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SP

 東三国のショッピングセンター新大阪新鮮館。新鮮なお肉などが、売りであるスーパーマーケットの一角で、珈琲焙煎研究所のマスターが営むショッピングコーヒー。

そこで珈琲を飲んでいると、彼に出会った時の事を思い出す。

私がそこを訪れたのは、なんとなくであった。

強いて言えば、好奇心があってのことだと思う。看板娘のRさんにつれられ、Rさんの言うバリスタのひじりさんという青年に会ってみたいと思ったからであった。

 席につくと、柔らかな横顔の男性がひじりさんであると教えてくれた。

珈琲をハンドリップしているところであった。

彼を目当てに、やってくるお客さんもいるほどであると聞いたが、なんとなく。そうだろうなという印象を受けた。

 

「小説って、どんなのを書くのですか?」

 

ふと、問われて。考え「恋愛かな……」と、答えを濁した。

私は、プロ作家として書いているのではなく、趣味として執筆をしているので、ジャン

ルを定めてなかったのである。

 

「あ、わたしは、これ読んでいるよ」

 

そう話を切り替えてくれた。そう言われて見せてもらったのは【昨夜のカレー、明日のパン】の表紙であった。

 

「まだ、読んだことがないなあ」

「お貸ししましょうか?」

 

「あ、それだと返せなかったら悪いので、購入して読んでみます」

このやりとりをしている間、ふと懐かしいことに村上春樹氏のノルウェーの森を貸したまま会えなくなった同級生の事を思い出した。

彼女は、今頃、どんな大人になっているのだろうか……。

「何にしましょう?」

マスターに聞かれ、ふむと唸る。私は、珈琲豆に対してのこだわりがない。珈琲は眠気覚ましくらいにしか考えておらず、また夏の猛暑の向日葵の如くギラギラした日などは、アイスコーヒーを飲むと脳が覚醒するというだけの理由で珈琲を選びがちである。品種は、ブルーマウンテンが有名な品種であるという事くらいの知識は、たしかにあるが……。

「マイルドな珈琲は、これですか?」

メニュー表のインドネシアの豆を指差す。

「そうですね、それにしますか?」

「ええ、はい」

頷くと、さくさくと瓶から珈琲豆を取り出し、コーヒーミルで挽かれる。さらっと粉末状になった珈琲豆は香ばしい香りがした。ハンドリップによってさらに美味しく仕上げられてゆく過程は、ひとつの作品がつくられてゆく過程にもみえた。

この一杯にどれだけのひとが関わっているのだろう。そう空想した。昔から、私は空想する癖がある。

その空想のおかげで物語を創作することが出来ると思っているのだが、そう。今、書きかけの物語でいうならば、こんな物語はどうだろう。

偶然、立ち寄った喫茶店で、主人公は一目惚れをする。バリスタの真剣な姿や志に、ふいに惹かれるのだ。何度も通ううちに、仲良くなる。冬、告白をし、二人は恋人同士となる。そんな物語は、どうだろう。ノートに、書き綴りはするが、未だ、完結させるということがうまくゆかない。

どこか未完成な気がしている。強みがない、私の作品は感情の連続爆破のようなものの気がする。

「読ませてね、その作品」と、言われたことがある。この言葉に、私は救われたことがある。

浪漫ある物語を死ぬ前に書きたい。

それは、私にとっての課題である。

 

『どうせ死ぬのだ。ねむるようなロマンスを一篇だけ書いてみたい。』(太宰治 葉より引用)という言葉の通り考えているもののひとを愛するということや恋をするということが理解できなかった。

 

何日か、訪れた。進まない筆をほうりなげ、ぼうっと珈琲を啜っていて不意に

「恋とは、なんだと思います?」

 

これが彼との会話の初めだった気がする。春のあたたかさにボケてしまい、私は不意にそんなことを聞いてしまった。恥ずかしくなり。さっさと帰ってきてしまったのだが、

あわく胸に痛むものが込みあげた。彼には、恋人がいることを聞いていたからである。

なにをあわてたのだろう、そうして、どうして悲しいのだろう。

彼が好いているひとがいる、ただそれだけのことなのに、苦しく思った。そうして、見もしない恋人に対していいなという謎の羨望がこみあげた。


彼のことを考えるのは、よそう。
そう、彼を見つけるたびに思っていた。私のような者が、彼のような人間と付き合う事なんて叶わないだろう。

 わたしは、一目見ただけの彼に惚れたのだ。
 好きだと言う感覚が芽生えてからは、ゆるやかに彼と話す機会を増やしてゆくことからはじめていった。彼は、私の話を遮らないし、なによりも面白いと言ってくれる。わたしのことを変だと言うひとがおおいなかで、そう言われることはなんだかくすぐったくも思った。そうしているうちに、私は彼と恋仲になれ。

藤の花がひかる頃、わたしはあのひとの腕に包まれて安堵を得た。と、同時に失うことの怖さも知った。彼が人生に現れ、わたしの空想世界は色味を増やして、輝きが溢れた。 両手いっぱいに、それを抱けている。

 

私は、十分に幸せだと感じた。

 不意に『命短し、恋せよ乙女。』という言葉を思い出した。大正時代の歌で ”ゴンドラの唄” というタイトルなのだが曾祖母が教えてくれた唄である。それと彼女は、リンゴの唄はよくくちずさんでいた。彼女は、亡くなる前にそっと「好きな人に、会うのよ。悲しまないで頂戴ね」と言って、そっと亡くなってしまったことを思い出した。曾祖母は、恋する乙女であったし、素直で優しかった。そんな曾祖母のようになりたくて、真似たけれど空回りするばかり。
赤いルージュも、私より彼女のほうがよく似合うような淑女であった。
 わたし。恋するために、彼ら彼女からあのひとをうばうことにしたわ。だって、恋をしてしまったのだもの。惚れてしまった、もう決めたわ。
世間のことなんてきにしない。
恋愛は、彼と私の人生の問題。
誰にも、奪えやしない。

 それからは、逢瀬を重ねていった。雨の日だって、晴れの日だって、あのひとを想った。
いままで出会ってきた男のひとにない、どことなく懐かしい雰囲気がいつも私の心を和ませてくれる。プラトニックなキスをする。そこから、闇夜も超えて、あのひとを逃さないようにするため、小説を書いている。

 いま、これを書いている時。桜はすでに葉桜になり、藤の花がまた瑞々しく輝いている。
一杯の珈琲が、導いた運命の悪戯。

 


手元にある一杯の珈琲に「愛おしい」という言葉を隠して、飲み干す。

 

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