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とりあえず怪文書でも書くか 雑想 2023.10.19

 社会人って大変ですよね。いきなり何を言い出したかというと、コンテンツとコミュニティの管理の戦略難しいよねって話。大学時代は大学が1つの界隈だったわけで、その中で住みやすいクラスタを見つければSNS上で社会に所属するのが極めて楽だったわけですよ。それが社会人になると、会社の人とプライベートで付き合うことは大学時代よりはハードルが高くなるわけですよね。特にわたしみたいに開発子会社に勤めているとコミュニケーション形態としてチャットコミュニケーションがメインになることと、人物特性としても、プライベートの交流が活発でない。まあそれは自分が会社選びでも、社内の立ち回りでもそういうのを選んでるというのはそうで、今これ以上活動量増やしたら本当に無理。

 そう、今そもそも論としてエネルギー量が非常に低いんですよ、平日はどうにか在宅勤務でまあ新人としてこれくらいやれば不満は無い(Mgr談)くらいの行動をして、自炊とか風呂とか生活をしていたら1日が終わっている、何なら足りないくらい。毎日なんでもう日付回ってるのかわからない。まあポケモンスリープや、生活向上状況について緊密に情報交換している友人の存在でどうにか、まあそれなりには「壊れていない」生活は送れるようになってきた。

 さて、そんなわけでわたしのコミュティがこの半年ほぼ増えていないんですよね、相変わらずTwitterを眺めて同期(院進・留年・休学が多い)・後輩たちを眺めることがわたしのコミュニケーションのかなり重要な部分を占めている。わたしがこうやってTwitterを追える社会人をしているのがそこそこ特殊事例であって、彼ら彼女らの大半もあと数年で忙しくなっていくんだと思う。あと、まだ「Twitter」と書いているが、イーロン政権でTwitter(X)がどんどん壊れていっている。このメディアに将来は無い。というか、文章偏重メディアに未来が無いんですよ、出版、新聞、ブログ、Twitter…。ITの発達でメディアの伝えられる情報量が増大し、文章という離散化・抽象化が必要なくなってしまった。これにより、インターネットは文章化に苦手意識を持つマス層を取り込むことに成功し、我々は今や辺縁に位置づけられている。

 Twitterの復活や、ActivityPubの興隆に期待したいところではあるが、わたしの側も人間的な交流・活動をするにあたってなにか次の戦略を考えないといけない。1つは人の居るメデイアに行くこと。TikTokはちょっと無理があるが(うーん)、わたしが東京で体験した素敵なあれやこれやをInstagramにちゃんと留め置かないと行けないなあとは思っている。あと、こぎれいな範囲を増やすこと。日々の自炊とかもInstagramのストーリーに流せるようになればいいな、今#1日最低1雑自炊を横展開中、どれくらいできるかなあ。

 そしてもう一つが、文章の精度を上げること。わたしの国語力は非常にピーキーな特性を持っていて、雑技能で良ければ極めて高い。ドキュメントのザッピングやセンター国語のハック、それこそまさにTwitterでの今まさに話題になっている文脈においてのインタラクティブな140字の表現というところは得意なところであるが、このnoteたちとかを見て頂ければわかるように、わたしは大規模戦略や高精度が求められる文章を書くのが非常に苦手なのである。そうはいっても、縮小されるパイの中で生き残るには勝者になるしかない。わたしの目線、わたしの文章だけをも求めて人がわたしの周囲に集まってくる環境をどうにかして作りたいものである。そんなわけでこの領域にもうちょっと注力しないとなあと思って今こうしてnoteを開いているというワケ。

 ちなみに近況報告を挟んでおくと、ここ最近応用情報の対策(そんなにちゃんとしていない)に追われてなかなかコンテンツのインプットもアウトプットも満足に出来ていなかったが、今ようやく生活の要所要所に何かを挿入できそうな時間が見つかりつつあるので今だなあになっている。

 わたしなんかnote開くたびに「動けないよ~~」しか書いてない気がするな、デジタルタトゥーをひたすら増やしている気がする。まあ社会人になってもやっぱり動けない~~低エネルギーでどうにか生存していますという話ですはい。あと、大学生という自明の枠組みを失って人間性の維持にかなり危機感が増しているよという話。

余談

 どうでもいいけどnoteってどう書いたら良いんですか?先頭の1字下げって必要なの?ページ体裁の無いネットメディアはもうそういうの考えなくていい?

次回予告

 書きたい考察は溜まってるんですよ、如何にテーマだけ挙げて自分への執筆圧力上げておきますね

・コミュニケーション論
コミュニケーションって同質性のコミュニケーションと異質性のコミュニケーションとビジネスコミュニケーションがあるよね、これによってコミュニティが分極していくよね、これを理解しないと不幸な事故が起きるよねって話。

・身体性と過激性からの脱却
わたしが現代に生まれてインターネットの海とていねいな暮らしの中で生きられてよかったねって話。これは生物たる人間の基本状態じゃ無いよなあ、でもこっちのほうがQOL高いと思うんだけど、という前提事項の再確認。

・無フェチ性、「無矛盾性フェチ」「キャラの自立フェチ」の話
わたしの特性として、何かの特徴の方向より安定性のほうが大事という話。だから「オタク」になりにくくてかなり特殊なコミュニケーションスタイルを強いられている。

このエリア140文字以内なんだね、実質twitterじゃん