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「アフガンの男」読感。

2008年の作品を今頃だけど、少しずつ読み進めてた「アフガンの男」読了。面白かったけど、フォーサイスらしい追いつ追われつを感じたのは終盤だけで、佳作というところ。Amazonには酷評も多い。ただ大国のパワーゲームではない9.11以降のスリラーを模索する一作だったのかもと思ったら、最近ほとんど書いてない読後感想を残しておきたくなった。

フォーサイスの過去作品の面白さは、謀略側と防諜側の間のシーソーゲームにあると思う。防諜側はもちろん、思想的にはどうあれ謀略側も理知的で、知恵の限りを尽くし、不慮の事態や運・不運に見舞われながらも、双方がプロの矜持にかけて状況を投げ出さず、せめぎ合い凌ぎ合う展開が手に汗を握らせる。しかし本作でそれを感じたのは終盤の一場面のみ、それもサイドストーリー側だった。

ただそれこそが、本作が「9.11以降のスリラーを模索する一作」だったのかなと思った理由だ。米英両国諜報機関がエージェントを送り込む先は、最低限の国交はある外国ではなく形がなく国交もないテロリスト国家で、しかも両機関はエージェントの足跡をロストする。英米両国が彼の生還を諦める一方で事態の収束を確信する中、最終局面に入ったテロの行方は、7人の狂信のテロリストと向き合う1人のエージェントの信念の選択が決めることになる。

つまり過去作品の常道であった国と国の対峙、組織と組織の対決、理知と理知の攻防に対して、今作は個人と個人の対峙、信仰と信念の対立、そしてある意味では狂気と狂気の攻防が結末を決める。その対比は、登場人物につながりのある「神の拳」より、テロリズムとの対決というプロットに共通点のある「悪魔の選択」あたりと比べるとよくわかる気がする。

旧来のフォーサイスらしい面白さを感じる部分は、アル・ハタブ博士の欺瞞工作やイズマート・ハーンの脱走劇などに見られる。しかしそれらは前述の通りサイドストーリーで、本編はさながらアクション映画だ。そしてフォーサイスの抑制の効いた筆致は、そうした場面をエモーショナルに盛り上げない。Amazonの口コミを見ると酷評が多いけど、宜なるかなとも思う。

変な話だけど、フォーサイスとは相性の悪いストーリー展開だと思う。それでも僕は一定の面白さがあったと思うし、フォーサイスがこれを書かざるを得なかったのかという感想と、フォーサイスがこれを避けずに書いたのかという感嘆を持って、佳作と評したい。もの足りない部分は、やはり未読の「コブラ」に期待する。それにしてもこれは発表された10年前、2008年に読んでいたらまた迫力が違ったろうな。不覚。

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