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政治(法律)講座V231「恨国(韓国)はまだ、盗んだ仏像を返さない。盗人猛々しい。噓つき国家」

韓国は近代法治国家ではないことは再三主張してきたが、この事件もその具体例である。以前のブログで解説したように、やはり、李承晩時代から知識人の粛清を行い、従来からの法知識の源泉である書物(漢字表記)を読む能力と理解する能力を奪うための焚書政策、つまり、ハングル文字のみの教育で愚民政策の成果がこれである。今回はこの件について解説する。

          皇紀2682年6月7日
          さいたま市桜区
          政治(法律)研究者 田村 司

はじめに

なぜ前近代的な無法国家なのであろうか
法の解釈・理解において法曹界自体が未熟であるのか三権分立せずに行政権が強すぎるのか、摩訶不思議である。未だ儒教の徳治主義が主流のようである。ただ、それには、理由が3つある。
一つ目日本統治時代に日本で学んだ知識人・教養人を排除・粛清したこと。
だから、李氏朝鮮時代に知識レベルとモラルの低下を招いた。あらゆる因習が復活して、李氏朝鮮時代に祖先返りした。儒教時代の習慣(徳治主義)に逆戻りしたのである。日本の朝鮮近代化の努力を無にしたのである。そして、韓国社会の社会構造を朝鮮李王朝のような徳治主義に戻したのである。李王朝は「両班(貴族)ー中人ー常民ー奴婢ー白丁(被差別民)」という世襲身分制度の国だった。日本統治によりその身分制度の廃止したが、両班のような支配階級の身分を目指して、大学進学して、異様な教育熱国家の競争社会になったが、勤労に関する価値観は李氏朝鮮時代の意識のままである。そして、ヘル朝鮮という言葉が生まれた。韓国の主に1970年代後半から1990年代前半の間に生まれた世代の韓国国民が、受験戦争と学歴差別の激化若者失業率の増加貧富の格差経済的不平等)拡大自殺率の高さなど、韓国社会の生きづらさを「地獄のような朝鮮」と自嘲して表現したスラングである。韓国ではなく「朝鮮」という言葉を使用することにより、李氏朝鮮のような前近代的で非合理な国という意味も含んでいる

二つ目は李承晩大統領時代から漢字の廃止を検討し、朴正煕大統領の時に漢字教育を止めて、ハングル文字のみとした。
これによる弊害は、漢字で書かれた日本の文献を読めなくなったことである。
特に日本語で書かれた漢字表記の文献である。それは明治維新以来西洋の学問を日本流に翻訳したから、今、漢字の国の中国でも使われている言葉の70%は日本語である所以である。そして、それは科学・技術だけに限らず、法律に関しても同様である。漢字教育というより日本語教育、日本語が読めないと日本語で書かれた科学・技術・法律・歴史の文献が理解できない。知識の習得が難しいのである。ハングル文字のみではリテラシー低下していると韓国では危惧されている所以である。
明治初期の日本は、不平等条約撤廃という外交上の目的もあり民法、刑法、商法などの基本法典を整備し、近代国家としての体裁を整えることが急務であったことから、法学研究目的での海外留学を積極的に推し進めたほか、いわゆるお雇い外国人としてフランスの法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードを起用するなどし、フランス法およびドイツ法を基礎に、日本特有の慣習や国情にも配慮しつつ、法典の整備を進めた。
刑法は1880年(明治13年)に制定、2年後に施行され
民法は1896年(明治29年)に制定1898年(明治31年)に施行された。
日本は、アジアで初めて近代法の整備に成功した国となり、不平等条約の撤廃も実現したが、近年グローバル化の進展の中で、アジア各国が日本に法整備支援を求めていることには、このような歴史的背景があるともいわれている。これらに反して歴史・文化に逆行するように李氏朝鮮時代の儒教の思想に祖先返りしているのである。
3つ目、大統領の権力が強すぎて、立法、司法、行政のバランスが悪い。それと、李氏朝鮮時代の悪弊を引きずっているのである。法治主義ではなく、儒教の徳治主義に戻ったのである。後述するが、「溺れる犬は棒で叩け」という韓国のことわざのように、国教を儒教に変えたときの仏教の弾圧は熾烈を極めた。信仰の対象の仏像を哀れんだ僧侶が、仏教の盛んな日本の寺院に持ち込んだと考えるのが妥当であろう。僧侶は都の漢陽に入ることを禁止された上、賎民階級に身分を落とされた。また、全国に1万以上もあった寺院は、国家的に保護を受けるべきものが242寺に限定されその他の寺院は所有地と奴卑を没収され、また多くが破壊された。これらは、日帝残滓をことさら騒ぎ立てて建造物や文化財を破壊する韓国の所業からも当時の仏教の弾圧の熾烈さは想像出来るのである。痛ましいのは次の仏像は盗まれた仏像である。

「観世音菩薩坐像」



対馬仏像盗難事件
とは、2012年(平成24年)に、日本の長崎県対馬市の三つの神社・寺院から、韓国人窃盗団によって重要文化財の仏像2体などが連続盗難された事件。韓国の裁判所が盗難仏像の日本への返還を事実上拒否する決定を下し、1体は返還されたが未だに1体が未返還なため、日韓間で外交問題となっている。2014年(平成26年)11月、2019年(令和元年)10月にも、別の仏像盗難事件が起こっている。

事件の経緯

発生から犯人逮捕まで

2012年10月8日、対馬の海神神社の国指定の重要文化財「銅造如来立像」(統一新羅時代)、観音寺の長崎県指定有形文化財の「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)、多久頭魂神社の長崎県指定有形文化財の「大蔵経」が、8人の韓国人窃盗団に盗まれた。なお、これ以前にも韓国人により日本に所在する仏像や仏画が盗難され韓国に持ち出される事例が多発していた。

2013年1月29日、窃盗と密輸の容疑で韓国人窃盗団5人が韓国警察に逮捕され、韓国国内で仏像2体が回収された(「大蔵経」の行方は不明)。

韓国地裁による事実上の返還拒否

本来なら盗難文化財と判明すれば文化財不法輸出入等禁止条約に基づいて直ちに日本に仏像が返還されるのだが、忠清南道瑞山市にある曹渓宗の浮石寺(プソクサ)が、「観音寺の銅造観世音菩薩坐像は、元々倭寇に略奪された仏像である」と主張して返還しないよう求め、韓国の主要メディアも、元は日本による略奪だったので返還する必要はないとの論調で報じた。

2013年2月、韓国 大田地裁(朝鮮語版)は、浮石寺の「有体動産占有移転の禁止仮処分申請」を認め、「観音寺側(日本側)が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで、日本に仏像を返還してはならない」として事実上の返還拒否を決定した。

2013年6月28日、大田地裁は窃盗団7人のうち6人に懲役1 - 4年の実刑判決を言い渡した。韓国への搬入を手伝ったとされる1人は無罪が確定した。判決では仏像の所有権関係や返還については言及していない。テジョン地裁のジャン・ドンヒョク公判判事は「仏像が日本に返還されれば、浮石寺の所有だと最終判断がなされたときにすでに仏像はなくなっていて、浮石寺の所有権を行使できない恐れがある」と語った。

2017年1月26日、大田地裁は「所有権は浮石寺にあり、正常ではない過程で観音寺に移された」として、韓国政府に対し、仏像の浮石寺への引き渡し命じた。韓国政府は判決を不服として大田高裁に控訴した。

1体のみ返還

2015年7月18日、海神神社の銅造如来立像については、所有者が名乗り出ていなかったため日本に返還された。盗難時に右手中指の先端が約2ミリ欠損していた事実が確認されたが元々鋳造時に指先まで銅が届かず欠損していた部分を後年取り付けたか、盗難以前に欠損し修復されていた部分で強度が不足していたと考えられる。そのために修復には韓国側に説明を求めず、政府が補修費用を半額補助する方針が伝えられた。観音寺の観世音菩薩坐像については浮石寺が所有権を主張しているため、未だに返還されていない。2016年7月5日、浮石寺の円牛住職は「日本では、韓国が盗んだ物を返していないと言われているが、そうではない。盗んだ人は逮捕され、処罰された。それで窃盗事件は終わった。」として事件の解決を宣言した。

韓国側の主張

メディアの主張中央日報は「(日本側が)略奪や強制搬出した事実が確認されれば話が変わる」と主張、ハンギョレは「国宝級仏像は略奪物?」の記事で「返還拒否には流出の不法性を証明しなければならないが、事実上不可能との見解が優勢だ」と指摘、YTN局は文禄・慶長の役の際に仏像が流出した可能性が大きいと主張した。韓国の大学教授らは銅造如来立像は神功皇后が、観世音菩薩坐像は倭寇(または豊臣秀吉)が、朝鮮から日本に略奪したと主張し、日本が返還を求めるならば入手経路を明らかにしなければならないという世論を形成していった。

瑞山市の主張2013年2月、忠清南道瑞山市は日本への返還に反対した。

曹渓宗評議会の主張韓国最大の仏教宗派曹渓宗瑞山市住持評議会は「文化財の不法略奪、不法流出、盗難経行為ついては、歴史的・時代的状況を遡及して適用すべきだ。窃盗団は法に従い厳重に処罰されるべきだが、仏像は過去の(朝鮮半島からの)流出経路が明らかになるまで日本に返還してはならない」としたうえで「調査の間は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の仲介を通じて、遺物を第三国に預けることを検討すべき」と主張した。

韓国浮石寺の主張
窃盗された仏像を所有する忠清南道瑞山市にある曹渓宗の浮石寺(プソクサ)は、この仏像は元々は韓国の寺院浮石寺のものであり倭寇に略奪されたという理由で日本の寺院への返還を拒否している。また浮石寺は大田地方裁判所に返還差し止めの仮処分申請(有体動産占有移転の禁止仮処分申請)をし、裁判所は「観音寺側が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで、日本に仏像を返還してはならない」という決定を下した。裁判で浮石寺は500年 - 600年前に倭寇が強奪した仏像だと主張する根拠を求められたが、「根拠を示す鑑定書は仏像を失ったときに、思い出すのが悲しいので捨てた」と主張し、根拠は提示できなかった
2013年3月14日には持ち去られた浮石寺の僧侶と国会議員、市民団体ら6人が来日し、観音寺にも訪問したが、観音寺では門前払いとなった。浮石寺の僧侶らは記者会見で、観音寺側に来日前に知らせたにもかかわらず出迎えもないと批判し、「この問題の解決には日韓ともに偏ったナショナリズムにとらわれないことが重要だ」と述べた。浮石寺の創建に登場する人物のマスコットキャラクターの人形や小型の仏像も持参したが、観音寺は「まずはうちの仏像を背負って一刻も早く持ってきて欲しい」として受け取らなかった。金額に換算すれば、このマスコット人形は850円であるのに対し、盗まれた仏像は数億円に相当する。浮石寺は「韓国は日本に仏教や仏像を伝えました。それなのに日本人は寺を燃やし仏像を奪っていきました。過去の歴史を日本は認める姿勢はあるのかということです。返還して欲しければ略奪ではなく友好的に贈られたことを日本側が証明すべきだ」と語った。

日本側の反応

観音寺の田中節孝前住職は、仏像は李氏朝鮮時代の仏教弾圧から守るために対馬に持ち込まれ、大切に守ってきたもので、韓国人から感謝されることはあっても、「略奪」呼ばわりするとは、開いた口がふさがらない、と語っている。対馬市では、市の人口の約半数の16803人分の仏像の早期返還を求める署名が集まり、2018年1月25日、観音寺は韓国政府に仏像の早期返還を働きかけるよう求める要望書を外務省や県などに送付した。その一方で、朝日新聞は韓国に盗まれた仏像を日韓の共有財産にすることでの解決を求めている。

対馬市厳原港では、毎年8月の第1土日曜日に「厳原港まつり」を開いているが、1988年から祭名に「アリラン」を加え「厳原港まつり対馬アリラン祭」としていた。しかし仏像盗難事件が起こったため、2013年に、祭名から「アリラン」を削除し、1980年から行われていた朝鮮通信使行列も中止したが、行列を主催する「朝鮮通信使行列振興会」の働きかけにより、翌年には日韓国交50周年を理由に再開されている。

2014年11月の対馬仏像盗難事件

摘発された仏像と経典

2014年11月24日、梅林寺 (対馬市)から誕生仏と大般若経を盗み大韓民国に持ち出そうとした韓国人の男5人が対馬南警察署に逮捕された。

2019年10月の対馬仏像盗難事件

2019年10月17日、円通寺から県指定有形文化財「銅造薬師如来坐像」を盗みだした疑いで神戸市長田区の飲食店従業員の男ら3人を逮捕した。

浮石寺の歴史

671年(文武王11年)に留学先の唐から新羅にもどり、海東華厳宗の創始者になった義湘が、王命に従い、676年(文武王16年)に浮石寺を建立した。高麗時代の1016年(顕宗7年)、円融によって無量壽殿が再建されたが後に焼失。現在の建物は1376年に再建されたもの(後述)。

李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88の寺院の中に浮石寺の名前はない世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36の寺院の中にも浮石寺の名前はない(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。少なくとも15世紀初頭、浮石寺は廃寺になっていた。

対馬の寺から盗難の仏像 返還求め住職が韓国での裁判に参加へ

2022年6月5日 22時09分 NHK

10年前に長崎県対馬市の寺から盗まれたあと、韓国で見つかった仏像をめぐり、韓国の寺が所有権を主張して引き渡しを求めている裁判で、対馬市の寺の住職が韓国を訪れて今月15日の裁判に初めて直接参加することになりました。法廷で仏像の早期返還を訴えることにしています。

10年前に長崎県対馬市の観音寺から盗まれたあと、韓国で見つかった仏像について、韓国中部にあるプソク(浮石)寺が「中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」として所有権を主張し、仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めて裁判を起こしています。
中部のテジョン(大田)地方裁判所は2017年に引き渡しを命じる判決を言い渡しましたが、韓国政府が控訴して2審が続いていて、高裁は去年11月、利害関係のある第三者として「補助参加人」の立場で寺の参加を認めました。
観音寺などによりますと、田中節竜住職が来週韓国を訪れ、今月15日にテジョンの裁判所で開かれる審理に出席するということです。
この裁判で寺側が直接法廷に立つのはこれが初めてとなります。
\田中住職はNHKの取材に対し、「すでに提出した書面で述べているとおり、所有権はこちらにあることを改めて訴えるつもりだ」と話しています。

My  Opinion.

現在、韓国で行われている日帝残滓の所業をみると李氏朝鮮時代の仏教弾圧における仏像破壊行為や仏像放棄が容易に想像がつく。

前述した解説部分にある通り裁判で浮石寺は500年 - 600年前に倭寇が強奪した仏像だと主張する根拠を求められたが、「根拠を示す鑑定書は仏像を失ったときに、思い出すのが悲しいので捨てた」と主張し、根拠は提示できなかった。そして、浮石寺の歴史においては、李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際存続を許された88の寺院の中に浮石寺の名前はない
世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36の寺院の中にも浮石寺の名前はない(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。少なくとも15世紀初頭、浮石寺は廃寺になっていた。

李氏朝鮮時代の仏教弾圧
李氏朝鮮時代に入ると、一転して儒教が国教となったため、仏教は徹底的に弾圧された。初期には王族の保護を受けたが、士林派の集権で弾圧が強化された。僧は都の漢陽に入ることを禁止された上、賎民階級に身分を落とされた。また、全国に1万以上もあった寺院は、国家的に保護を受けるべきものが242寺に限定されその他の寺院は所有地と奴卑を没収され、また多くが破壊された。さらに、第3代太宗の時代の1407年(太宗7年)には、12宗が7宗88寺院(曹渓宗・天台宗・摠南宗・華厳宗・慈恩宗・中神宗・始興宗)に、次の世宗の治世(世宗6年・1424年)にはその7宗派も曹渓宗・天台宗・摠南宗を統合して禅宗、華厳宗・慈恩宗・中神宗・始興宗を統合して教宗と、2宗派にまとめられた。88の寺院は、禅宗18寺院・教宗18寺院の計36寺院を残し廃寺となり、この時期に朝鮮半島の仏教は著しく衰退した。

  • 太宗7年の弾圧の際、存続できた88寺院

    • 曹渓宗24寺梁州通度寺・松生雙巖寺・昌寧蓮花寺・砥平菩提岬寺・義城氷山寺・永州鼎覺寺・彦陽石南寺・義興麟角寺・長興迦智寺・樂安澄光寺・谷城桐裏寺・減陰靈覺寺・軍威法住寺・基川淨林寺・靈巖道岬寺・永春德泉寺・南陽弘法寺・仁同嘉林寺・山陰地谷寺・沃州智勒寺・耽津萬德寺・靑陽長谷寺・稷山天興寺・安城石南寺

    • 天台宗 17寺忠州嚴正寺・草溪白巖寺・泰山興龍寺・定山雞鳳寺・永平白雲寺・廣州靑溪寺・寧海雨長寺・大丘龍泉寺・道康無爲寺・雲峰原水寺・大興松林寺・文化區業寺・金山眞興寺・務安大崛寺・長沙禪雲寺・堤州長樂寺・龍駒瑞峰寺

    • 華嚴宗 11寺長興金藏寺・密陽嚴光寺・原州法泉寺・淸州原興寺・義昌熊神寺・江華栴香寺・襄州成佛寺・安邊毗沙寺・順天香林寺・淸道七葉寺・新寧功德寺

    • 慈恩宗 17寺僧嶺觀音寺・楊州神穴寺・開寧獅子寺・楊根白巖寺・藍浦聖住寺・林州普光寺・宜寧熊仁寺・河東陽景寺・綾城公林寺・鳳州成佛寺・驪興神異寺・金海甘露寺・善州原興寺・咸陽嚴川寺・水原彰聖寺・晋州法輪寺・光州鎭國寺

    • 中神宗 8寺任實珍丘寺・咸豐君尼寺・牙州桐林寺・淸州菩慶寺・奉化太子寺・固城法泉寺・白州見佛寺・益州彌勒寺

    • 摠南宗 8寺江陰天神寺・臨津昌和寺・三陟三和寺・和順萬淵寺・羅州普光寺・昌平瑞峯寺・麟蹄玄高寺・雞林天王寺

    • 始興宗 3寺漣州五峯寺・連豐霞居寺・高興寂照寺

  • 世宗6年の弾圧の際、存続できた36寺院

    • 禅宗の18寺院興天寺(禅宗の本山)・崇孝寺・演福寺・観音堀(開城)・僧伽寺(京畿楊州)・開慶寺・檜巖寺・津寬寺・大慈菴(高陽)・鷄龍寺(忠淸道公州)・斷俗寺(慶尙道晋州)・祗林寺(慶州)・華厳寺(全羅道求禮)・興龍寺(泰仁)・楡岾寺(江原道高城)・覺林寺(原州)・亭谷寺(黄海道殷栗)・釋王寺(咸吉道安邊)

    • 教宗の18寺院興德寺(教宗の本山)・廣明寺・神巖寺・甘露寺(開城)・衍慶寺(京畿海豐)・靈通寺(松林)・藏義寺(楊州)・逍遙寺・俗離寺(忠淸道報恩)・寶蓮寺(忠州)・見巖寺(慶尚道巨濟)・海印寺(陜川)・瑞峯寺(全羅道昌平)・景福寺(全州)・表訓寺(江原道淮陽)・月精寺(黄海道文化縣)・神光寺(海州)・永明寺(平安道平壤)

成宗(在位1469年 - 1494年)・燕山君(在位1494年 - 1506年)・中宗(在位1506年 - 1544年)の時代、仏教はさらに壊滅的打撃を受けた。成宗は1492年、僧侶の度牒制度と出家を禁止した。燕山君は2宗派の本山である興天寺(禅宗の本山)と興徳寺(教宗の本山)を1504年に廃寺にし、そのほかの寺院も遊興施設にかえた。中宗は1507年に科挙の僧科を廃止し、また仏像を破壊させた。
上記の文献資料から曹渓宗24寺の中に「浮石寺」は無いのである。

蛇足であるが李栄薫編著「反日種族主義」によると、
韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っている。
2014年だけで偽証罪で起訴された人は1400人です。
日本に比べると174倍だ。
人口を考慮すれば、一人当たりの偽証罪は日本の430倍になる。
虚偽に基づいた告訴、即ち、誣告の件数は500倍だろいう。
一人当たりにすると日本の1250倍である。
保険詐欺が蔓延していて、アメリカの100倍と報じられている。
国民だけではなく政治が嘘つきの模範を示している。
この国の政治が嘘を政治の手段とするようになったのには、この国の嘘つきの学問に一番の責任がある。この国の歴史学者や社会学者は嘘の温床である。この国の大学は嘘の製造工場である。
この国の嘘を付く文化はついに司法まで支配するようになった
ひたすら事実に基づいて「正義の原則」により裁判を行われなければならない裁判官たちが、何が事実で何が嘘であるか弁別できず、国の根幹を揺さぶるでたらめな判決を下している。嘘の学問が嘘の歴史を作り、若い世代を教えて60年です。その教育を受けて育った世代が遂に大法院(日本で言う最高裁)の裁判官にまでなったので、この国の司法が嘘の裁判をするのは無理のないことかもしれない。

参考資料・参考文献

対馬仏像盗難事件 - Wikipedia

対馬から盗まれた仏像 韓国寺院に所有権の根拠は? | 聯合ニュース (yna.co.kr)

文禄・慶長の役 - Wikipedia

浮石寺 - Wikipedia

対馬の寺から盗難の仏像 返還求め住職が韓国での裁判に参加へ | NHK

日帝残滓 - Wikipedia

徳治主義 - Wikipedia

李栄薫編著 『反日種族主義」文藝春秋 2019.12.15 第6刷発行

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