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祈ることすらしてこなかったのかよ、私は。『わっしょい!妊婦』

飲み会で散々ネタにしてきたような呪いの言葉はいくらでもあって、たとえば私の場合なら、大学生のときに先輩に言われた
「ちえみちゃんはマジでバカだね。でも、バカなくらいが女の子はちょうどいいんだよ」とか
「頼むから大学の生協で、上野千鶴子の本を買うような女にならないでね」とか、である。

中高を女子校で過ごした私は、そうした言葉を大学生になって初めて耳にし、一部の男性が女性に求めることを知って驚愕したのだけど、そのとき別に、怒りはしなかった。へえ、そういうものなんだな。どちらかというと「そんなふうに思う男のほうがバカだな」と思った。
マイナス1ポイント。
そんな男性が他にもいるのだとしたら、合わせて媚びておかないとなと、全力で迎合する自分のことは、もっとバカだと思っていた。
マイナス2ポイント。
もちろん、今は、そんな男性ばかりでないことをちゃんと知っている。

ところで、大人になって社会のあれこれに関心が出てくると、なんでこんなことになってるんでっしゃろ?と首を捻る、摩訶不思議な出来事に遭遇し始める。
たとえば私は27歳で会社をやめてフリーランスになったのだが、退社の意向を上司に告げたときの引き留め文句が「つかちゃん、フリーランスになったら子どもが保育園に入れなくなっちゃうよ!」だった。
私は独身で、結婚も出産も願望がなく、マジで最初は意味がわからなかったのだが、2分ほど考えて、そうか、保活的なやつか、とようやく理解した。
そのときは「受精すらしていない、する気配もない、まだ見ぬ我が子のために、私は会社員で居続けるべきでしょうか?」と真剣に問い直し、1分で独立を再決意したわけだが、上司がそんな心配をしなければいけないほど、この国は子どもを保育園に入れるのが難しいんだと衝撃を受けた。
それでも私は、怒りはしなかった。まあそんなものなんだろう。しょうがない。できないことに期待してもね。
マイナス3ポイント。

こうやって、少しずつ、少しずつ、
他者を、社会を、自分の住む国を、自分を、
信じなくなっていたことに、気づいた。

この本を読んで。

『わっしょい!妊婦』
(小野美由紀・著/CCCメディアハウス)

妊娠によって女性の身体がいかに変化し、女性ホルモンに支配され、パートナーとの間に変化をもたらし、マイナー(と呼ぶには凄まじすぎる)トラブルを引き起こすか、赤裸々に語られている一冊である。
同時に、ひとりの妊娠出産の経験を通じて、社会のさまざまな問題が描かれる。

至極明るく、お祭り感と幸福感のある、妊娠出産エッセイだ。冒頭から巧みな比喩で精子検査について描写され、終始ゲラゲラ笑って腹筋が攣る。

だけど、私は途中から、震えるような気持ちで、次へ、早く次へ、とページをめくっていた。

妊娠を通じて著者は、自身の変化に困惑し、母親としての自覚を押し付けられることをはじめ、社会にさまざまな違和感を抱く。祭りの準備のような慌ただしさの中で、その違和感や変化を丁寧に見つめ、言葉にしていく。産む性の困難さ(なかなか見えないし語られない、男性側に起きる問題や困難も)、社会の側の不自然さ、不寛容さ。女性の生きづらさについても考える。

ふと、思ってしまった。

自身のエゴイスティックな一面も冷静に見つめつつ、これほどまでに逐一違和感を抱き「やっぱりおかしいよね」「いやはや大変すぎるよね」と鮮やかに、まっすぐ、みっちりと描けるのは、
著者が、他者を、社会を、自分の住む国を、自分を、信じようとしているからではないか。

既に諦めてしまった人は違和感など抱けない。
「おかしい」「つらい」ことにも気づけない。

妊娠出産にまつわる社会問題を指摘する、社会派エッセイを読み始めたはずなのに

気づいたら私は、希望を持って世界を信じようとする人から発せられる「祈り」を、全身で聴いていた。
それは教会で行われる神聖なミサのような祈りではなく、騒がしくて底抜けに明るい、祭りのような祈りだった。

祈ることすらしてこなかったのかよ、私は。


よくある「〇〇のハッピーマタニティライフ♪」的なエッセイ本には決して書かれていない妊娠の過程を経て
(出生前診断のこととか)
(あるいは乳首をブドウにしなければいけないこととか)
祈りは、祝福のファンファーレへと移行していく。

膨れ上がった著者のお腹から生命が生み出されようとする、その瞬間、
それを読み進めている私の腹にも、何か膨れ上がるような感触がある。

私の場合、それは下ではなく上に、食道の間をつぶれながら通って、喉の奥まで迫り上がってきて

ぐわああと私の口をこじ開け、出て、産まれた。

「私はこの世界を、人を、自分を、本当は信じたい」



ひょっとしたら私たちは、自覚のないまま、想像以上に、いろいろなことを諦めかけているのかもしれない。でも、本当は何ひとつ、諦めたくないのだ。信じたいのだ。

諦めかけている心を笑いで溶かされ、撫でられ、包まれ、突かれて、見なかったことにしていた思いを産まされた。そういう意味での妊娠出産エッセイでしたか。違いますか。

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