共産主義のバイブルであるマルクスの論説は党員に対するマインドコントロールの道具と化しているが、ほとんどの共産党員はそれを読んだことがない。
冷静に中国社会を考察すればわかることだが、中国人の国民性はもっとも資本主義的である。なぜならば、中国人は競争が好きで、平等主義が一番嫌いであるからである。たとえば、中国人は同窓会で集まると、まずお互いにどれぐらいの広さのマンションに住んでいるのか、どういう車に乗っているのか、子供は海外へ留学しているかどうか、尋ねあう。日本社会と比べて、中国社会は数倍ないし数十倍も競争社会になっている。ブラックジョークのような話だが、もっとも社会主義・共産主義に適さない中国は社会主義の道を歩んでいる。それは成功するはずもない。
こうしたなかで、中国人は社会競争のなかで人に勝つために、共産党に入党して共産党員になろうとする。それは共産主義の理念を信奉するよりも、ほかの人よりも権力を持ち、豊かな生活ができるようにするためである。
毛沢東の統治は経済が想像できないほど困窮していたが、27年間も続いた。なぜ毛沢東の暴政は毛が死ぬまで続けられたのだろうか。今、習近平主席は毛沢東を真似して、毛沢東の暴政以上の政治を行おうとしている。
習近平政権は禁欲主義を徹底できるのか
いかなる政治指導者にとっても、経済運営に失敗すれば、その統治体制がそろそろ終わりに近づくとみたほうがよかろう。毛沢東時代の中国経済は数千万人が大飢饉で餓死したにもかかわらず、農民一揆が起きなくて、その暴政は毛が死去するまで続いた。毛沢東政治の重要な柱の一つは禁欲主義を徹底したことである。毛は倹約が美徳であるという中国古典文化の教えを利用して、生活が困窮してたいへん困っていた人民に禁欲を徹底的に求めた。むろん、毛自身は欲望のままの生活を送っていた。
毛沢東の主治医だった人やシェフだった人の回顧録を読むかぎり、毛沢東の生活は皇帝以上のものだった。毛は人民に貧しい生活を強いる一方、自分は贅沢三昧な生活を送っていた。
経済運営に失敗することは政治にとって深刻なリスクのはずだが、毛は禁欲主義の徹底を求めることでそのリスクを見事に管理することができた。
習近平主席も毛に倣って、禁欲主義の徹底を求めようとしている。これまでの11年間、中国経済はみるみるうちに減速している。経済の基本はパイを大きくするという経済成長を図ると同時に、パイを公平に切り分ける分配制度の構築である。習近平政権になってから、中国経済は下り坂を辿っている。富の分配について共同富裕のプロパガンダを呼び掛けたが、それも成功していない。
贅沢三昧な生活に慣れていた共産党幹部は再び倹約の生活に慣れるのだろうか。明らかに不可能である。共産党幹部が理想とする腐敗生活を実現できなければ、共産党員になる意味がなくなる。これこそ共産党にとってもっとも深刻なリスクである。
習近平政権はかつて毛沢東時代と同じように、習近平主席への個人崇拝を煽っている。習近平理論やら習近平思想やら、さまざまな「政策」を持って習近平主席の神格化を煽っている。しかし、贅沢な生活を味わっていた共産党幹部は苦しい生活を強いられる指導者に心から崇拝するとは思わない。それ以外の大多数の人民はどんなプロパガンダをいわれようが、政治指導者に崇拝することはない。なによりも、毛沢東時代と比べ、今の中国社会はいくら情報を統制しても、不完全なものになる。共産党にとって都合の悪い情報が絶えず流れ込む状況下で人々を洗脳しようとしても、効果は限定的である。
習近平主席にとって中国社会が混乱するのを避けるために、一番賢明な選択は改革・開放の路線に戻ることである。さもなければ、中国政治、社会、経済のいずれもハードランディングする可能性が高くなる。そうなれば、これまで経験したことのない悲劇になってしまう。
【中国】不動産バブル崩壊で「台湾有事」が重荷になり始めた“内憂外患”
アサ芸biz によるストーリー
中国経済は不動産バブル崩壊と米国の分断政策で総崩れの状態にある。一言でいえば、内憂外患の難局の万策が尽きている。そこで、「溺れる者が藁を掴む」が如く、国民の不満、批判を逸らすために「台湾有事」を叫び、危機感を一段と強めている。しかし、これは「演出」との見方が強い。
台湾有事の「旗(演出)」は経済不況に苦しむ習近平政権にとって、国民の求心力を維持する最大の力になっているから、簡単に旗を下ろすわけにいかない。
そのために、財政難に苦しむ中で人民解放軍への予算拡大に追われ、昨年は30兆円を優に超え、本年は40兆円に迫ったと推定されている。しかも、国防予算の拡大は人民解放軍を勢いづかせ、国際的な緊張を高めるばかりか、中国の財政に取返しのつかないほどの打撃を確実に与えていく。この財政事情を認識したうえで、誰も語らない台湾有事を考えてみよう。
中国政府の対台湾発言を見ていると、台湾侵攻の準備が整い、後は「号砲」を待っているだけと思えるが、実際はまったく異なる。まず、ハッキリしていることは、習近平中国は負ける戦争は絶対に出来ないということだ。100回戦って、99回勝てる状況にならない限り、人民解放軍が攻撃を仕掛けることは有り得ないのだ。
台湾侵攻に失敗したり、戦線が膠着状態に陥ったりしたら、習近平政権の存続が問われるばかりか、共産党の「信頼」が傷つき、「党」の存続が揺らぐような、暴動が発生することになるからだ。こう伝えると、自民解放軍が豆粒のような台湾を制圧出来ないはずがないと反発する人もいよう。しかし、もともと台湾は蒋介石の国民党軍が逃げ込んでから、中国共産党と戦うことを前提に、台湾本島をゲリラ戦に耐えられるよう要塞化してきた。
人民解放軍が核ミサイルの保有大国と誇っても、要塞化された台湾本島への侵攻は容易ではなく、人的損失がロシアのウクライナ侵攻の比ではないほど膨大なものになると予想されるのだ。
つまり、習近平中国が軍事的に台湾に勝ったとしても、人民解放軍は膨大な死傷者を生む、戦時体制による経済的損失や国際的なイメージの低下など、中国への打撃は「天文学的」なものになることが目にみえている。それでなくとも、中国は国民を監視するために、国防費を超す予算を使っている。台湾有事は「重荷」なのだ。(団勇人・ジャーナリスト)
【易姓革命とは】天命、五行、讖緯思想とあわせてわかりやすく解説
2020年1月24日 / 2021年1月31日
易姓革命とは中国における王朝交代の理論を指します。古代中国において起こった儒教の思想を基調とし、これに様々な思想などが結びついてきました。
中国の王朝交代を正当化する根拠として、「易姓革命」という考え方がなされていたようです。
1章:易姓革命とは
冒頭でも触れた通り、易姓革命とは、中国の王朝交代を正当化するための理論体系です。
儒教の思想をベースにしており、徳のない天子を天が見限った時に、他の徳のある人物に天命が下り、取って代わると考えられていました。 神話の時代を除くと、歴代の中国王朝交代の正当化の根拠とされ、あくまで形式的な考えとされています。
1-1:中国における天命思想
易姓革命について論じる際には、必ずと言っていいほど、「天」というキーワードが出てきます。そこで、まず最初に中国における「天」とそれに関連して天命思想を紹介していきます。
中国ではもともと、甲骨文字に代表されるように、天にお伺いを立てて物事を決めるというアニミズムがありました。
アニミズムについて、当初は原始的な信仰として論じられていましたが、人類学の立場からは原始的信仰をアニミズムと呼ぶことは否定されています。人類学以外の学問ではいまだに原始信仰という意味でアニミズムが使われることもありますが、ここでは自然信仰、物神信仰という意味で使っています。
アニミズムについて詳しくはこちらの記事で解説しています。
それが次第に形式を変え、天に認められた子、即ち「天子」が世を治めるという考え方になりました。中国の殷から西周へ王朝が交代する際には、既にこうした天の意思「天命」によって王朝が交代されたとする考えがあったとされています。
中国における皇帝は、天命によって定められた人である反面、天から見放されれば、次の皇帝(天子)に取って代わられると考えられていました。
天命に適った統治を行なった場合は、その証として「瑞兆(ずいちょう)」があると考えられていました。「瑞兆」とは、良い事象が起こる前にみられる不思議な現象をいい、主に下記の様な現象とされています。
■瑞兆の主な事例
四霊(麒麟、鳳凰、霊亀、応竜)の出現
甘露などの露が発生したり、謎の芳香が漂う
彩雲、新星、虹など特殊な気象現象
不思議で神秘的な吉夢
玉など希少な物品の発見、発掘
瑞兆の反対は凶兆と呼ばれ、日食や落雷、雹などの気象現象など不吉な前兆とされました。このように中国の政治は常に天に適ったものであるかどうかが一つの判断基準とされていました。
このような人の行いと天の為すことが密接に関係しているという考えは、天人相関説と呼ばれ、董仲舒の『春秋繁露』で論じられました。
1-2:易姓革命の要点
冒頭でもお話しした通り、易姓革命とは中国の王朝交代を正当化する理論体系です。内容としては徳を失った王朝の交代は天命による自然の摂理であるとするもので、人が争うことができないものとされました。
また、王朝の交代は統治者の姓が変わるため「姓を易(か)える」、また天命が改まるので「(天)命を改める」という意味があります。つまり「易姓革命」とは、統治者の姓が変わり、天命が改まることなのです。
易姓革命の理論体系には天命という概念が大きく影響していましたが、一方で儒教の思想も色濃く反映されています。儒教では「徳」を人間の道徳性に留めず、徳による教化によってこそ国が統治されるとしました。徳による統治は即ち天命に則った理想的な統治と捉えられ、この徳を失った統治者は排除されるべきと考えられていました。
1章のまとめ
易姓革命とは、中国における王朝交代を正当化する論理
易姓革命の背景には、天の意思によって王朝が交代されたとする「天命思想」がある
2章:易姓革命について詳しく解説
易姓革命のやり方については、二つの手段があるとされています。
相手を武力で打倒する「放伐」と武力を使わず相手に帝位を譲ってもらう「禅譲」です。儒教では最初に「禅譲」が説かれ、「放伐」は認められていませんでしたが、後に「放伐」も手段の一つとして市民権を得るようになります。
2-1:放伐と禅譲
まず「放伐」は戦争による王朝の打倒を意味します。
放伐の最初の事例は夏王朝の暴君桀王を殷の湯王が撃破し、王朝交替を成したのが最初とされています。しかし、夏王朝は実在が不明確な王朝であり、実際にこの放伐があったのか定かではありません。実際に確認できるものでは、『封神演義』でも有名な周の武王が殷の紂王を討った事例になります。
反対に「禅譲」は武力を用いない王朝交替になります。徳を失った君主がそれを自覚し、より徳のある君主へと帝位を譲ることを指します。戦争をしないので、儒教ではこれが最も理想的な易姓革命の形だとされています。
儒教は、力による支配を否定する思想なので、放伐は本来行われないのが理想です。
しかし、孟子は場合によっては、放伐も許されると主張しました。孟子は天命とは民の意思を通じて示されると説き、民(天命)を満足させられない統治者は、通常の民と同じで討伐しても天命に逆らうことにはならないと主張します。
この孟子以降、禅譲の他に易姓革命の手段として放伐も認められるようになりました。
2-2:五行説との融合
前漢の儒学者である董仲舒(とうちゅうじょ)は、人の行いと天の為すことの関係性を説いた「天人相関説」を主張しました。この「天人相関説」には、天と人の相関関係は陰と陽の二気によって感応するという考えがありました。
■陰陽と天人の相関関係
陰陽と天人の相関関係
※このように人の陰気が動くと、天の陰気が反応し、人の陽気が動くと天の陽気が反応する、といったように、天と人との感応を陰陽で解釈しています。
この天人相関説によって、陰陽五行思想と天と人の関係性が説かれるようになります。
陰陽五行思想とは、この世の事象は陰と陽の二気と木・火・土・金・水の五行の組み合わせによって、起こっているという思想で、現代で言う化学のようなものです。
また、陰陽五行の思想には、五行は循環するという考え方がありました。
そこから「相勝説」と「相生説」が生まれます。「相勝説」は五行が互いを打ち消しあう関係性を指し、木は土に勝ち、火は金に勝ち、土は水に勝つといった考えです。一方の「相生説」は互いに生み出しあう関係性を指します。木は火を生み、火は土を生み、土は水を生むという考えです。
■「相勝説」と「相生説」
※黒い矢印が相勝説、赤い矢印が相生説を表しています。
この陰陽五行思想と循環の考えに則り、易姓革命は更に理論化していきます。
すなわち、各王朝にも五行があり、例えば火徳に代わる王朝は土徳、土徳に代わる王朝は金徳、といったように天命によって次の徳の王朝へと代わっていくものとされました。また、五行にはそれぞれ色があり、王朝にも五行の徳があることから、それぞれ徳の色を備えるものと考えられました。
■五行ごとの色
2-3:讖緯思想との関係性
讖緯(しんい)思想とは古代中国で行われた予言のことで、讖緯説とも言われています。
讖は未来を予言するという意味であり、中国では予言書を讖記と呼んでいます。
もう一方の緯は儒教の書物(経書)に対して緯書という書籍類を指します。経書の「経」は縦糸を意味するのに対し、緯書の「緯」は横糸を意味し、儒教を陰陽五行説に則り、神秘的に解釈するものです。儒教の七経(『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』『孝経』)に対して七つの緯書(七緯)が作られました。
陰陽五行説は前漢の董仲舒が天人相関説を唱えて以降、「災異説」に発展して、より神秘的な様相を呈します。「災異説」とは、この世で何かしらの事変が起こる際には、その前に天が災害や怪異の諸現象を起こし、予兆とする思想です。これは前漢当時の儒家思想にみられる神秘主義の代表でした。
このように、天人相関説や災異説、加えて元々あった讖緯思想も易姓革命と関連付けて考えられるようになりました。そのため、王朝が交代する前には天によって予言めいた現象や災異が発生し、次の五行の徳を備える王朝にとって代わられるという理論体系が完成します。
■讖緯思想を利用した王莽
讖緯思想を利用して易姓革命を成した人物として、新の王莽(おうもう)が挙げられます。王莽は高祖(前漢の劉邦)の予言であるとする「金匱図」・「金策書」という符命を偽作しました。
また、王莽が皇帝になる符命が、夢によって出現や発見されました。そこで、これらを天命の根拠として、王莽は禅譲を受け自ら新王朝の皇帝に即位しました。形上は禅譲ということになっていますが、新を打倒した後漢は、新を徹底的に批判し、これを禅譲ではなく「簒奪」として扱っています。
2-4:易姓革命が社会に与えた影響
前漢の王莽は禅譲により新王朝をひらくものの、すぐに後漢の劉秀によって打倒されます。劉秀もまた、王莽と同じように『赤伏符』という讖文を根拠に帝位につき、後漢王朝をひらきます。
しかし、後漢王朝も末期になると、中央政府の力が衰え、各地で農民反乱が勃発します。その最も大きな反乱が黄巾の乱です。張角が主導したこの反乱は、後漢の徳が火徳のため、自分たちは五行説に則り土徳であると主張しました。
黄巾の乱の「黄」は土徳の色である「黄色」を意味し、土徳である自分たちこそ、後漢王朝を放伐して新しい王朝を作る資格があるとうったえました。
しかし、後漢王朝末期に起こった黄巾の乱は成功することなく平定されます。最終的に後漢王朝は新しく興った魏の曹丕(そうひ)によって、禅譲に追い込まれ滅亡します。後漢から魏に代わった最初の年号は「黄初」であり、これも土徳である魏の初めであるということを意味します。
このように、易姓革命の思想は王朝交代の際に強く意識されていくようになります。
また、易姓革命は天命や五行思想、讖緯思想によって正当化されているため、前漢の初代皇帝劉邦や明の開祖朱元璋など、身分が低い者の支配も可能にしました。
そのため、易姓革命を行う際には、いかに自分の正当性を主張するかが重要になります。儒教の中で最も理想とされていた「禅譲」も、本心から帝位を譲って行われるというよりは、政治的軍事的圧力に屈したと考えてよいでしょう。
参考文献・参考資料
経済大失政なのに習近平はなぜ権力強化できるのか…「反腐敗」を叫ぶほど恐怖支配が成功してしまう中国共産党の「腐敗エンドレスゲーム」 (msn.com)
【易姓革命とは】天命、五行、讖緯思想とあわせてわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)
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