見出し画像

書きたいと思ったから書いた

気が付けば2年、もしくは2年以上?長らく放置してしまったなと、少しばかり反省してそっとこの画面を開いた次第。
元々ブログや日記など、毎日コツコツと続けて行うことが苦手な質からか、ついついこういう場を興味本位で作るものの、放置してしまいがちである(手軽なツイッターでさえも放置、なんていう事もざらだ。)
はてさて、ではなぜ三日も続けばまだマシな人間が、思い出したかのように急に書き出したかというと、如何せんある程度の長さの文で自分の思いを自由に書き出せる場所がここぐらいしかなかったのだ。
まぁ、久々に更新も出来ることだし一石二鳥である意味丁度いいかな…と。(隅の隅で書いてるだけなので、完全自己満足故に一石二鳥もくそも無いのだが)

今回書こうと思うように至ったのは、広島へ日帰り旅行に行ったのがきっかけだ。当初は書くことなど微塵も思っていなかったが、帰りのバスの中で突然、書こう、と思い浮かんだのだ。
単身で足を運んだのは、平和資料館である。
広島には幼少期の頃に一年間ほどしか住んでいなかったが、その時は学校で青空教室、という授業が行われていた。その授業を受けて以来、大人になってもこうして何度か資料館に足を運ぶようになった。それほどに、私にとって原爆というものは最も衝撃を受けたし、同時に出来る事と言えば生涯悼むことぐらいだろう、と幼いながらに思った次第である。
前回訪ねた時は改装工事が入っており、見学できなかった場所もあったが、何より人と一緒に連れだって来ていたことで気が済むまで見学できず、なかなかに口惜しい思いをしていた。(私は一度こういう博物館や資料館に入ると優に2~3時間はざらに出ない。誰か人と行くと必ず待たせることになるので、こういう場所に行くときは一人でと決めているのだ。)しかも、それからすぐにコロナが流行りだしてしまい、余計に行く機会を失っていた。
そんなこんなで、まずは原爆ドームへと向かった。数年ぶりではあったが何度訪ねても、胸の奥が手で握り潰されそうな感覚を味わい、この建物を見るたびに少し足取りが重くなる感覚を覚えるのは私だけだろうか。特にこの日は小雨も降っており、余計に得も知れない感覚を味わったように思う。
暫くその場で立ちすくんでいたが、周りの通行人の存在に気付きどうにか動くことが出来た。そのまま資料館へと向かい、開館時間が少し過ぎたあたりで中に入り、早速中を見て回った。時間が早いにも関わらず、意外と想像していたより来館者が多く、果たして集中して見学できるかと少し不安に思ったが、結果それらは杞憂で終わった。

特に展示物の詳細をここに書くつもりは更々無いので、そこら辺の事は割愛するが、正直、展示物を一つ一つ見て回っている時に何度も涙ぐみ、泣きそうになった。私は別にその当時、当然生きていたわけでもないし、ましてや広島に親戚がいたりするわけでもない。親に至っては、私が資料館に行くと言うと、またか。と顔にでかでかと露わにするし、友人や会社の先輩などからはわざわざ何で?と言われるぐらい、それぐらいに周囲は関心が薄いのだ。
私自身も、一体全体、どうしてこんなに忘れられないのか全く疑問ではあるが、そのぐらい深く私の中に刻まれており、そして何度も来館してはその度に、涙ぐんで色々感じるのだと思う。
これは別に、原爆だけに限った話ではない。戦争、そのものに対してこのような気持ちはあるべきものだし、当然、胸の奥を握り潰されるようなこの感覚を忘れてはならない。私自身、活動家というわけでもなく、ただ毎日日本の隅っこで働く一介の会社員である。何か情報が発信できるわけではないが、この気持ちを持ち続けて生きる事は出来る。全くの独りよがり、生産性も皆無ではあるが、その気持ちを持ち続け毎日過ごすだけでも、それだけでも、意味は十分にあると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?