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ハードワークの義務付けに意味はあるのか

イーロン・マスク氏の「80時間の労働を求める」発言で、またハードワークの是非が議論になっている。マスク氏だけではなく、Twitte社のマネージャー層も同様の発言をしているようだ。

論争の的となっている$8認証機能に取り組んでいる間、幾人かのマネージャーはスタッフに週84時間――言い換えれば12時間勤務を週7日――するようスタッフに伝えていたと、CNBCが報じています。(While working on the controversial new $8 verification feature, some Twitter managers told staff to work 84-hour weeks – or 12-hour shifts, seven days a week, CNBC reported.)

Elon Musk Told Twitter Staff to Expect 80-Hour Work Weeks, Report Says

「偉人はハードワーク」論へのささやかな疑問

賛同意見は、例えばこういうものだ。

橋下氏は、マスク氏がツイッター社の社員に対し、長時間の激務を受け入れるか、賛同できないなら退職を促すメッセージを送り、賛否両論が起きていることに言及。「イーロン・マスクも言ってたけど、“週120時間かなんか働かないとテクノロジーは進化しない。死に物狂いで働いている者が世界を変えるんだ”と。その通りだと思う」と、マスク氏の主張に理解を示した。(略)「あんなことをやれる人間が、週40時間、残業ダメですよと、そんな環境からは生まれないと思います」

橋下徹氏 “長時間労働か退職か”マスク氏に理解「週40時間、残業ダメ…そんな環境からは生まれない」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

こうした発言で一つ残念に思うのは、「死に物狂いで働けば偉業を成せる人間になれるか」とか「120時間働けば死に物狂いで働いたことになるか」について何も言ってくれないことだ。

よく似た例を挙げれば短時間睡眠の話がある。ナポレオンやビル・ゲイツが3時間睡眠だった、ショートスリーパーを目指しませんかというものだ。3時間睡眠にすれば、ナポレオンやビル・ゲイツのように成果を出せるとは言ってくれない。それにこうした論法をする人が「アインシュタインは10時間睡眠、小柴昌俊は11時間睡眠だったから、死に物狂いで長時間睡眠しなさい」と説くのは聞いたことがないように思うけど、それはなぜだろう?

これは結果にコミットしてるのだろうか。データに基づいているだろうか。偏った選択の逸話によりかかって、ハードワークありきというプロセスにコミットしてないだろうか。

生産性の高い労働時間

一般的には睡眠時間は7~7.5時間必要で、それ以下だと仕事効率が低下すると言われる。現代の8時間労働制は、8時間の休養時間を取ることをスローガンに掲げたものだ。1818年にこの「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」のスローガンを生み出したロバート・オウエンは、そもそも生産性に着眼して10~16時間×週6日勤務が普通だった時代にまず自工場で10時間労働制を実践したらしい。

モートン・ハンセンが約5,000人を対象にした調査結果として次のことを示している。一般に週労働50時間を超えると業績の伸びは鈍化し、65時間を超えると業績そのものが低下する。ライン製造工の始業と終業時間が不動の時代の8時間労働制で週6日、デスクワークやサービス業など業務量の変動が大きくバッファ(日に1~2時間残業の余地)が必要な現在の8時間労働制で週5日は、この50時間以内を目指せるバランスの数字だ。

モートン・ハンセン「GREAT@WORK 効率を超える力」p.93より

1818年のロバート・オウエンの直観と実践、近年「睡眠負債」などの言葉で浸透してきた睡眠研究の常識、そして2009年のモートン・ハンセンの調査が共通して示すのは、この200年間近く、生産性の面では8時間睡眠に適した8時間労働制が合理的だと考えられていることだ。たぶんショートスリーパーか仕事以外にやりたいことが少ないワーカホリックでない限り、死に物狂いで働くということは、8時間死に物狂いで働き、8時間死に物狂いで休むということだ。少しでも結果にコミットするには、そういうことになると思う。

「12時間勤務を週7日」の現実味

Twitter社のマネージャーが言う「12時間勤務を週7日」は、12時間勤務の時点で「休息の」8時間か「やりたいことの」8時間を削ることが前提になる。でもまず、ショートスリーパーは遺伝子の変異が認められる先天的体質で、睡眠障害国際分類第3版では4%前後、実際には0.5%ぐらいではないかとも言われる。どちらにせよ95%以上の人にとっては、「休息の」8時間は削り難い。

「やりたいこと」の8時間の方はどうだろう。実はイーロン・マスク氏はショートスリーパーではなく、午前1時に就寝し7時に起床する6時間睡眠だという。19時に仕事の手を止め、夕食を取り、20時に仕事を再開し、0時まで働く。朝食はほとんどとらず、昼食はミーティングをしながら5分程度。昼頃から夕食前までマネージャの仕事をして、夕食後に午前3時までプログラミングをした若き日のポール・グレアムに似ている。どちらも「休息」ではなく「やりたいこと」の時間を労働に振り向けている。

でも自分で夕食の買い物をして料理をしたら、19時に終業して20時に夕食が済むだろうか。朝食や昼食は?「やりたいこと」の時間には、衣・食・住といった働く以外のすべてのことが詰め込まれている。イーロン・マスク氏は直食はほとんど摂らず、昼食はミーティング中に5分程度で、あとはシャワーは欠かさないぐらいだという。

多分これは、多くの人にとって削れないものを削っている。マラソンや駅伝ランナーのように、すべてのことを周りの人が引き受けて走るだけに専念させてくれるチームが必要なロングランに思える。家庭人としてのタスクはすべて切捨て、家族がそれをすべて担ってくれて、初めてできることに思える。「休養」の8時間を削ることが多くの人に適さないように、「やりたいこと」の8時間も削るには限度がある。

ハードワークの権利論とハードワークの義務論

週に80時間仕事に没頭するのを禁じることに窮屈さを感じるのは分かる。第一に健康や家庭を損ないがちな過労リスクを抑えるのが目的だけど、ショートスリーパーやワーカホリックで健康や家庭との折り合いがつく人まで仕事への没頭を禁じられてしまう。第二にそうでない人でも、生産性度外視で「いまここ」でわずかでも成果を積まねばという思う場面がある。

極端な例を挙げれば、東日本大震災直後、対応に当たった枝野官房長官(当時)は4日間は椅子で1~2時間うたた寝した程度だったという。これは一瞬一瞬が公益と人命にかかわる4日間で、そこで「枝野寝ろ」と言うエールはあっても、「勤務時間が」「残業時間が」と言う人はいなかっただろう。公益ではなく私益だとしても、起業や研究の一場面に当人にとって「いまここ」と感じる場面はあると思う。僕がささやかながら残業するのはそういうタイミングだし、人や状況によってはそれが法規制に収まらない数字を求めることもあるだろう。

だから「ハードワークの権利」という面での議論なら、賛否は別にして理解ができる。ワーカホリックのイーロン・マスク氏が「やりたいこと」の時間を、ショートスリーパーと思しき橋下徹氏が「休息」の時間を、それぞれ仕事に使いたいというなら、その権利は他者にマイナス影響が及ばない範囲では尊重されるべきだ。実際、ハードワークの強要が起きかねない雇用関係下では労働基準法で禁止されているけど、その外にある個人事業主はそういう働き方を選ぶことも可能だ。その権利を従業員にもという叫びは、気持ちとしては分かる。

でもツイッター社員ならイーロン・マスク氏のように働くべし、テクノロジーを進化させるテック企業の従業員なら橋下徹氏のように働くべしというのならばそれは「ハードワークの奨励」だし、それを就業規則に定めればもう「ハードワークの義務」付けだ。僕の理解では、ハードワークで生産性が上がる人は限られているし、ハードワークができる人――「やりたいこと」や「休息」の8時間を削れる人――も限られている。ハードワークを「させる」ことに意味があるのか。現実味があるのか。そこを飛ばすと議論の意味が分からなくなる。


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